hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

北京故宮博物院展

2007年03月14日 | 美術

「清朝末期の宮廷芸術と文化」と銘打った北京故宮博物院展を見た。中国の国宝24点を含む140点が展示されている。日中国交正常化35周年を記念して、横浜、日本橋800円、京都900円、宇都宮、大分1000円、青森1200円などと、全国各地を巡回し展示されているが、地方は高くなっている。

権勢を誇った女帝・西太后・慈禧(じき)のキンキラキン衣装、これでもかと立体的に盛り上げた宝飾品などが展示されている。また、ラストエンペラー宣統帝・溥儀の子供時代のおもちゃ、14Kの眼鏡、英国製自転車など身近な、といってもきわめて贅沢な品々が並んでいる。

四書五経の本物を見るのは初めてだが、膨大な厚さに驚いた。儒教の素養が試される激烈な科挙の試験を突破すべく、天下の秀才がこんなものにエネルギーを使い果たしていては国が破綻するわけである。なんだか、日本の官僚のことを思い出してしまった。

西太后がまつりごとを行った「垂簾聴政(すいれんちょうせい)の間」が会場に復元されている。手前に幼い皇帝が座る玉座があり、御簾のうしろにより大きな座があり、そこに西太后が座り、実際の政治を行ったのだ。

清朝を興したヌルハチ以下の皇帝の家系が愛新覚羅(あいしんかくら、満洲語名:アイシンギョロ)であるが、その最後の皇帝が愛新覚羅・溥儀(あいしんかくら・ふぎ)で、2度退位し、満州に侵略した日本の力を利用して3度目の皇帝・康徳帝となった。そして中華人民共和国になってから特赦で出所し北京植物園に勤務し、1967年に一市民として死んだ。

溥儀の弟の溥傑は日本の名門華族・嵯峨家の令嬢の嵯峨浩と(政略)結婚した。その長女が愛新覚羅・慧生(えいせい)で、日本に帰国してから10年後の1957年に、慧生は学習院大学の同級生と伊豆天城山で心中してしまう。今でも私はこのときの新聞の一面に出た写真と記事を思い出す。
天城山心中については、例えば「黛まどかの恋ものがたり」 http://osaka.yomiuri.co.jp/koimono/km51227a.htm をごらんください。



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