前回のLPSA芝浦サロンから1週間経った2011年5月20日(金)、またも私はサロンに行った。しかし駒込時代の常連は次第に足が遠のき、今回もジョナ研メンバーは私のみだった。
なおこの時期は、Kus氏がよく顔を見せていた。Kus氏とはサロンでのお付き合いのみだったが、いまは何をされているのだろう。
この日の担当は1部が石橋幸緒女流四段、2部が鹿野圭生女流二段だった。私は夕方から入ったので、鹿野女流二段に教えていただくに留まった。手合い係は大庭美夏女流1級だった。
さて関西在住の鹿野女流二段の芝浦サロン担当は珍しい。翌21日(土)に女流王座戦の対局が東京であり上京したからで、それでシフトが組まれたようだ。私ももちろん、芝浦サロンでは初指導対局である。
対局開始に先立ち、
「このたびはおめでとうございます」
と私。
鹿野女流二段はこの数日前、勝ち星累積で女流二段に昇段したのだ。
戦型は鹿野女流二段の四間飛車に、私は▲5七銀左。しばらくして「私、大沢さんに勝ってない」と鹿野女流二段が言った。ここまでの対戦成績は私の●○○で、鹿野女流二段からすればその印象が強いかもしれないが、私は逆である。
緒戦は2009年5月31日に中野サンプラザで行われた、「日レスインビテーションカップ」内の指導対局だったが、このときは鹿野女流二段の四間飛車に粉砕され、「世の中にこんなに強い女流棋士がいるのか」と私は心底驚いたものだった。
このときちょっと感動したのが感想戦で、鹿野女流二段は懇切丁寧に変化手順を教えてくれたのだ。しかも先生と生徒ではなく、私と同じ視線で、一緒に勉強しましょう、という雰囲気さえあった。これが私にはうれしかった。
局面。鹿野女流二段が△5四歩と突いたので、私は山田流▲9七角戦法を採る。
そして鹿野女流二段の△4二飛に、私は▲7九角。
昔の定跡書だと、▲9七角~▲8六角~▲6八角でも先手が十分だったのに、▲9七角~▲7九角は先手がさらに一手得をしている。ならばより先手がいいかというと、これが互角である。いかに昔の定跡書が恣意的に進めていたかが分かる。
私はそこから棒銀に出て、2四まで進めた銀を3五に捨て、▲2一飛成とした。この岐れはどうだったのだろう。
ではその終盤の入り口の場面を紹介する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/96/3185fe6b35de3ce4961beb6dabac1296.png)
以下の指し手。▲1六角△7一金▲9五歩△同歩▲9三歩△同香▲8六桂△8五銀▲9二歩△6二角▲3一竜△5三角▲4二竜△同角▲4一飛△5三角▲4三角成△5七歩成▲5三馬△同銀▲9一角 まで、73手で一公の勝ち。
指導対局というのは、下手が指したい手を上手が指させてあげる、というものらしい。
その伝でいくと、上の手順はまさにそうではないだろうか。
私の指し手はミエミエの狙いばかりなのに、鹿野女流二段はさしたる抵抗もなく、わりとあっさりと土俵を割ってくれた。まさに、「ザ・指導対局」といえよう。
ここ数年の鹿野女流二段は、あまり勝ち星に恵まれていない。しかし鹿野女流二段は、女流初段時代の里見香奈女流二冠に勝ったこともあり(第19期女流王位戦予選)、ツボに入れば、まだまだ強いのだ。
大野八一雄七段に聞くと、鹿野女流二段は「将棋が大好き」らしい。これは将棋を職業にするにあたり、大切なことである。鹿野女流二段の巻き返しに、大いに期待したい。
なおこの時期は、Kus氏がよく顔を見せていた。Kus氏とはサロンでのお付き合いのみだったが、いまは何をされているのだろう。
この日の担当は1部が石橋幸緒女流四段、2部が鹿野圭生女流二段だった。私は夕方から入ったので、鹿野女流二段に教えていただくに留まった。手合い係は大庭美夏女流1級だった。
さて関西在住の鹿野女流二段の芝浦サロン担当は珍しい。翌21日(土)に女流王座戦の対局が東京であり上京したからで、それでシフトが組まれたようだ。私ももちろん、芝浦サロンでは初指導対局である。
対局開始に先立ち、
「このたびはおめでとうございます」
と私。
鹿野女流二段はこの数日前、勝ち星累積で女流二段に昇段したのだ。
戦型は鹿野女流二段の四間飛車に、私は▲5七銀左。しばらくして「私、大沢さんに勝ってない」と鹿野女流二段が言った。ここまでの対戦成績は私の●○○で、鹿野女流二段からすればその印象が強いかもしれないが、私は逆である。
緒戦は2009年5月31日に中野サンプラザで行われた、「日レスインビテーションカップ」内の指導対局だったが、このときは鹿野女流二段の四間飛車に粉砕され、「世の中にこんなに強い女流棋士がいるのか」と私は心底驚いたものだった。
このときちょっと感動したのが感想戦で、鹿野女流二段は懇切丁寧に変化手順を教えてくれたのだ。しかも先生と生徒ではなく、私と同じ視線で、一緒に勉強しましょう、という雰囲気さえあった。これが私にはうれしかった。
局面。鹿野女流二段が△5四歩と突いたので、私は山田流▲9七角戦法を採る。
そして鹿野女流二段の△4二飛に、私は▲7九角。
昔の定跡書だと、▲9七角~▲8六角~▲6八角でも先手が十分だったのに、▲9七角~▲7九角は先手がさらに一手得をしている。ならばより先手がいいかというと、これが互角である。いかに昔の定跡書が恣意的に進めていたかが分かる。
私はそこから棒銀に出て、2四まで進めた銀を3五に捨て、▲2一飛成とした。この岐れはどうだったのだろう。
ではその終盤の入り口の場面を紹介する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/96/3185fe6b35de3ce4961beb6dabac1296.png)
以下の指し手。▲1六角△7一金▲9五歩△同歩▲9三歩△同香▲8六桂△8五銀▲9二歩△6二角▲3一竜△5三角▲4二竜△同角▲4一飛△5三角▲4三角成△5七歩成▲5三馬△同銀▲9一角 まで、73手で一公の勝ち。
指導対局というのは、下手が指したい手を上手が指させてあげる、というものらしい。
その伝でいくと、上の手順はまさにそうではないだろうか。
私の指し手はミエミエの狙いばかりなのに、鹿野女流二段はさしたる抵抗もなく、わりとあっさりと土俵を割ってくれた。まさに、「ザ・指導対局」といえよう。
ここ数年の鹿野女流二段は、あまり勝ち星に恵まれていない。しかし鹿野女流二段は、女流初段時代の里見香奈女流二冠に勝ったこともあり(第19期女流王位戦予選)、ツボに入れば、まだまだ強いのだ。
大野八一雄七段に聞くと、鹿野女流二段は「将棋が大好き」らしい。これは将棋を職業にするにあたり、大切なことである。鹿野女流二段の巻き返しに、大いに期待したい。