一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

冬の九州旅行2014・3「すき家と吉野家」

2015-06-25 00:52:44 | 旅行記・九州編
(23日のつづき)
西都城は思い出深い地で、数年前ここを訪れた時、ひょんなことから地元の老夫婦と知り合いになった。お二人とも体調は万全ではなかったが、気力は充実しているように見えた。昼食までごちそうになり、後日写真を送ったら、その数日後、新米を送り返してくれた。今はお元気だろうか。
この話を書いているとキリがないので、2014年に戻る。さて、夕食である。駅前に食事処の類はないので、駅前通りをぶらぶらする。ポツポツと食堂の類はあるのだが、帯に短しタスキに長しで、どうもフンギリがつかない。
牛丼のすき家があったので、入る。吉野家が12月17日から牛丼並盛を300円から380円に値上げする。すき家は4月の消費税増税後に270円に値下げしたが、(2014年12月12日)現在は291円。容量の問題もあるが、大いに奮闘しているといっていいだろう。
すき家の牛丼は美味かった。大いに満足して、西都城駅に戻る。駅構内の待合室はだだっ広い。何かイベントに使えそうだが、そうしたことはあるのだろうか。
18時47分の日豊本線下りで、鹿児島中央に向かう。20時17分、鹿児島中央着。今夜泊まる宿は「かごしまプラザホテル天文館」。天文館までは歩いて行くが、そこから先が分からない。
さんざん道に迷って、ようやく見つけることができた。チェックインする。素泊まり3,900円だから多くは期待しないが、室内は清潔でなかなかよい。
2階にビジネスルームがあり、PCが無料で使えるとのことで、早速向かった。
室内はLPSA金曜サロンと同じ匂いがして、懐かしい。ともあれこれでブログが書けるが、2台あるうちの1台は、なぜか「ひらがな入力」しかできない。もう1台は起動せず、これで困ってしまった。
私はスタッフを呼んで直してもらうが、やっぱりひらがな入力に戻ってしまう。私のイライラも頂点に達し、有料でパソコンを借りてしまった。
ブログを書くために1,000円の出費…。バカじゃなかろうか。もう、旅先のブログは止めたほうがいい。いや、ブログ自体の毎日更新を止めればいいのか…。
今夜はさすがに、有料ビデオは利用しなかった。

13日(土)は、朝6時すぎに起きた。今日は年に1度のお楽しみ(のひとつ)、長崎県川棚の喫茶店「あんでるせん」で、マスターのマジックを楽しむのだ。予約は午後5時半だが、「青春18きっぷ」をメインに使うため、机上の計画では、観光の時間がない。
それなら最初から長崎空港に向かえばいいじゃないか、とも言えるが、徐々に目的地に向かい、気分を高めていくのがいいのである。
交通費節約のため鹿児島中央まで徒歩で行き、改札で青春18きっぷの2日目にスタンプを捺してもらう。
07時04分発の川内(せんだい)行きに乗る。車内はほどよい混み具合で、私は立って行った。
川内着07時56分。タイム3分の待ち合わせで、すぐ先にある肥薩おれんじ鉄道に乗り換える。
肥薩おれんじ鉄道は、九州新幹線開業と引き換えにJR鹿児島本線から分離され誕生した路線である。が、JR九州はドル箱の鹿児島中央―川内間は手放さなかった。移管した川内―八代は赤字路線だが、おれんじ鉄道は健気に頑張る。最近のヒットは、列車内で豪華な食事が摂れる「おれんじ食堂」が有名だ。
川内―八代は2,620円。同区間を九州新幹線で利用すれば、自由席利用で3,550円。川内―新八代間は約30分で、これでは全区間を乗り通す人が、新幹線に流れる道理だ。
それでも私が肥薩おれんじ鉄道を利用したのは、今回青春18きっぷを提示することで、「おれんじ18フリーきっぷ」が、2,060円で購入できるからであった。
しかしその購入に手間取ったため、あたふたする。私の乗車を待って、1両の列車は出発した。
出水着08時59分。ここで25分の待ち合わせである。出水は新幹線の停車駅ではあるが、駅周辺にこれといった店はない。遠出はせず、列車の写真などを撮った。
09時24分発。車内は私、男性2人組、女性2人組、男性1人の計6人。私はボックス席を独り占めしたが、これはふつうの行動だろう。
だが、八代に近づくにつれどんどん客が乗り、ボックス席にいる私が場違いな雰囲気になってしまった。
10時48分、八代着。ここで再び鹿児島本線に戻る。おれんじ鉄道は、ただ通過するだけで終わってしまった。
タイム23分の待ち合わせで、11時11分、八代発。熊本には、11時48分に着いた。
このままJRを乗り通すと川棚着が危ぶまれるので、ショートカットをする。1.ここで三角線に乗り換え、三角港からフェリーで島原半島に渡り、島原鉄道→大村線というルート。2.ここ熊本で下車し熊本港からフェリーに乗り、島原半島に渡るルート…があるが、私は鹿児島本線の上りに乗るつもりだ。そして長洲で下車しフェリーに乗るつもりで、これが最も料金が安く済むのだ。
熊本駅では「吉祥うどん」なる立ち食いそば屋があったが、かけそばが370円では食う気がしない。たぶん、かしわ肉が入っているからだと思うが、私の頭は、豊吉うどんの190円が基準になっているのだ。
その隣の吉野家にも入りたかった。何しろ、300円で並が食べられるのも、あと4日なのだ。ただ、次の列車の乗り換えまで14分しかなく、断念せざるを得なかった。
12時02分発の上りに乗る。列車はロングシートで、これは余裕で座れた。
西里で、幼い小学生の兄妹が乗ってきた。私があのころの歳の時、私には電車に乗るという選択肢はなかった。あれはもう、未知の乗り物だった。
しかし彼らは乗り慣れているのか、ふつうに話をしている。昨日の日南線もそうだが、年少者に感心することは多い。
車中で列車ダイヤを調べる。すると、このままJRを乗り継いで佐賀側から入っても、17時ごろには川棚に着けることが分かった。しかし、おカネはかかるけれども、フェリーの行程を入れたほうが、旅に彩りが出る。それに、島原鉄道にも乗りたい。
玉名、という将棋関係者が下車したくなるような駅で、女子高生2人が乗り、私の向かいに座った。
私の行先は、兄妹や彼女らに委ねようか…。どうする?
(29日につづく)
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中井広恵女流六段は、女優の岡江久美子と高岡早紀に似ている

2015-06-24 00:48:08 | 似ている
日付変わって今日6月24日は、中井広恵女流六段のお誕生日。おめでとうございます!!

その中井女流六段は、女優の岡江久美子に似ていると思う。
岡江久美子は、1956年8月23日、東京生まれの58歳。1975年にテレビドラマへの出演で芸能界デビューした。芸能界の知性派で、NHKの「連想ゲーム」では、長年レギュラーを務めた。夫の大和田獏とは、この番組での共演がきっかけで結婚した。
またTBSの情報番組「はなまるマーケット」では、司会を17年半務めた。
女優としての代表作は数多あるが、私の好きな役は、テレビ朝日「土曜ワイド劇場・終着駅シリーズ」の牛尾澄枝と、テレビ東京「ミステリー9・密会の宿シリーズ」桑野厚子である。どちらも他人を思いやる心がよく表現されていて、ふだんの岡江久美子もあんな感じなのかなと思う。
中井女流六段と岡江久美子は、顔は似てないが、さっぱりとした性格と、仕事をキッチリこなしながら、家庭もしっかり守っているという点が似ている。

中井女流六段はもう一人、女優の高岡早紀に似ていると思う。
高岡早紀は、1972年12月3日、神奈川県生まれの42歳。少女雑誌のモデルを務め、1988年のCM出演で芸能界デビュー。以後、数々のテレビや映画に出演する。また1995年には写真集も出版し、そのダイナマイトな肢体は、写真集の歴史に燦然と輝いている。
高岡早紀は全身からお色気があふれ出ているが、それなのにどこかサッパリした印象がある。たぶん、性格がサバサバしているのであろう。私が好きな女優の一人である。
現在はTBS「天皇の料理番」に出演中である。
中井女流六段と高岡早紀は、顔の造りと、どこか品のあるところが似ている。

中井女流六段は最近パッとしないが、今年度は5勝0敗と、好調である。久しぶりのタイトル戦登場を期待したい。
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冬の九州旅行2014・2「一風変わった旧志布志線の旅」

2015-06-23 00:17:11 | 旅行記・九州編
22日はテレビ朝日の「Qさま!!超頭脳対決」を観たが、なんで堀江貴文中心の構成になっているのか、よく分からなかった。出演者はいっぱいいるんだから、もっと均等に扱ってもらわないと。プロデューサーは、堀江貴文に弱みでも握られてるの?
あと、ビリギャルの先生の解説は要りません。

(きのうのつづき)
旅先で地元の人に案内していただくのは、1988年9月2日の秋田県角館以来。あの時は目もくらむほどの美人と武家屋敷を回り、私のその後の人生が変わったのだ。
今回オニイサンは、クルマで案内してくれるという。駅前を歩くが、かつて鉄路が通っていたところは、公園になっていた。
さっきの幼稚園児が遊んでいる。大人は仕事をするのが仕事だが、子供は遊ぶのが仕事である。大いに遊んでもらいたい。
「志布志は、志布志市志布志町志布志、志布志市役所志布志支所があります」
「ハハハ」
オニイサン鉄板の早口言葉なのだろう。
オニイサン所有の軽自動車に乗る。名刺代わり、という感じで、ペットボトルのお茶をくれる。そしてこれから、市内を詳しく案内してくれそうな雰囲気である。恐縮だが、何でこんなによくしてくれるのだろう。東京モンは無償の親切をいぶかしく思う癖があるのだ。
少し走ると、志布志鉄道記念公園があった。ここで一旦降りる。
「あの噴水、あれが昔の転車台です」
なるほど、見れば列車1台分の直径である。鉄道遺構は静態保存が望ましいが、ああいった再活用もベターであろう。
キハ58と蒸気機関車C58が連結して留め置かれていた。どちらも現役時代は志布志周辺を走っていたのだろう。
私はどこを案内してもらってもいいが、郵便局は絶対に寄りたい。それを言うと、近くにある志布志郵便局に連れていってくれた。私は1,212円を貯金して、今日の目的は完了である。
ここから本格的に志布志観光となる。何となく、お互いの名前を述べる。オニイサンは塚本、といった。
塚本氏、志布志は見どころがいっぱいあるのに、地元の人がまったく動かないという。
「それで役所に掛け合って、志布志市内のパンフレットを作りました」
そう言って、私に一部くれた。これがそうらしい。
志布志市役所志布志支所に行く。
「ここが志布志市志布志町志布志、志布志市役所志布志支所です」
市役所の前にはご丁寧に、「こちらは、志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所です。」の大看板が掲げてあった。
クルマは味わい深い通りを走る。志布志はよい意味で観光地化されていないので、名所旧跡が手つかずのまま残っている感じだ。
くすんだ寺の前で降りる。この寺がまた味わい深いが、それだけに観光客が集まらない感じだ。
その後も、商家や町家、数々の屋敷跡を回った。それで思ったのだが、やはりクルマは便利だ。時間に縛られず小回りが利くので、短時間であっちこっちを観光できる。私がパンフレットと首っ引きで志布志市内を回ったら、ここまでですでに2時間はかかっていそうだ。
とはいえ、知らない町をクルマで行くのは、将棋を指しながら棋譜を付けるようなもので、気が散って観光にならない。やはり私は、公共交通機関を利用するのが性に合っているようである。
塚本氏が、地元で人気のラーメン屋に案内してくれた。「マルチョンラーメン」とあり、ここも何かのコンクールで2位になったことがあるらしい。
いままでの御礼に、ここは私が食事代を出すつもりだったが、塚本氏はガンとして受け付けず、券売機の前に立つと、スペシャル大盛りラーメンのボタンを2回押した。何と、1杯1,300円だった。
出てきたラーメンは、具が全部乗っているものだった。これは期待できるが、まず、スープが美味かった。これは野菜の甘さであろう。九州ラーメンにありがちなこってり感がなく、さらっとしている。麺はツルツルしていて、喉越しがよい。後味がよく、これは毎日でも食べられるラーメンだ。コンクール2位はダテじゃなかった。ごちそうさまでした。
次は、旧志布志線を走破する。これがメインであるが、西都城まで乗せていってくれるということだろうか。さすがに申し訳ない気がする。
聞くと、塚本氏は志布志線(の一部)で通学していたことがあるそうで、そこをバスで回ってみたいという私に共感を覚えたらしい。
志布志線廃止の影響を聞くと、意外にもなかったという。別のバス路線のほうが、使い勝手がよかったらしい。
どうも、都城―志布志を乗り通す利用客自体がいなかったようである。これでは志布志線、廃止になるべくしてなったという感じだ。
「志布志線の車内アナウンスをしてみましょうか」
「おお。お願いします」
「本日は志布志線にご乗車いただき、ありがとうございます。停車する駅は中安楽、安楽、伊崎田、大隅松川、岩川、岩北、末吉、今町、西都城、都城です。都城着は8時43分…」
私はただただ感激するばかりである。途中、私が大隅線と志布志線を混同していたため話が噛み合わないことがあったが、バスと鉄道好きの2人なので、話が弾む。
塚本氏は当然とはいえ、あそこが廃線跡、ここが廃線跡と詳しい。私から見ればただの舗装道路だから、これでは廃線跡など分からないわけだ。
塚本氏の口癖は「です、です」のようで、これが出れば、私の言葉が的を射ていると推測できた。
塚本氏オススメの旧駅舎に向かう。これが鉄道ファンには涙が出そうな施設で、逆に恐くなった。
数年前、肥薩線の嘉例川駅で、ホーロー製の「かれいがわ」の第3種駅名板が盗まれたことがあった。鉄道マニアは善人ばかりではない。この駅舎内の宝の山に、私はあの事件の再発を恐れる。
よって、この駅の詳細は記さない。
末吉鉄道記念館に着いた。閉館で中へは入れなかったが、構内を散策できただけで十分である。
この辺りから、サイクリングロードが目立ってきた。しばらく走ると、明らかに見覚えのある景色になった。西都城から少なくともこの辺りまでは、廃線跡がサイクリングロードに転用されており、前も記したが、私はこの数キロを歩いたことがあるのだ。その記憶が蘇ってきた。
冬の陽は短いが、ここは九州なので、まだ踏ん張っている。ちょうどいい黄昏時だ。
西都城には午後5時半ごろに着いた。塚本氏は「バスフォーラム鹿児島」とかいうサイトの常連らしく、毎日何かを書いていると別れ際に言った。私もブログを書いている旨を伝えたが、将棋の話題が主だから、詳しくは伝えなかった。
軽自動車は出発した。私はいつまでもお辞儀をする。本当に塚本氏にはお世話になった。この場で厚く御礼を申し上げたい。かくして志布志を降りる時は予想もしていなかった、感謝だらけの旧志布志線の旅であった。
(25日につづく)
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冬の九州旅行2014・1「幼稚園児に教えられる」

2015-06-22 00:10:52 | 旅行記・九州編
12日(金)。宮崎ファイブシーズホテルで無料の朝食を摂り、チェックアウトする。
そのまま駅までまっすぐ歩く。ちなみに昨年は左手にある総合病院の前を通り、大通りに戻ったのだ。
もちろん、今回の道の方が、歩いていて楽しい。両脇は飲食店が並んでいるが、今はシャッターを下ろしてひっそりとしている。しばらく歩くと、横を貫く大通りに遮られるが、その先も「一番街」というアーケード街だ。
さらに進むと車道のデザインが蛇行しはじめ、これはこれで味わい深い雰囲気になってきた。
そのまま歩き、宮崎駅前に着いた。駅側から見ると、大通りの1本脇が、繁華街の入口だったことになる。今までちっとも気付かなかった。
今日は日南線の志布志まで出て、路線バスで日豊本線・西都城に出る。最終的には鹿児島で宿泊する予定である。ちなみにホテルは、旅行前に予約しておいた。
今日はかなりJRを利用するので、かなり迷ったのだが、「青春18きっぷ」(11,850円)を買った。とはいえこれはJRの普通列車をのべ5日間使うので、今回の旅行だけでは使い切れない。
帰京したら必然的にもう1度旅行することになるが、まあ何とかなるだろうと思った。
さて宮崎駅といえば、駅構内にある「三角茶屋・豊吉うどん」である。ここのうどんが廉価ながらフワフワしていて美味く、時間があれば食すことにしている。今回もそうした。
かけうどんが190円と、涙が出るような安さだ。カウンターの席に座り、ズルッ…。
この時、「青春18きっぷ」を買ったことを何故か後悔した。年末の忙しい時にまた家を出ることに、躊躇を覚えたのである。

09時10分発の日南線に乗る。列車に揺られること19分、青島で降りた。今年(2014年)のゴールデンウイークにも下車しているからいささか芸がないが、もちろん目的はある。
5月に青島神社を訪れたとき、Minamiちゃんに「女力」御守をプレゼントしたのだが、それと同じものを和田あき女流初段とHanaちゃんにもプレゼントしようと考えたのだ。
冬だからか、青島駅で降りる客は少なかった。青島海岸に着くと、波が高い。潮も満ちて、5月とは雰囲気を異にしている。
弥生橋をオート三輪が渡っていったが、後ろに観光客を乗せるようだ。
青島神社に入り、本殿手前の社務所で御朱印を所望する。前回の御朱印もここ青島神社で、同じ神社を2回続けたのはもちろん初めてだ。
「あれ、これ私の字だ」
宮司さんが驚いた。
筆記の時間を利用して、私は参拝をする。「賽の目神事」というのがあり、「学、交、身、金、厄、縁」の目がある賽を振り、占うものだ。1回100円で、私が振ったら「学」が出た。「学」の引き出しからみくじ箋を引いて、儀式が完了である。
今回初めて気が付いたのだが、本殿脇に絵馬を奉納するスペースがあり、それがきらびやかな雰囲気を醸し出していた。
お土産を買うには早いが、両親に「長寿箸」を買う。どうせ喜ばれないのだが、つい買ってしまう。
「女力」御守は、5つ買った。Minamiちゃんのお姉さん2人にもプレゼントしなければと考え、つい購入数が多くなってしまった。これじゃプレイボーイだ。
御朱印は例によって600円。強制的に2つ書くので、こんな値段になる。私は両親用に、さらに「男力」「女力」の御守を買った。
最後に青島を一周して、これで参拝は終わりである。青島神社は御守の種類が豊富で、そこかしこに遊び心があり、巡っていて、楽しい。いわゆるプチテーマパークの趣があるのだ。「萌え神社」として、もっとマスコミに取り上げられてもいいと思う。
駅に戻り、11時02分の列車でさらに下る。次の駅は「折生迫」。おりゅうさこ、と読む。
さらに4つ先の北郷は駅舎が立派で、思わず下車したくなるが、今日は志布志まで直行しちゃわないと、後の予定がガタガタになる。
一駅着くごとに、駅名板を撮影している乗客がいる。6月に根室本線の普通列車に乗ったときもそうだったが、最近はこの手合いが増えてきた。
飫肥着。ここは以前観光したことがあるが、武家屋敷に風情があった。
油津着。ここは5月に観光したが、昭和初期の建物が印象深かった。アーケード街にある喫茶店に入れなかったのが悔やまれる。
串間に着くと、3人の保母さんに従われ、20人近くの幼稚園児が乗ってきた。
私がまともな人間だったら、はるか昔に結婚し、子供の何人かもいただろう。このくらいの子供はとっくに育て上げなければいけないのだが、ついぞ叶わなかった。
子供たちは列車前方のボックス席にまとまって座る。日南線の車窓は素晴らしく時の経つのを忘れるが、彼らの存在もなかなかに興味深い。
彼らは時折キャッキャッと歓声を上げ、快活におしゃべりをする。が、その雰囲気がどこか上品だ。親御さんや保母さんのしつけがしっかりしているのだろう。
13時19分、列車は終点・志布志に到着した。幼稚園児はみなが降りるのを待って、しずかに下車する。何か、幼稚園児に乗車マナーを教えられた気がした。

日南線志布志駅は、片側1面ホームのみだが、かつては志布志線と大隅線を擁し、何本ものホームを有する一大ジャンクションだった。
しかし両線とも1982年に廃止され、志布志駅も数十メートル短縮され、こじんまりした駅に没落してしまった。
昭和の末期に多くの国鉄路線が廃止されたが、志布志ほどかわいそうな駅はないと思う。
改札口横にある、観光案内所に入る。これは数年前に新設されたものだ。
私が次に乗るべきは三州自動車・都城行きで、これが旧志布志線をトレースしているのである。以前、旧大隅線の代替ルートをバスで走破したことはあるが、旧志布志線のそれは、西都城側からサイクリングロードを数キロ歩いただけだった。今回は念願の全線走破となるのだ。その出発時刻を再確認しようというわけである。そして、志布志周辺のパンフレットももらえればと思った。
入口近くに貼ってあった時刻表を見る。実は前夜、ネットで確認していたのだが、念のためである。
志布志発の都城行きは、08時40分、10時30分、16時00分の3本だけだった。昨年(2013年)、宮崎県の村所から乗ったバスもローカル色満載だったが、ここの3本もスゴイ。国鉄路線の代替とは思われない閑散ぶりである。しかしそれだけに、乗ってみたくなるのだ。
…と、ドアの外側から、私に挨拶をしてくるオニイサンがいた。
「これからどこか行かれるんですか?」
「ああ、このバスで都城まで」
「ほうほう」
オニイサンの歳のころは40歳代だ。
「この路線バスに乗る人はいないと思うんですけど、国鉄が走っていたところを乗ってみたくて」
「次は4時ですね。時間があるから、私がこの辺を案内しましょうか?」
オニイサンは地元在住の感じだったが、乗り物オタク風の男にガイドをしたって、面白くはなかろう。それで何のメリットがあるのか?
私は返答に窮したが、どうもオニイサンは、私に「同じニオイ」を感じたようだった。
それで私も、オニイサンの言葉に甘えることにした。そしてここから、想像もしていなかった展開になるのである。
(つづく)
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冬の九州旅行2014・0「繁華街があった」

2015-06-21 01:48:53 | 旅行記・九州編
20日に放送されたテレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅・第20弾」は、北海道編。ちょうど1年前、私は北海道を旅行していたこともあり、興味深く観た。
北海道はバス路線が少ないので、ルートの選択肢も限られており、今回はちょっと面白味に欠けたかな。次回に期待。


今年(2014年)も長崎県川棚駅前にある喫茶パーラー「あんでるせん」の予約が取れ、お邪魔できることになった。
それに合わせて仕事も1日休みを取り、今年は12月11日(木)から14日(日)まで、3泊4日の旅となった。
往復はANA利用で、ともに「前売り28」で購入した。行きは宮崎空港着で、12,390円の安さである。飛行機は前売りが本当に安い。
11日、いつもより早めに仕事を終え、午後4時40分ごろ家を出た。途中、上野で下車して、ヨドバシカメラにて予約していた、年賀状ポストカードを受け取る。
私の年賀状は上半分が写真で、あとは無地。文面はすべて手書きの労作である。従って、あまり多くの人には出せないし、出す友人もいない。
今回はポイントを使ったので料金はタダだったが、内訳を見ると、無地にも拘わらず手数料が345円入っていた。これ、昔は0円だったのに、だんだん料金が上がってくる。極めて不愉快である。
モノレール浜松町で、「羽割きっぷ」を買う。空港までの往復で800円というもので、ふつうに買うより150円ぐらい得をする。知っておいて損はない切符である(註:現在は販売終了となった)。
17時35分の空港快速に乗り損ねたが、18時40分の便なので、ギリギリ大丈夫。その次の普通電車に乗り、終点・羽田空港第2ビルで降りて、チェックインを済ます。と、我が搭乗口に大勢の高校生がいた。ちょっと時期のズレた修学旅行と思われるが、いい思い出を作ってほしいと思う。
飛行機が15分遅れる、との放送があった。飛行機が鉄道に敵わないもの、それは時間の正確さで、定刻に飛び立つことはないと覚悟したほうがいい。よって15分の遅れなら、十分許容範囲である。
もっとも飛行機はさらに遅れ、19時ちょうどの離陸だった。
私のシート「5B」はビジネスシートの最前列で、やや勝手が悪い。ただしスッチー(客室乗務員)は粒揃いで、私に飲み物をくれたスッチーは、木村多江と坂下千里子を足したような美人だった。
機内誌を読むと、山形県の特集があった。ラーメンが手もみで美味そうで、これから九州へ向かうというのに、東北への旅情をかきたてられる。こういう時間がいちばん楽しい。
宮崎ブーゲンビリア空港には、20時47分に着陸した。そのまま宮崎空港駅に向かう。日本全国に空港がいくつあるか知らないけれど、空港とJRが直結している例は、新千歳空港とここぐらいではないか。すこぶる便利で、ありがたい。
自動券売機で宮崎までの切符を買う。次に乗るべきは、昨年も乗った「特急ひゅうが8号」で、宮崎までなら普通料金で乗車できるのだ。
車両はメタリック系のデザインが斬新だ。昨年はガラガラだったが、今年は乗客が多かった。
21時07分発。すぐに車内放送があり、「運転手はカイ、車掌はシミズ…」には、吹いてしまった。
次の南宮崎で大勢の乗車があり、5両編成にも拘わらず、私の隣の席にもご婦人が座った。
宮崎着21時15分。降りる時、座席の前ポケットにあった九州情報誌「Please」をいただいた。
宮崎駅の改札を抜けると、みどりの窓口の前に各所のパンフレットがあり、その中に壇蜜が表紙のものがあったので、これもいただいた。
今日泊まる宿は「宮崎ファイブシーズホテル」である。朝食付きで3,475円という廉価なのに、有料ビデオが無料で観られる特典まで付いており、昨年に続いての予約となった。
もっともホテルまでは遠い。私は駅前の大通りを歩く。宮崎は日本全国に名の知られた土地なのに、駅前に繁華街がない。見渡す限りオフィス街で、無機質な感じがする。
かなり歩いて左手を見ると、その繁華街のようなものが見える。?? 私も宮崎には何回か訪れているが、いやこれは気が付かなかった。
昨年の経験から、ホテルはこの繁華街の延長線上にある。私はその通りに入った。
と、ここに飲食街があり、賑やかだった。この類は橘通りだけかと思ったが、やはり駅前にもあったのだ。私はちょっと、うれしくなった。
昨年は、ホテルの横にあるラーメン屋「味七」で夜食を摂ったのだが、今年は別の店に入ろうと思う。あのおっちゃんも面白かったのだが、ちょっとラーメンの脂がキツかった。
何かのコンテストで入賞したという、ラーメン店に入った。ラーメンに半チャーハン、一口ギョーザが4つ付いたラーメンセットを頼む(950円)。
こういう店のラーメンは大概ハズレがない。ここのラーメンも美味かったが、単品は630円で、もう一声安くしてほしい感じ。一口ギョーザも文字通り一口大で、ちょっと食べ応えがなかった。
ホテルにチェックインする。広さはこんなものだが、ティーサーバーの設置がないのは不満。しかし廉価だからしょうがない。あと、ライティングデスクの鏡も余計だ。これだと私の薄毛がイヤでも目に入るからだ。本当に私の頭は、薄くなった。ほとんど「中住まい」といっていい。
ビデオはプログラム方式で、やや期待はずれ。これでは流れてくる番組を受け身で観るだけ、つまり早送りや一時停止が利かないので、使い勝手が悪いのだ。もっとも昨年は、これで満足していたのだ。
EXILEのMATSU(松本利夫)が主役を務める日本テレビ系「ビンタ!」とザッピングしながら観た。
なお、ビデオは宇沙城らんが初々しい艶技をしていたことを特記しておく。
かくして九州の初日が終わった。
(つづく)
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