一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

笑っている場合ではなかった

2014-09-19 01:02:13 | 将棋雑考
昔、芹沢博文九段のエッセイにこんなのがあった。
ある場所で芹沢九段が、将棋ファンに聞かれた。
「将棋の先生は新聞に将棋を載っけてもらって、新聞社にいくら払ってるんですか?」
これに芹沢九段は笑って答えた。
「払うなんてとんでもない。私たちは将棋を指して、新聞社からお金をもらってるんですよ」
セリフはもちろん違うが、ニュアンスはこんな感じだった。
もうひとつは先崎学九段のエッセイである。ここでは先崎九段の女友達と、将棋の対局が1局いくらかという話になった。そしてその対局料を聞いた女友達が、あまりの高さに口をあんぐりさせる、というものだった。
将棋を指してお金が入る、というのは、一般人から見れば、奇異に映るのかもしれない。
しかしそう言われてみると、1局の勝敗如何で数千万円のお金が動く、という対局など、私でさえ「ムムッ?」と感じるものがないでもない。

ところで最近は、テレビでも将棋が取り上げられることが多くなり、加藤一二三九段や桐谷広人七段などは、いまやお茶の間の人気者である。
しかしその描かれ方はというと、片や前歯の抜けた早口のおじいちゃん、片や頭の薄くなった投資家、くらいにしかなっていない。単なるお笑いキャラなのである。将棋棋士はとてつもない天才なのに、それがまったく知られていない。これが私にはもどかしい。いまのままでは、将棋界はただの奇人変人の集まり、で認識されてしまう(まあこれも、当たらずも遠からじだが)。
日本将棋連盟は、もっとメディアを通じて、棋士の天才ぶりを世間にアピールしなければならない。例えばテレビなら、日本テレビの「笑ってコラえて!」あたりがいいと思う。NHKなどのお堅い番組はダメだ。視聴者が入りやすい、民放のバラエティ番組がいい。
ここで所ジョージが加藤一二三九段なんかをうまいこと引き当てて、その人となりを全国に知らしめてくれればありがたいと思うのだ。

話を冒頭に戻すが、棋士が新聞に将棋を載せて、お金をもらうことを奇異に思っている人が、新聞社に入社し、重役になったときが問題である。
新聞社が順風満帆ならいいが、経営危機に陥ったとき、真っ先に削りに行くのが将棋(と囲碁)になるのではないか。
将棋連盟にこんなに契約金を出す必要はない。その○分の1でいい――。そのくらいの大鉈は振るうと思うのだ。
これは笑い話ではない。昨今はタイトル戦の契約金を削減気味の新聞社があるが、これもこの例と似たりよったりの気がするのだ。

1990年に大山康晴十五世名人が文化功労者に選ばれたときの、大山十五世名人のよろこびようは、大変なものだったという。「将棋が文化として認められた」からである。
芹沢九段も先崎九段も、相手の「なぜ?」という態度に、プロが優れた棋譜を創るのは、このくらいの文化的価値があるんだよ、と説明しなければならなかった。まあ実際はしたのかもしれないが、とにかくいままでは将棋界全体に、こうしたアピールが不足していたのではあるまいか。
幸いいまは、コンピューターの快進撃もあって、将棋界はスポットライトを浴びている。私はまだ、巻き返しのチャンスはあると信じている。
コメント
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