コンピューターソフトが強くなると、未来の将棋界も変わってくる。
棋士が将棋の研究をするときに、パートナーとしてもはや将棋ソフトは欠かせまい。最新の定跡をインプットして、次の一手を考えさせる、ということも出てくるだろう。
そこでソフトが指した新手を棋士が拝借して、公式戦で試す。ところが相手もソフトで研究していて、相手も新手で返す。
こうなると、これは誰の将棋なのか、という話になる。
タイトル戦などの解説会でも、男性棋士が行う必要はなくなる。何しろソフトが考えてくれるから、解説者が手を読む必要はないのだ。大盤の横にPCを置き、ソフトが指した手を大盤に示すだけでよい。つまり解説者は、女流棋士やアマ強豪で賄える。
終盤、どちらが勝ちかという局面になると、ソフトはたちどころに結論を出す。○手で後手玉に即詰みがある、という按配である。「さあ、どちらが勝っているでしょう」などという的外れな解説は死語になる。
とにかく対局者以外は正着を知っているから、あとは対局者が正確に指せるかどうか、が焦点になる。一手指すごとに、解説場や控室から、「ああ、正着ですね」という声が上がることになる。
男性棋士の解説と、美人女流棋士の解説もどきはどちらがよいか。私なら断然後者を採るし、そちらのほうがギャラも安くて済む。男性棋士がフェードアウトすることに、何の不都合もないのである。
ソフト同士でもばんばん実戦が指され、新たな定跡が誕生する。やがてそれは定跡書として単行本化され、名局は実戦集として発行される。今度はそれを、棋士が勉強のために並べることになる。
私たちが指した将棋も、ソフトが添削してくれる。あの手は良い、この手は悪かったと、一手ごとに細かい解説をしてくれる。
いや私の実戦だけではない。過去の名局と言われているものも、ソフトにかければ、終盤で勝敗が逆になるかもしれない。棋史に残る寄せも、調べてみたら簡単な寄せが見つかるかもしれない。
もちろんこれらのソフトは安価で購入でき、スマホでも簡単に操作できるようになる。対局ソフトには「大山風」「谷川風」などいくつものタイプがあり、急所の局面で攻めるか受けるか、ソフト側の棋風が選択できる。
さてこれだけソフトの活躍の場が増えると、プロ棋士の存在価値は、将棋の強さではなくなる。いかに面白い話をするか。奇怪な行動をするか。ぶっとんだキャラか。などなどなど、将棋の棋力と関係ないところで評価が決まる。
これは決して、笑い話ではない。これに近いことが実際に起こりうると、私は信じている。
棋士が将棋の研究をするときに、パートナーとしてもはや将棋ソフトは欠かせまい。最新の定跡をインプットして、次の一手を考えさせる、ということも出てくるだろう。
そこでソフトが指した新手を棋士が拝借して、公式戦で試す。ところが相手もソフトで研究していて、相手も新手で返す。
こうなると、これは誰の将棋なのか、という話になる。
タイトル戦などの解説会でも、男性棋士が行う必要はなくなる。何しろソフトが考えてくれるから、解説者が手を読む必要はないのだ。大盤の横にPCを置き、ソフトが指した手を大盤に示すだけでよい。つまり解説者は、女流棋士やアマ強豪で賄える。
終盤、どちらが勝ちかという局面になると、ソフトはたちどころに結論を出す。○手で後手玉に即詰みがある、という按配である。「さあ、どちらが勝っているでしょう」などという的外れな解説は死語になる。
とにかく対局者以外は正着を知っているから、あとは対局者が正確に指せるかどうか、が焦点になる。一手指すごとに、解説場や控室から、「ああ、正着ですね」という声が上がることになる。
男性棋士の解説と、美人女流棋士の解説もどきはどちらがよいか。私なら断然後者を採るし、そちらのほうがギャラも安くて済む。男性棋士がフェードアウトすることに、何の不都合もないのである。
ソフト同士でもばんばん実戦が指され、新たな定跡が誕生する。やがてそれは定跡書として単行本化され、名局は実戦集として発行される。今度はそれを、棋士が勉強のために並べることになる。
私たちが指した将棋も、ソフトが添削してくれる。あの手は良い、この手は悪かったと、一手ごとに細かい解説をしてくれる。
いや私の実戦だけではない。過去の名局と言われているものも、ソフトにかければ、終盤で勝敗が逆になるかもしれない。棋史に残る寄せも、調べてみたら簡単な寄せが見つかるかもしれない。
もちろんこれらのソフトは安価で購入でき、スマホでも簡単に操作できるようになる。対局ソフトには「大山風」「谷川風」などいくつものタイプがあり、急所の局面で攻めるか受けるか、ソフト側の棋風が選択できる。
さてこれだけソフトの活躍の場が増えると、プロ棋士の存在価値は、将棋の強さではなくなる。いかに面白い話をするか。奇怪な行動をするか。ぶっとんだキャラか。などなどなど、将棋の棋力と関係ないところで評価が決まる。
これは決して、笑い話ではない。これに近いことが実際に起こりうると、私は信じている。