FIFAサッカーワールドカップ・カタール2022「日本VSスペイン」戦での、MF三苫選手のライン際のパスは、神懸かり的なものだった。上空から撮られた写真には、三苫選手の左足がグイッと伸び、サッカーボールをライン1mmのところで捉えていた。
この神の左足を見て、私は半世紀以上も前の出来事を思いだしたのである。
1969年10月30日、東京・後楽園球場で、読売ジャイアンツVS阪急ブレーブスの日本シリーズ第4戦が行われた。
川上哲治監督率いる巨人は、長嶋茂雄、王貞治らを擁し、リーグ5連覇中。日本シリーズも連覇中で、このシリーズも下馬評では有利だった。
いっぽう西本幸雄監督率いる阪急は、1967年にチーム初優勝を果たし、こちらもリーグ3連覇。しかし日本シリーズでは巨人に連敗し、今年こそは、の思いだった。
今回のシリーズは巨人、阪急、巨人と勝ち、この第4戦は阪急が負けられない一戦となった。
阪急は4回表を終え、3-0でリード。その裏に「事件」が起こった。
この回巨人は、先頭の土井正三、王が連打し、無死一、三塁のチャンスを掴んだ。ここで4番・長嶋は3ボール2ストライクからの6球目を強振し、三振。だがフルカウントだったので、王が二塁盗塁を試みていた。捕手の岡村浩二は二塁に送球するが、この間、三塁走者の土井もスタートを切っていた。いわゆるダブルスチールである。
二塁手の山口富士雄はその送球を手前で受け、捕手に返球する。ボールはショートバウンドになったが岡村はうまく捕球し、駆け込んでくる土井を鉄壁のブロックで跳ね飛ばした。
しかし球審・岡田功の判定は「セーフ!」。
「何だとお!」。岡村はすかさず岡田に食ってかかり、右手で岡田の胸をこづいた。
「退場!」
岡田はコールする。激高した岡村は、ミットのはまった左手で、さらに岡田を殴った。あたりは大乱闘となり、岡村は、日本シリーズ20回の歴史の中で、初の退場者となった。
実は岡村の激高には、伏線があった。打者長嶋のとき、ノーボール2ストライクからの3球目を長嶋がハーフスイングした。しかし岡田はボールの判定。もちろん阪急は猛抗議したが、判定が覆るはずもない。
岡田はセ・リーグの所属である。阪急は、「セ・リーグと巨人に有利な判定をするのか」と頭に血を上らせていたのだ。
では土井は、ホームを踏んでいたのか? 現在ならビデオ判定が導入されているが、当時は審判の判定は絶対である。それにそもそも、肝心のビデオ映像は土井の足が死角になって、見えなかった。ここは岡田の判定を信じるよりなかった。
しかし阪急から見れば、無得点で2死二塁のはずが、1点入って1死二塁では、雲泥の差である。
しかも動揺した阪急投手陣から巨人はさらに5点を奪い、6対3と一気に逆転したのだった。
収まらないのは阪急である。その怒りの矛先は、球審岡田に向けられた。
7回裏、巨人の攻撃のとき、3番手の捕手・岡田幸喜が高めの球を捕球せず、岡田球審に当たった。そんなケースが何度かあり、岡田球審は新たなボールを三塁手や投手に、ゴロで返したりした。
そんな異様な雰囲気のまま、試合は9-4で巨人の勝ちに終わった。岡田の誤審の疑いは拭えず、後味の悪い試合となった。
ところが――。
翌日のスポーツ紙面を見て、全国の野球ファンが「あっ」と驚いた。
その1面には、捕手・岡村のブロックの隙間から土井の左足がニョッキリと伸び、ホームベースを踏んでいる写真が掲載されていたのだ。
実は岡田も、試合後の談話で「土井の足がベースを踏んでいた」と述べていた。
また当の土井も「ブロックにそのまま突っ込むとケガをする。ブロックの隙間に足を入れ、その勢いのまま右側に倒れた」と語っていた。
それでも大半の野球ファンは、その言葉を疑っていたのだ。
ところが試合後の夜、岡田には、東京新聞運動部・近藤唯之から「そのときの写真が現像されたが、あなたの判定が正しかった」と伝えられていた。
むろん岡田は自分の判定に自信を持っていたが、最悪の場合、辞職も考えていた。だからこの報告には、ほっと胸をなで下ろした。
だが、万が一ということもある。翌朝岡田は街に繰り出し、新聞全紙を買って、その写真を確認した。そのどれもが、土井のセーフを証明していた。ここに岡田の名誉は回復され、名審判に名を連ねることになった。
そしてこのシリーズは4勝2敗で巨人が勝ち、日本一となった。
もし、岡田の判定が間違っていたら――。2勝2敗で流れは阪急である。日本シリーズの勝敗も、入れ変わっていたかもしれない。
以上がこの「事件」の概要である。ちなみに、岡田、岡村、土井、長嶋、山口の主要登場人物すべてが、立教大学OBというおまけつきだった。
話を戻して、ワールドカップの三苫のパスも、正しい判定がなされなかったら、日本が決勝トーナメントに行けたかどうか分からない。
今夜のクロアチア戦、日本は悔いのないプレー、積極的なプレーをしてください。陰ながら応援しております。
この神の左足を見て、私は半世紀以上も前の出来事を思いだしたのである。
1969年10月30日、東京・後楽園球場で、読売ジャイアンツVS阪急ブレーブスの日本シリーズ第4戦が行われた。
川上哲治監督率いる巨人は、長嶋茂雄、王貞治らを擁し、リーグ5連覇中。日本シリーズも連覇中で、このシリーズも下馬評では有利だった。
いっぽう西本幸雄監督率いる阪急は、1967年にチーム初優勝を果たし、こちらもリーグ3連覇。しかし日本シリーズでは巨人に連敗し、今年こそは、の思いだった。
今回のシリーズは巨人、阪急、巨人と勝ち、この第4戦は阪急が負けられない一戦となった。
阪急は4回表を終え、3-0でリード。その裏に「事件」が起こった。
この回巨人は、先頭の土井正三、王が連打し、無死一、三塁のチャンスを掴んだ。ここで4番・長嶋は3ボール2ストライクからの6球目を強振し、三振。だがフルカウントだったので、王が二塁盗塁を試みていた。捕手の岡村浩二は二塁に送球するが、この間、三塁走者の土井もスタートを切っていた。いわゆるダブルスチールである。
二塁手の山口富士雄はその送球を手前で受け、捕手に返球する。ボールはショートバウンドになったが岡村はうまく捕球し、駆け込んでくる土井を鉄壁のブロックで跳ね飛ばした。
しかし球審・岡田功の判定は「セーフ!」。
「何だとお!」。岡村はすかさず岡田に食ってかかり、右手で岡田の胸をこづいた。
「退場!」
岡田はコールする。激高した岡村は、ミットのはまった左手で、さらに岡田を殴った。あたりは大乱闘となり、岡村は、日本シリーズ20回の歴史の中で、初の退場者となった。
実は岡村の激高には、伏線があった。打者長嶋のとき、ノーボール2ストライクからの3球目を長嶋がハーフスイングした。しかし岡田はボールの判定。もちろん阪急は猛抗議したが、判定が覆るはずもない。
岡田はセ・リーグの所属である。阪急は、「セ・リーグと巨人に有利な判定をするのか」と頭に血を上らせていたのだ。
では土井は、ホームを踏んでいたのか? 現在ならビデオ判定が導入されているが、当時は審判の判定は絶対である。それにそもそも、肝心のビデオ映像は土井の足が死角になって、見えなかった。ここは岡田の判定を信じるよりなかった。
しかし阪急から見れば、無得点で2死二塁のはずが、1点入って1死二塁では、雲泥の差である。
しかも動揺した阪急投手陣から巨人はさらに5点を奪い、6対3と一気に逆転したのだった。
収まらないのは阪急である。その怒りの矛先は、球審岡田に向けられた。
7回裏、巨人の攻撃のとき、3番手の捕手・岡田幸喜が高めの球を捕球せず、岡田球審に当たった。そんなケースが何度かあり、岡田球審は新たなボールを三塁手や投手に、ゴロで返したりした。
そんな異様な雰囲気のまま、試合は9-4で巨人の勝ちに終わった。岡田の誤審の疑いは拭えず、後味の悪い試合となった。
ところが――。
翌日のスポーツ紙面を見て、全国の野球ファンが「あっ」と驚いた。
その1面には、捕手・岡村のブロックの隙間から土井の左足がニョッキリと伸び、ホームベースを踏んでいる写真が掲載されていたのだ。
実は岡田も、試合後の談話で「土井の足がベースを踏んでいた」と述べていた。
また当の土井も「ブロックにそのまま突っ込むとケガをする。ブロックの隙間に足を入れ、その勢いのまま右側に倒れた」と語っていた。
それでも大半の野球ファンは、その言葉を疑っていたのだ。
ところが試合後の夜、岡田には、東京新聞運動部・近藤唯之から「そのときの写真が現像されたが、あなたの判定が正しかった」と伝えられていた。
むろん岡田は自分の判定に自信を持っていたが、最悪の場合、辞職も考えていた。だからこの報告には、ほっと胸をなで下ろした。
だが、万が一ということもある。翌朝岡田は街に繰り出し、新聞全紙を買って、その写真を確認した。そのどれもが、土井のセーフを証明していた。ここに岡田の名誉は回復され、名審判に名を連ねることになった。
そしてこのシリーズは4勝2敗で巨人が勝ち、日本一となった。
もし、岡田の判定が間違っていたら――。2勝2敗で流れは阪急である。日本シリーズの勝敗も、入れ変わっていたかもしれない。
以上がこの「事件」の概要である。ちなみに、岡田、岡村、土井、長嶋、山口の主要登場人物すべてが、立教大学OBというおまけつきだった。
話を戻して、ワールドカップの三苫のパスも、正しい判定がなされなかったら、日本が決勝トーナメントに行けたかどうか分からない。
今夜のクロアチア戦、日本は悔いのないプレー、積極的なプレーをしてください。陰ながら応援しております。