佐藤康光九段を首長とする佐藤一族ほどではないが、伊藤一族も役者ぞろいだ。2021年3月5日に「佐藤一族」を書いたが、今回は「伊藤一族」である。
伊藤果八段……
1975年6月、四段デビュー。伊藤八段は、1979年度の連勝賞(12連勝)、1980年度の順位戦昇級などの活躍があるが、全国区になったのは、1981年度の第31回NHK杯戦である。この年から全員参加になった同棋戦で、伊藤五段は、予選2連勝、本戦5連勝で、決勝戦は加藤一二三十段との対戦になった。伊藤五段は後手番で風車を選択したが、充実の加藤十段に完璧に指され、惜敗。準優勝に終わった。
順位戦は最高位C級1組だったが、竜王戦は第8期で1組に昇級。翌第9期は米長邦雄九段に勝ち、堂々の1組確定を決めた。
詰将棋作家としても有名で、スポーツ報知では詰将棋コーナーを持っている。しかし合駒問題などが多く、簡単そうに見えてすこぶる難しい。
2011年6月、現役引退。
伊藤博文七段……
1984年8月、24歳で四段デビュー。
伊藤七段は各棋戦で可もなく不可もない戦績だった。順位戦C級2組も、地味に降級点を重ね、1999年、フリークラスに降級した。
しかし伊藤七段がすごかったのはここからで、その2年後の2001年5月、規定の成績を取り、順位戦C級2組への復帰を決めた。
当時は、フリークラスに降級したら、順位戦に復帰はできないと言われていた。復帰規定のハードルが高く、それをクリアできるくらいの実力者なら、そもそも降級しないだろう、という理屈からだ。
だが伊藤七段はそれをやった。フリークラスに落ちても、復帰できる。ほかのフリークラス棋士に希望を与えたことも含め、この快記録は貴重だった。
2020年5月、引退。現在は、西山朋佳女流三冠の師匠、と言うほうが、通りがいいだろうか。
伊藤能七段……1992年10月、30歳でデビュー。デビューが遅いと大成できないのか、順位戦や竜王戦では、あまり活躍できなかった。
だが伊藤七段は文筆に活路を見出し、「将棋世界」などで記事を書くようになった。さらに棋聖戦(産経新聞社)の観戦記者も務めるようになる。伊藤七段の文章は真面目で、とても好感が持てた。
だが、2016年12月25日、54歳で急逝。絶局はその8日前の第30期竜王戦6組で、アマとの対戦だった。アマの振り飛車に伊藤七段は左美濃に組んだが、▲9八角と打った手が異常な受けで、以下、短手数で敗れた。
伊藤七段の死後、2017年元日からの産経新聞には、伊藤七段の観戦記が載った。私は、これほど哀しい観戦記を読んだことがない。
伊藤真吾六段……
2007年4月、奨励会三段リーグでの次点2回で四段デビュー。三段時代から実力は認められていたので、すぐにでも順位戦に参戦できると思ったが意外に手間取り、2011年10月、第24期竜王戦6組で大野八一雄七段に勝ち、5組昇級&順位戦に昇級という、ダブル昇級をやってのけた。
2019年3月に、YouTube「イトシンTV」を開設した。棋士ユーチューバーとしては、古参に入ると思う。私は一度も見たことがないから分からないが。
そして、伊藤匠七段である。伊藤七段のプロフィールを書くとき、現在は「第36期竜王戦の挑戦者」がメインである。これから、どんな実績が上書きされていくのだろうか。
とりあえず、あすから竜王戦七番勝負である。
伊藤果八段……
1975年6月、四段デビュー。伊藤八段は、1979年度の連勝賞(12連勝)、1980年度の順位戦昇級などの活躍があるが、全国区になったのは、1981年度の第31回NHK杯戦である。この年から全員参加になった同棋戦で、伊藤五段は、予選2連勝、本戦5連勝で、決勝戦は加藤一二三十段との対戦になった。伊藤五段は後手番で風車を選択したが、充実の加藤十段に完璧に指され、惜敗。準優勝に終わった。
順位戦は最高位C級1組だったが、竜王戦は第8期で1組に昇級。翌第9期は米長邦雄九段に勝ち、堂々の1組確定を決めた。
詰将棋作家としても有名で、スポーツ報知では詰将棋コーナーを持っている。しかし合駒問題などが多く、簡単そうに見えてすこぶる難しい。
2011年6月、現役引退。
伊藤博文七段……
1984年8月、24歳で四段デビュー。
伊藤七段は各棋戦で可もなく不可もない戦績だった。順位戦C級2組も、地味に降級点を重ね、1999年、フリークラスに降級した。
しかし伊藤七段がすごかったのはここからで、その2年後の2001年5月、規定の成績を取り、順位戦C級2組への復帰を決めた。
当時は、フリークラスに降級したら、順位戦に復帰はできないと言われていた。復帰規定のハードルが高く、それをクリアできるくらいの実力者なら、そもそも降級しないだろう、という理屈からだ。
だが伊藤七段はそれをやった。フリークラスに落ちても、復帰できる。ほかのフリークラス棋士に希望を与えたことも含め、この快記録は貴重だった。
2020年5月、引退。現在は、西山朋佳女流三冠の師匠、と言うほうが、通りがいいだろうか。
伊藤能七段……1992年10月、30歳でデビュー。デビューが遅いと大成できないのか、順位戦や竜王戦では、あまり活躍できなかった。
だが伊藤七段は文筆に活路を見出し、「将棋世界」などで記事を書くようになった。さらに棋聖戦(産経新聞社)の観戦記者も務めるようになる。伊藤七段の文章は真面目で、とても好感が持てた。
だが、2016年12月25日、54歳で急逝。絶局はその8日前の第30期竜王戦6組で、アマとの対戦だった。アマの振り飛車に伊藤七段は左美濃に組んだが、▲9八角と打った手が異常な受けで、以下、短手数で敗れた。
伊藤七段の死後、2017年元日からの産経新聞には、伊藤七段の観戦記が載った。私は、これほど哀しい観戦記を読んだことがない。
伊藤真吾六段……
2007年4月、奨励会三段リーグでの次点2回で四段デビュー。三段時代から実力は認められていたので、すぐにでも順位戦に参戦できると思ったが意外に手間取り、2011年10月、第24期竜王戦6組で大野八一雄七段に勝ち、5組昇級&順位戦に昇級という、ダブル昇級をやってのけた。
2019年3月に、YouTube「イトシンTV」を開設した。棋士ユーチューバーとしては、古参に入ると思う。私は一度も見たことがないから分からないが。
そして、伊藤匠七段である。伊藤七段のプロフィールを書くとき、現在は「第36期竜王戦の挑戦者」がメインである。これから、どんな実績が上書きされていくのだろうか。
とりあえず、あすから竜王戦七番勝負である。