文化放送25日の「龍角散pesents・志の輔ラジオ落語DEデート」のゲストは山田邦子。はっちゃけた話が面白かった。
そして名作落語は、立川談志の「芝浜」。1966年5月7日、渋谷・東宝演舞場での噺である。
立川談志については、あらためて語るまでもない。
1952年、五代目柳家小さんに入門。1963年、真打に昇進し、(七代目)立川談志を襲名する。
1966年には「笑点」を企画し、自ら司会を務めた。第1回の放送は5月15日で、上記「芝浜」が演じられた8日後だった。
1983年、立川流を創設し、家元となった。
2011年11月21日、75歳で病没。
談志の落語は弁舌なめらかで、粋な江戸弁を堪能できる。芝浜でも、夫婦の会話が圧巻。当時談志は30歳で、最も脂が乗っていた時期だと思う。若さゆえの勢い、みずみずしさが感じられた。
私の好きな談志のエピソードを2つ挙げる。
談志が大御所になってからの話。ある落語で、前列の席で居眠りをしていた客にヘソを曲げ、落語を止めて袖に引っ込んでしまったことがあった。
たとえば「あんでるせん」のマスターも、客が集中しないでマジックを見ていると、憤慨することがある。一流の芸には、こちらも一流の客として臨まねばならないのである。
もうひとつ。談志とその付き人がタクシーに乗ったときのこと。運転手が「芸能人はいいなあ。テレビに出て好きなことをして、いっぱいおカネをもらえるんだから」と、談志に嫌味を言った。
談志は黙って聞いていたが、聞き終わって、「その通りだよ。なんであんたはやんねえんだよ」と言った。痛快な一言である。
これ、将棋に置き換えると、「棋士はいいよなあ。将棋を指しているだけでおカネをもらえるんだから」となる。これにももちろん、上の答えがそのまま当てはまる。結局、何をやるにも才能が要るということだ。
さて「芝浜」は人情話の最高峰で、サゲの「よそう。また夢になるといけねえ」は、日本で最も有名なサゲであろう。
この夫婦の会話は、亭主が芝浜で財布を拾ってから、3年目の大晦日だった。よって、芝浜は年の瀬に演じられることが多い。
今回分の「落語DEデート」は、Radikoで1月1日まで聴くことができる。興味のある方は、あさっての大晦日に聴いてみてはどうだろう。
そして名作落語は、立川談志の「芝浜」。1966年5月7日、渋谷・東宝演舞場での噺である。
立川談志については、あらためて語るまでもない。
1952年、五代目柳家小さんに入門。1963年、真打に昇進し、(七代目)立川談志を襲名する。
1966年には「笑点」を企画し、自ら司会を務めた。第1回の放送は5月15日で、上記「芝浜」が演じられた8日後だった。
1983年、立川流を創設し、家元となった。
2011年11月21日、75歳で病没。
談志の落語は弁舌なめらかで、粋な江戸弁を堪能できる。芝浜でも、夫婦の会話が圧巻。当時談志は30歳で、最も脂が乗っていた時期だと思う。若さゆえの勢い、みずみずしさが感じられた。
私の好きな談志のエピソードを2つ挙げる。
談志が大御所になってからの話。ある落語で、前列の席で居眠りをしていた客にヘソを曲げ、落語を止めて袖に引っ込んでしまったことがあった。
たとえば「あんでるせん」のマスターも、客が集中しないでマジックを見ていると、憤慨することがある。一流の芸には、こちらも一流の客として臨まねばならないのである。
もうひとつ。談志とその付き人がタクシーに乗ったときのこと。運転手が「芸能人はいいなあ。テレビに出て好きなことをして、いっぱいおカネをもらえるんだから」と、談志に嫌味を言った。
談志は黙って聞いていたが、聞き終わって、「その通りだよ。なんであんたはやんねえんだよ」と言った。痛快な一言である。
これ、将棋に置き換えると、「棋士はいいよなあ。将棋を指しているだけでおカネをもらえるんだから」となる。これにももちろん、上の答えがそのまま当てはまる。結局、何をやるにも才能が要るということだ。
さて「芝浜」は人情話の最高峰で、サゲの「よそう。また夢になるといけねえ」は、日本で最も有名なサゲであろう。
この夫婦の会話は、亭主が芝浜で財布を拾ってから、3年目の大晦日だった。よって、芝浜は年の瀬に演じられることが多い。
今回分の「落語DEデート」は、Radikoで1月1日まで聴くことができる。興味のある方は、あさっての大晦日に聴いてみてはどうだろう。