36年前(1986年)のきょう3月23日は、第44期A級順位戦プレーオフ・大山康晴十五世名人VS米長邦雄十段・棋聖戦が行われた日である。
1985年度・第44期A級順位戦は、前期大山十五世名人が休場したことから、11名で行われた。これが史上まれに見る大混戦となり、最終戦はすべての対局に挑戦と降級が絡む戦いになった。
最終的に抜けたのは、米長二冠、加藤一二三九段、大山十五世名人。三者プレーオフとなった。まず加藤九段と大山十五世名人が戦い、千日手後に大山十五世名人が制し、米長二冠との挑戦者決定戦を迎えたというわけである。
話を順位戦本割に戻すと、大山十五世名人は4勝1敗の好スタートを切ったが、後半は勝ったり負けたりで、6勝4敗でフィニッシュ。
いっぽう米長二冠は前半を1勝4敗で折り返し。第6戦も有吉道夫九段に大苦戦を強いられた。そこを驚異の逆転勝ちで、息を吹き返した。以降も勝ち続け、同じく6勝4敗でプレーオフに持ち込んだというわけだ。
この勢いの差に加え、両者は3年前にダブルタイトル戦(王将戦と棋王戦)を戦い、米長二冠が大山十五世名人を完膚なきまでに叩きのめしていた。つまりどこから見ても、米長二冠が有利だった。
1986年3月23日は朝から雪。大決戦にふさわしい舞台となった。
将棋は先番・大山十五世名人が三間飛車。米長二冠は△3三銀と上がった。そこで大山十五世名人は▲3六歩と位取りを拒否。さればと米長二冠は△3一角と引き角にした。結果論だが、この構想がどうだったか。
大山十五世名人は▲3七角と転回し、左銀を天王山に据えて十分。しかし具体的に手を作るとなると難しい。だがそこで、大山十五世名人らしからぬ仕掛けが出た。
▲2五歩△同歩▲1七桂!(第1図) 玉頭の歩を突き捨て、玉側の桂を端に跳ねたのである。

福崎文吾七段が指しそうな奇抜な手で、大山十五世名人のこんな手は見たことがない。名人挑戦者決定戦にも拘わらず、まったく臆するところがない。さすがの米長二冠も意表を衝かれたか、以後の指し手がややちぐはぐになった。

そして第2図から、大山十五世名人が決めに出る。▲2四角!△同金▲5二銀!△3四金上▲4三銀成である。
4六に据わっていたなかなかの角を、スパッと切ったのが名手。以下△同金▲5二銀にA△4二金は、▲5三歩成△同金▲4一銀成で、角を取り返せば先手十分。
よって米長二冠はB△3四金上としたが、大山十五世名人は▲4三銀成と黙って成り返った。
この銀の動き、この6年後の第50期A級順位戦・谷川浩司竜王戦にも現れた。将棋というのは、敵陣に成駒を作って、まったり指すのがいいらしい。
この後も大山十五世名人の指し手は冴え、111手目▲4六香まで、大山十五世名人の勝利となった。▲1七桂は▲2五桂と跳ね、最後までいい働きをしたのである。
かくて大山十五世名人、63歳での名人挑戦なる! 翌日の毎日新聞には、感想戦で笑みをもらす、大山十五世名人の雄姿が掲載された。1948年の名人戦初登場から38年、その同一人物が名乗りを挙げたことに、すべての将棋ファンが感嘆の声を上げたのだった。
いっぽう米長二冠がその夜痛飲したのは、想像に難くない。米長二冠の名人獲得は、ここからさらに7年待つことになる。
1985年度・第44期A級順位戦は、前期大山十五世名人が休場したことから、11名で行われた。これが史上まれに見る大混戦となり、最終戦はすべての対局に挑戦と降級が絡む戦いになった。
最終的に抜けたのは、米長二冠、加藤一二三九段、大山十五世名人。三者プレーオフとなった。まず加藤九段と大山十五世名人が戦い、千日手後に大山十五世名人が制し、米長二冠との挑戦者決定戦を迎えたというわけである。
話を順位戦本割に戻すと、大山十五世名人は4勝1敗の好スタートを切ったが、後半は勝ったり負けたりで、6勝4敗でフィニッシュ。
いっぽう米長二冠は前半を1勝4敗で折り返し。第6戦も有吉道夫九段に大苦戦を強いられた。そこを驚異の逆転勝ちで、息を吹き返した。以降も勝ち続け、同じく6勝4敗でプレーオフに持ち込んだというわけだ。
この勢いの差に加え、両者は3年前にダブルタイトル戦(王将戦と棋王戦)を戦い、米長二冠が大山十五世名人を完膚なきまでに叩きのめしていた。つまりどこから見ても、米長二冠が有利だった。
1986年3月23日は朝から雪。大決戦にふさわしい舞台となった。
将棋は先番・大山十五世名人が三間飛車。米長二冠は△3三銀と上がった。そこで大山十五世名人は▲3六歩と位取りを拒否。さればと米長二冠は△3一角と引き角にした。結果論だが、この構想がどうだったか。
大山十五世名人は▲3七角と転回し、左銀を天王山に据えて十分。しかし具体的に手を作るとなると難しい。だがそこで、大山十五世名人らしからぬ仕掛けが出た。
▲2五歩△同歩▲1七桂!(第1図) 玉頭の歩を突き捨て、玉側の桂を端に跳ねたのである。

福崎文吾七段が指しそうな奇抜な手で、大山十五世名人のこんな手は見たことがない。名人挑戦者決定戦にも拘わらず、まったく臆するところがない。さすがの米長二冠も意表を衝かれたか、以後の指し手がややちぐはぐになった。

そして第2図から、大山十五世名人が決めに出る。▲2四角!△同金▲5二銀!△3四金上▲4三銀成である。
4六に据わっていたなかなかの角を、スパッと切ったのが名手。以下△同金▲5二銀にA△4二金は、▲5三歩成△同金▲4一銀成で、角を取り返せば先手十分。
よって米長二冠はB△3四金上としたが、大山十五世名人は▲4三銀成と黙って成り返った。
この銀の動き、この6年後の第50期A級順位戦・谷川浩司竜王戦にも現れた。将棋というのは、敵陣に成駒を作って、まったり指すのがいいらしい。
この後も大山十五世名人の指し手は冴え、111手目▲4六香まで、大山十五世名人の勝利となった。▲1七桂は▲2五桂と跳ね、最後までいい働きをしたのである。
かくて大山十五世名人、63歳での名人挑戦なる! 翌日の毎日新聞には、感想戦で笑みをもらす、大山十五世名人の雄姿が掲載された。1948年の名人戦初登場から38年、その同一人物が名乗りを挙げたことに、すべての将棋ファンが感嘆の声を上げたのだった。
いっぽう米長二冠がその夜痛飲したのは、想像に難くない。米長二冠の名人獲得は、ここからさらに7年待つことになる。