一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

今月見た夢(2019-12-01、08、10、24、26、27)

2019-12-30 00:50:15 | 
今月見た夢を記しておこう。

まず、1日に見た夢。夢の内容はほとんど忘れてしまったのだが、全国47都道府県から7人ずつ出場する大会があって、それは海岸で行われるものだった。
私はその出場者一覧を持っていた。和歌山県の選手の中に、私が20代のころに知り合った神奈川県在住の夏子さんがいる、という情報があった。
だが名簿の中に、彼女の名前はなかったようである。
そんなところで目が覚めた。

8日は、前日から体調が悪く、伊藤看寿の「煙詰」を解いている夢を見た。

続いて10日に見た夢。私はここ数日体調が悪く10日も熟睡できなかった。
夢の中では、何かを3つクリアしなければならないイメージがあり、それは1つでもよかった。
舞台はどこかのデパートだったが、1階と2階はどこかの高校と共同だった。
私は7月に離職した会社に復職しており、会社はこのデパート内にあった。私は社長に「この(雑誌の)広告は取れます」と言って会社を出た。その社長は私が20代の時に再就職した会社の社長で、私が勝手に復職したことについて何も言わなかった。
私は階段で1階に降りるとそこは体育館というか倉庫になっていて、高校の生徒がマットとかを出しているところだった。

10日は熱もあったので、午後は外出せず、寝た。それでまた夢を見た。
私は北海道のあるユースホステルに泊まった。そこは初めての宿泊である。宿のペアレントさんは北陽の虻川美穂子だった。
私が最寄りのバス停まで歩いて行くと言うと、虻川は、雪が積もって無理だ、と言った。
「でも私は平成元年から毎年来ていて、もう31回になるんで、雪には慣れてるから大丈夫です」
「ああ、そういえばあなたの噂は聞いたことがあるなあ」
という会話をしたところで、目が覚めた。

続いて24日に見た夢。
私たち将棋仲間は、あるところで何かを待っていた。位置的には地元の中学校の前だったが、場所的には銀座の気もした。
私たちは疲れて、歩道の隅に腰をおろしていた。某氏がいて、ある大物に依頼してくる、と言って行ってしまった。私も疲れて、その場に横になった。地面に直接顔をつけたが、それでも構わなかった。
少し経って某氏が戻り、市川海老蔵に話をつけてきたと言った。すると、市川海老蔵が小さな子供を2人連れて来た。何かのインタビューを受けるのを快諾したらしい。
市川海老蔵は、レストランが入っていると思しき、傍らの建物に入っていった。
またしばらく経って、別の場所から市川海老蔵が出て来た。
場面変わって、私はある場所にいた。そこは握力の競技会で、現在3列で順番待ちをしていた。私の右にはShin氏がいたが、改めて整列を行うと、Shin氏が前の列に入ってしまった。
私の時は、上川隆也と濱田岳が一緒だった。まず左右の手で個別に測り、握力が高いほうの手で本番を行う、というシステムである。
私の時は数字が出なかったが、右手が何となく54kgっぽかった。
それで右手で勝負することにし、本番でも54㎏が出た。でも上川隆也はもっと上の数字で、濱田岳に至っては80kgも出ていた。よく見ると、濱田岳は筋肉隆々だった。これでは勝てない。
しばらくして目が覚めた。

続いて26日は、夢に仮面ライダーが登場した。

続いて27日に見た夢。
私あてに、何とかいう人から電話があった、とオヤジが言った。私は心当たりがなかったが、私の就職支援をするマイナビの人みたいで、名刺交換はしていたようだ。だが特定はできなかった。
外出してデパートみたいなところに行くと、会議室みたいなところに多くのサラリーマンが来て、その中のひとりが私に連絡を寄越した人だった。
大テーブルの席に着くと、その会社員は愛想が悪かったが、まあ私の就職を心配してくれてはいるみたいだった。
ただ、私が就職できない原因は、部屋が汚いからだと彼は言った。あまりしつこく言うので、私は「私の部屋はそんなに汚くない。そもそもアンタは私の部屋に来たことがあるのか」と怒った。
私は持参した名刺入れを見ると彼のがあったが、その名刺には女性アイドルが全面に印刷されていた。
場面変わって、そこは韓国だった。ある人がある場所で、焼肉を食べた。その肉は日本と同じくらい美味かったようだ。
私は夢の中で、2日連続で同じ夢を見たような気がして、これでいいのかと思った。


今年の夢はこれで終わり。来年はいい夢を見たいものだ。というか、現実の世界を充実させなければならない。
コメント
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