永六輔著「あの世の妻へのラブレター」2008年8月、中央公論新社発行、中公文庫を読んだ。
背表紙にはこうある。
「貴女が亡くなってから毎日書き続けている絵葉書はまもなく千通を超えます。切手を貼ってポストに入れて配達されるのを楽しんでいます。これから書く文章は、貴女へのラブレターです」。最愛の妻を癌で亡くした著者の心に去来する、終末医療・在宅介護を巡る想い。エッセイとともに対談や座談を収録。
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2001年6月永六輔の最愛の妻、永昌子が末期の胃がんとわかり、2002年1月に亡くなる。同名の本が2005年8月に中央公論新社から発行され、2008年8月に文庫本化されたのがこの本だ。
永さんの家庭でもダメぶりと、昌子さんの明るいしっかりぶりが、娘二人により容赦なく語られる。ほとんどが対談で構成されているので、読みやすく、生な感情が伝わるかたちになっている。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
ガンとの闘病や、亡くなった愛妻への思いという内容だが、ユーモアがあるので、気楽に読める。永さんファンは、想像はつくだろうが、家庭でのダメさ加減がわかるのも面白い。
対談1
昌子さんが亡くなって1年が経とうとしたとき、立ち直っていなかった永さんに代わって娘二人の対談「父は男やもめ一年生」には永さんの変人ぶりがあけすけに語られる。
そして最後に永さんの読後感がある。
対談2
在宅看護研究センターの村松静子さんと娘二人での対談「家族を家で看取るということ」では、しっかりと永さんと家族を支える昌子さんと闘病が語られる。冷静な姉とやさしすぎる妹の対照が面白い。
ここまででこの本の約半分だが、永さん自身の記述はほとんどない。
対談3
矢崎泰久と永さんの対談「妻という友達、妻というプロデューサー」では、矢崎さんが永さんをケチョンケチョンにやっつけて、面白い。
引用
昌子さんが永さんとの共著で1974年に出版した唯一の本「妻は夫にさからいつ、夫は妻をいたぶりつ」からの引用だ。
永さんが昌子さんと結婚にこぎつける経緯を娘さんが語っている。
大映映画のニューフェースで既に婚約者がいる昌子さんを見初めた永さんは、「キミは女優になる人じゃない。ぼくの妻になる人だと言って、思いを書いた巻紙を持って実家に乗り込み、「お嬢さんをください!」とやった。そして、つぎに、「住むアパートを決めてきたから」と言った。昌子さんも、「縁って、こういうものかもしれないわ」と思い、あれよあれよと思ううちに、いつのまにか結婚していた。
対談4
田原総一朗と永さんの対談「愛する妻をがんで喪くして」は、2004年8月に奥さんを喪くしたばかりの田原さんが、永さんにその後の経験談を聞くという形だ。
座談会
谷川俊太郎、小室等、永六輔の「僕たちの介護論」と題する座談会は、
一つご紹介
谷川「・・老人介護には金がかかるわけです。だから日本は軍備なんか捨てて、その予算を全部、老人介護にまわし、「国が滅んだってしょうがないじゃないか、老人のせいだよ」と言っていれば良い。」
「どこかの国が攻めてきて占領したら、その人たちが老人を抱え込んでくれるわけだから、「おまえら、頼むぜ」ってさ。戦争するより、いいんじゃないの。」
小室「こっちなんか攻めてきたって、介護が大変だぞ」と言ってやる。
谷川「脅迫外交」(笑)
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永さんのエッセイ
最後の最後に永さん自身の記述、「昌子さんの声が聞こえる」がある。といっても、中味のほとんどは、昌子さんの話した言葉を、永さんが思い出し、紹介する内容だ。
二つ蛇足。
永さんは最も大切にしていた河井寛次郎の茶碗を贅沢に日常に使用していた。昌子さんは、これを割ってしまったときに言った「アラアラ、これ確か、河井寛次郎さんのだったわよね」「道理でいい音がしたわ」。
作詞をやめたのも、テレビに距離をおくようになったのも、昌子さんの趣味とあわないからだった。昌子さんは「有名人の奥さんにはなりたくない」と言った。