大野教室の「女流棋士の指導対局会・飯野愛女流初段の巻」を一時中座して、私は和光市に向かった。こちらは湯川博士氏プロデュースの「大いちょう寄席」である。今年で3回目で、今回はたまたま日曜日になったが、過去2回は平日の開催だった。ところが私は求職中で、どちらも参加できた。
今年は年初に恵子さんから、8月には博士氏から案内をいただいていた。かようなわけで参加が微妙だったが、ここまで来たら行くしかない。
川口から京浜東北線で南浦和まで行き、武蔵野線に乗り換える。車内ではRadikoでミスDJを聴こうと思ったが、さっきの飯野女流初段との将棋が浮かんでくる。すると、投了の局面で飯野女流初段側に受けがあり、私は考えてしまった。
北朝霞で下車、いったん改札を出て東武東上線に乗り換える。と、東武線駅舎脇に小諸そばがあった。空腹なので食したいが、ここで時間を食うわけには行かぬ。寄席は13時20分開演で、すでに遅刻は確定しているから、1分でも早く着かねばならない。
東武線は駅名が朝霞台に変わる。各駅停車に乗り、タイム5分で和光市に到着した。
駅前には美味い蕎麦を食わせる立ち食い蕎麦屋があるが、ここでも入るわけには行かない。
駅前からは路線バスが通じているが、長照寺方面のバスは13時50分である。現在39分で、11分待つくらいなら、歩いていったほうがいい。
途中の公園で、トイレを済ました。歩きは歩きなりに利点がある。
しかし長照寺近くまで行って、道に迷ってしまった。もう2回行っているから道は分かっていたつもりが、寺行きの岐れ道が分からない。
近くのオバチャンに道を聞き向かうと、かなたに大いちょうが見えた。バトルロイヤル風間氏の手による案内には「境内の大いちょうは樹齢750年」と書いてあり、いつの間にか、樹齢が50年伸びていた(追記:「推定700年」の札が立てられてから50年は経ったから、と博士氏の証言があった)。
寺に入った時は14時08分だった。湯川邸で見た知己さんに木戸銭(500円)を渡し、客殿に入る。なおお土産は、いつもの銀杏と飾り箸だった。
座敷は満席を予想していたが、やや空きがあった。やはり皆さん、「即位礼正殿の儀」を観ているのだろう。
現在は構成吟「正岡子規の世界」をやっていた。昨年までは「松尾芭蕉・奥のほそ道」だったから、今年から新シリーズというわけだ。
鳥飼岳菘(ガクシュウ)氏が吟じる。
ヘチマ咲いて~~~ 痰のつまりし~ 仏かな~~~
たんのつまりし~~ ほとけかな~~~~
痰一斗~~~ ヘチマの水も~ 間に合わず~~~
ヘチマのみずも~~ まにあわず~~~~
残念、これで詩吟は終わりである。最後は吟者が勢ぞろいして、ごあいさつ。ここで10分の休憩である。
恵子さんが椅子を置いて回っている。皆さん正座やあぐらはキツいようだ。私は恵子さんに挨拶だけさせていただいた。
後ろから、肩をポン、と叩かれた。振り返ると星野氏である。今日は将棋ペンクラブの面々も多く来ているかもしれない。あえて探さないけれど。
私は改めてプログラムを見る。
第1部は詩吟のほかに、鳥飼八五良・実行委員会代表のご挨拶、寺元俊篤・長照寺若住職の講話があった。
そしてこれから始まる第2部は「落語と音曲」で、落語は参遊亭遊鈴、仏家シャベル、木村家べんご志とお馴染みの面々。「音曲」の小柊さんが正体不明で、何をやってくれるのだろう。
第2部開始である。開口一番は参遊亭遊鈴「くもんもん式学習塾」。桂文枝の創作落語である。
「参遊亭遊鈴でございます。今年もお呼びいただき、ありがとうございます。
今日は即位の礼がありまして、本当ならテレビの前で正座してキチンと拝見しないといけないんですが、ワタシがここで正座をしております」
ここでドッと笑いが起こる。
ヤクザの世界も経営が厳しくなり、親分は子分を集めて、学習塾を経営すると宣言した。肝心の講師に心当たりがないが、親分は子分のトメに命じると、トメは現在服役中のリュウジを推した。リュウジは大学出の「インテリア(インテリ)」である。
リュウジはめでたく出所し、早速英語の講義が始まったのだが……。
「今日は命令文を勉強するぞ。命令文は動詞から始めるんじゃ。You must go to school at once. これは、お前らはとっとと学校へ行かねばならぬ、となる。これが命令文になると、Go to school at once! 直ちに学校へ行きさらせ! となるんじゃ!
この形を覚えとけば、いろいろ応用が利くな。run awayは逃げる、という意味じゃ。Run away at once! これは、すぐにずらかれ! じゃ!
far awayは遠くへ、じゃ。Far away at once! これは、高飛びせい!」
私たちはゲラゲラ笑う。ここは英語の発音がしっかりしていること、すなわちリアリティがあることが肝要なのだが、遊鈴のそれは滑らかだ。
「Cut your finger at once! は、直ちに指を詰めい! じゃ!」
リュウジの力任せの講義に生徒は震えあがり、家でも自習するようになる。結果、生徒の学力もぐんぐん上がり、父兄の評判も上々となった。
「先生、ウチの子はどこに入れますでしょうか?」
「そうですなあ、堺、府中、網走……最近は松山の評判がいいですなあ」
「お…おやっさん、それは刑務所ですぜ…」
生徒は恐ろしさでガタガタ震えているのに、それを知らない親が無邪気によろこんでいる様が可笑しく、それを遊鈴はたくみな話術で笑わせる。
親分は、翌週にフケイ参観があると言う。子分は、この調子ならフケイ参観は大丈夫だと太鼓判を押す。だが親分は……。
ヤクザがカタギの職業に就く、という設定は浅田次郎の「プリズンホテル」が有名だが、桂文枝の発表はもちろんそれより早い。プリズンホテルは何度も映像化されたが、「くもんもん」もスペシャルドラマくらいにはなりそうである。
遊鈴の噺は軽快で、内容も分かりやすく、面白かった。私が言うのもアレだが、遊鈴はますます腕を上げたように思う。
お次は仏家シャベルが登場した。噺はもちろん、「心眼」である。
(つづく)
今年は年初に恵子さんから、8月には博士氏から案内をいただいていた。かようなわけで参加が微妙だったが、ここまで来たら行くしかない。
川口から京浜東北線で南浦和まで行き、武蔵野線に乗り換える。車内ではRadikoでミスDJを聴こうと思ったが、さっきの飯野女流初段との将棋が浮かんでくる。すると、投了の局面で飯野女流初段側に受けがあり、私は考えてしまった。
北朝霞で下車、いったん改札を出て東武東上線に乗り換える。と、東武線駅舎脇に小諸そばがあった。空腹なので食したいが、ここで時間を食うわけには行かぬ。寄席は13時20分開演で、すでに遅刻は確定しているから、1分でも早く着かねばならない。
東武線は駅名が朝霞台に変わる。各駅停車に乗り、タイム5分で和光市に到着した。
駅前には美味い蕎麦を食わせる立ち食い蕎麦屋があるが、ここでも入るわけには行かない。
駅前からは路線バスが通じているが、長照寺方面のバスは13時50分である。現在39分で、11分待つくらいなら、歩いていったほうがいい。
途中の公園で、トイレを済ました。歩きは歩きなりに利点がある。
しかし長照寺近くまで行って、道に迷ってしまった。もう2回行っているから道は分かっていたつもりが、寺行きの岐れ道が分からない。
近くのオバチャンに道を聞き向かうと、かなたに大いちょうが見えた。バトルロイヤル風間氏の手による案内には「境内の大いちょうは樹齢750年」と書いてあり、いつの間にか、樹齢が50年伸びていた(追記:「推定700年」の札が立てられてから50年は経ったから、と博士氏の証言があった)。
寺に入った時は14時08分だった。湯川邸で見た知己さんに木戸銭(500円)を渡し、客殿に入る。なおお土産は、いつもの銀杏と飾り箸だった。
座敷は満席を予想していたが、やや空きがあった。やはり皆さん、「即位礼正殿の儀」を観ているのだろう。
現在は構成吟「正岡子規の世界」をやっていた。昨年までは「松尾芭蕉・奥のほそ道」だったから、今年から新シリーズというわけだ。
鳥飼岳菘(ガクシュウ)氏が吟じる。
ヘチマ咲いて~~~ 痰のつまりし~ 仏かな~~~
たんのつまりし~~ ほとけかな~~~~
痰一斗~~~ ヘチマの水も~ 間に合わず~~~
ヘチマのみずも~~ まにあわず~~~~
残念、これで詩吟は終わりである。最後は吟者が勢ぞろいして、ごあいさつ。ここで10分の休憩である。
恵子さんが椅子を置いて回っている。皆さん正座やあぐらはキツいようだ。私は恵子さんに挨拶だけさせていただいた。
後ろから、肩をポン、と叩かれた。振り返ると星野氏である。今日は将棋ペンクラブの面々も多く来ているかもしれない。あえて探さないけれど。
私は改めてプログラムを見る。
第1部は詩吟のほかに、鳥飼八五良・実行委員会代表のご挨拶、寺元俊篤・長照寺若住職の講話があった。
そしてこれから始まる第2部は「落語と音曲」で、落語は参遊亭遊鈴、仏家シャベル、木村家べんご志とお馴染みの面々。「音曲」の小柊さんが正体不明で、何をやってくれるのだろう。
第2部開始である。開口一番は参遊亭遊鈴「くもんもん式学習塾」。桂文枝の創作落語である。
「参遊亭遊鈴でございます。今年もお呼びいただき、ありがとうございます。
今日は即位の礼がありまして、本当ならテレビの前で正座してキチンと拝見しないといけないんですが、ワタシがここで正座をしております」
ここでドッと笑いが起こる。
ヤクザの世界も経営が厳しくなり、親分は子分を集めて、学習塾を経営すると宣言した。肝心の講師に心当たりがないが、親分は子分のトメに命じると、トメは現在服役中のリュウジを推した。リュウジは大学出の「インテリア(インテリ)」である。
リュウジはめでたく出所し、早速英語の講義が始まったのだが……。
「今日は命令文を勉強するぞ。命令文は動詞から始めるんじゃ。You must go to school at once. これは、お前らはとっとと学校へ行かねばならぬ、となる。これが命令文になると、Go to school at once! 直ちに学校へ行きさらせ! となるんじゃ!
この形を覚えとけば、いろいろ応用が利くな。run awayは逃げる、という意味じゃ。Run away at once! これは、すぐにずらかれ! じゃ!
far awayは遠くへ、じゃ。Far away at once! これは、高飛びせい!」
私たちはゲラゲラ笑う。ここは英語の発音がしっかりしていること、すなわちリアリティがあることが肝要なのだが、遊鈴のそれは滑らかだ。
「Cut your finger at once! は、直ちに指を詰めい! じゃ!」
リュウジの力任せの講義に生徒は震えあがり、家でも自習するようになる。結果、生徒の学力もぐんぐん上がり、父兄の評判も上々となった。
「先生、ウチの子はどこに入れますでしょうか?」
「そうですなあ、堺、府中、網走……最近は松山の評判がいいですなあ」
「お…おやっさん、それは刑務所ですぜ…」
生徒は恐ろしさでガタガタ震えているのに、それを知らない親が無邪気によろこんでいる様が可笑しく、それを遊鈴はたくみな話術で笑わせる。
親分は、翌週にフケイ参観があると言う。子分は、この調子ならフケイ参観は大丈夫だと太鼓判を押す。だが親分は……。
ヤクザがカタギの職業に就く、という設定は浅田次郎の「プリズンホテル」が有名だが、桂文枝の発表はもちろんそれより早い。プリズンホテルは何度も映像化されたが、「くもんもん」もスペシャルドラマくらいにはなりそうである。
遊鈴の噺は軽快で、内容も分かりやすく、面白かった。私が言うのもアレだが、遊鈴はますます腕を上げたように思う。
お次は仏家シャベルが登場した。噺はもちろん、「心眼」である。
(つづく)