神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

地震と津波で思ったこと 被害状況その後

2024年01月04日 10時12分05秒 | 自然災害
 もう三が日も終わり地震の記事も書きたくないのだが、正月早々の地震、航空機事故と続いていて、なかなか楽しい記事を書く気にはなれない。
昨年末には、真っ先に駅伝記事三連発を考えていたが、落ち着いてテレビを見ているどころではなくなった。

気分的には昨日から楽になったが、電波障害でたまっていた連絡網の対応に追われたり、年賀状書き第二弾と忙しかった。
旧宅と旧会社も被害状況を見に行ってこなければならなかったし、家の周囲すらチェックしてなかったのだ。

我が家の被害は私の部屋の中で倒れてまき散らされた様々な小物や本の片づけが出来ず、そのまま散らかっているので、それはこれから開始する。
庭や家ぐるりを見てきたら、45cm角のコンクリートブロックが一個落下、桑イチゴの木が一本根元から折れて倒れていたので、息子が切って始末した。
店へ行ってみたら、もう使っていない看板の4mほどの支柱が根元から折れて倒れていた。
旧宅は外から見た限り大丈夫だったが、今日中へ入って見てみる
おそらく30日に飾った神棚の様々が落下していると思われる。

震度5~7の石川県、富山県、新潟県の被害状況もしだいにわかって来た
震源地の能登地方は死者が70数名となり、いまだ行方不明数などもはっきりと分かっていないからまだまだ被害状況は拡大しそうだ。
こういう時、人口の少ない地方の国会議員定数を減らせと言う「一票の格差」がネックになってくる。
能登地方は東京都と変わらぬ面積なのに国会議員が一人だ、これで山間地が多い交通不便な広大な地域を一人でカバーできるだろうか。
市町村単位の行政任せが現実だ、その官民さえ被災者なのだから復興が進まないのは当然だ。
数の倫理で地方(田舎)の安心安全が切り捨てられている様がここでわかる
議員数なんかどうでもよい、それよりインフラ整備と被災者救済の公的人員をより多く、より早く奥能登に集結させるのが中央政府の責任だ。
野党だって、こんな時こそ政府の尻を叩きながら背広を脱いで先頭に立って復旧に加わるべきではないか。
それでこそ口先だけではない頼りになる野党として党勢を伸ばせるのでは?

また愚痴になってしまったが、わが町も被害が集計されてきてケガ人が数名、しかし一部損壊以上の家屋被害が200件以上だという。
また信濃川や関川(上越市)では地震の30分後くらいで40cmほど水位が増して上流に上って行ったことがわかった。
規模は小さかったが津波がたちまちやって来たことがわかった、能登の先端の震源地から富山湾沖を時速240km新幹線並みの速度で津波がやって来たという学者の話だった。

直江津海水浴場では小屋などの施設がほとんど全部流されてしまったそうだ。
富山市では1m近い津波が確認され、私が30日に行って来た海王丸パークのあたりも増水して観光に訪れていた人たちが建物の二階に避難したとか、ちらっと聞いた。
黒部の海岸部に住む義姉家族は南方の宮野山公園に避難した。
新潟県の中越、上越、富山県全域はどこも2~3km以内が丘陵地帯になっているので津波から逃げる場所は多い
速い情報さえもらえば何とか助かる可能性は高い、それに都会と違ってほとんどの家にも複数のマイカーがある
今回の地震で思ったのは、日本海でも津波が起ると言うこと、私も高波はあっても津波はないとずっと信じていた
それと日頃から非難の為の水や保存食、防寒衣類などを車にすぐ積み込んで逃げられるような準備を玄関近くに置いておく(または車に積んでおく)ことが大事だと思った















教訓 まさかの元旦大地震

2024年01月02日 05時53分30秒 | 自然災害
 まずはご心配いただいたブロ友の皆様に感謝申し上げます。
本来なら昨日は「新年おめでとうございます」でブログがはじまるはずでしたが
昼にかけて「実業団駅伝」を見て、それから長野県近くまでドライブをして、帰宅して間もなく家で地震に遭遇しました。

一回目は震度3で10秒ほどの短い地震、いつも通りの慣れた地震なので変な意味(物足りない)くらいでした。
しかし(たぶん)2~3分後に地震アラートが鳴り、すぐに揺れが始まりましたが
こいつは私が経験した地震、三陸沖、中越、中越沖、今までの能登沖などの大地震を超える酷い揺れで約2分以上続いたと思います。
目の前で玄関に飾ったばかりの花瓶が二つとも落下して割れ、身動きもままならず女房殿は廊下で手すりにしがみついたまま動けず
すぐにテレビをつけたら5分後くらいに「大津波警報」発令、これが怖かった
外に出たら近所の人たちも何人か顔色を変えて出ていたので「すぐ逃げましょう」と言って、すぐに二階へ上がって長男、次男に車で逃げるよう指示
長男と女房殿、私と次男の2台で避難場所へ向かった。
我が家から幹線道路までは30mの私道で、南は行き止まりで北にしか出られない、幹線道路が渋滞すれば袋のネズミになる。
ところが私道最後の家が空き家で、その家の屋根瓦が道路に落ちてくだけていて、先頭の車がでられず、運転手が下りて足で道端に瓦を移動
ここで手間取った、ラジオからは「すぐ逃げなさい! 三陸津波を思い出してください!」と女子アナがヒステリックの命令口調で、が鳴りまくる
幹線道路に出て間もなく渋滞が始まった、わが町は細い枝道、クランクが多くてより大きな道に出るたびに一時停止
それでも避難場所の体育館は近いので10分くらいで到着した
避難者の中では早い方で駐車場はまだ2~3割くらいしか埋まっていなかった
ここは海から2kmくらい、海抜25mくらいで更に海抜50mくらいの公園を背にしているからいざとなればそこまで逃げられる場所。
市街地と海が一望できるので、そちらを見たが海はいつも通りだった
ラジオではわが町は最大3m以上という、そして2度目の地震は能登が震度7、わが町を含む広範囲が震度5強であった。

避難所に着いたのが16時30分くらい、地震発生から25分くらいで避難所に着いた。 その後も30分おきくらいに地震が起きて、車でも揺れを感じる。
ようやく我に返って、いろんな考えが浮かんできたので、最初は教訓であった
隣の一人暮らしの80台の奥さんに声をかけることを忘れたことに気づいた、これは私も多少パニックに陥っていたのかもしれず、もしこの次あった時の教訓となった。

それからラインでボランティアグループ、同級生グループ、家族に安否確認の現状を問い合わせるメールを送った。
すぐに各地からラインメールが届き始めて、東京や名古屋の仲間からも心配メールが入り始めた。
これは良いことだったと思う、仲間の状況がわかれば少しは共同意識が起きて安心につながる。
家族関係では、地元の妹宅は海から200m、新潟市の弟宅も500mくらい、黒部の女房殿の姉宅も1km以内で全員が高台に避難していた。
その後、避難所には続々と車や徒歩の人がやってきて1時間ほどで満車になり、その頃には体育館も解放されて暖房が入った、本来はだめだが緊急につき土足でOKと職員が言った。
ここだけで1000名くらいは収容できる、他にも車の中に居る人も多くいた。
ここでつーくん家族にも会えた。

ボランティア仲間の一人は九州から娘の家族が飛行機で小松空港に来たので、息子と二人で飛行場に車で迎えに行き、そこで地震に遭ってしまった。
夜8時過ぎても地震、津波が解除されるまで荷物の運び出しがストップで飛行場から出られないとのメールが来た。
北陸道も全面的に交通止めになり、その後、20時から通信障害が起こり、ようやく先ほど(午前5時)開通したので急ぎブログを書いている。

私たちはまだ津波解除にならない19時半に帰宅した。
家に戻って被害を確認、玄関の花瓶が2つ割れ、仏壇の仏具が畳に落ちていたし、風呂場の様々な物も落下、台所では食器棚が開いて皿が5~6枚割れていた
一階はそんな程度だったが、二階の私の部屋が一番被害が大きかった
7段のタンスは全て半分飛び出し、PCラックの最上段のプリンターは落下して下のパソコンに落ちたが、たまたまあったセロテープの器具に当たって直撃を免れていた。
本棚からは切手帳や本が落下していたし、小物を入れた何段かのラック類は全て倒れて中身が飛び出していた。
ベッドの上にもラックが二つ倒れていた。 とにかく原状復帰に1時間かかった。

幸いに家族も周囲の人も無事でよかったが、市内では数名のケガ人が出たし、近隣の市町村ではショック死の人も何人か出た。
またこんな中で火災が発生して「やばい!」と思ったら、それはまもなく誤報であったことがわかった。
津波もわが町は大したことが無かったようだが、富山市で80cmだったそうで能登輪島では120cm以上とのことだった。
7時過ぎたらまた仲間たちの状況を把握したいと思う。

皆様方には多大なご心配をおかけしました、たいした被害もなく無事でいます
ありがとうございました。



土砂崩れ現場で仕事

2023年10月13日 16時58分48秒 | 自然災害
 妹の亭主は土木建設関連の小さな会社をやっている
この度、市街地から40分も入った山の中の林道が崩壊、その復旧作業の一部を請け負った。
人出が必要とのことで私にも「応援頼む」と言われて、わけもわからず引き受けた。

 人生初の土木作業員の仕事、まさに「包丁より重い物を持ったことが無い」のに土嚢の運搬とか、崩落現場の上り下りの作業
歩いた歩数は8000を超えた、平地の3倍以上の運動量だから2万ぽ歩いたくらいのエネルギーは消費した模様。
主に測量関係の仕事ではあったが、10mほどの崖を上ったり下りたり
昼飯抜きで4時間ほど休憩しながらの作業、役所から4人、我々が5人で仕事をした。

 「昔取った杵柄」山岳部で山道歩きの心得だけはあるから、急登も苦にせず、結構楽しく仕事が出来た。
運動不足の折、これはいい運動になったが、明日の朝はあちこちがいたくなるんだろうな。






ドローンも活躍


大荒れの一日 地震に津波に竜巻、暴風雨

2023年10月05日 17時27分47秒 | 自然災害
 今日は朝から降ったり晴れたりと、ややこしい天気です
いつもの通り、海王丸パークへ出かけます、家を出たらさっそく降ってきました
途中で前も見えない大雨になるかと思えば、日が差して暑くなってきたり
おまけに、おまけに黒部の海岸部では竜巻が発生して、工場や家の屋根が4軒も壊れ、一部飛んでいき、車が2台被害に遭ったり(けが人はいなかった)
伊豆諸島でM6.6という地震が起きて、1mの津波予報がでたりと、午前から騒がしい日です。
津波は八丈島で30cmが観測されたが、間もなく解除された
揺れも島民は感じなかったようで、家屋被害、人身被害も無かったようでまずは安心だ。

 結局、パークに着いたら、晴れ間が出ていたので船を見に行って少し落ち着いていたら急に強風が吹き、ざ~っと大雨が降ってきて、テントの中も滅茶苦茶で
さすがの相棒も走って車に飛び乗った
「帰ろうか」と言った、珍しく即なっとくで、たった15分くらいの滞在
今日は雨の中のドライブだと気持ちを改めたら、結局道中は全然降らなかった。

 ラジオで面白いことを言っていたので、ローカルな話なので少しだけ書いてみます。
富山県出身の力士は、来場所前頭筆頭か張り出し小結かという朝乃山だけで
あとは序二段、三段目ばかり、幕下も十両もおらんので寂しい限り
石川県は幕内に遠藤、輝(来場所は十両)、新十両で優勝争いをした大の里の3人関取が居る、
新潟県は豊山が引退して幕内、十両ゼロと言う寂しさ、長野県は富山県と同じく、幕内に元大関の御嶽海がいるが、十両、幕下は居ない
ここまでは余談

 富山県と言うと力士のイメージがないが、明治時代には2代目梅ケ谷、太刀山の二人の横綱を輩出している。
20代横綱、梅ケ谷は身長164cmで体重は160㎏くらいあった、写真を見てもお腹がぷっくりと出ている
このお腹に相手を乗せて一気に寄り切る取り口だった
22代横綱、太刀山は当時160cm台が多かった中で188cm、140㎏の超大型力士だった、身長は朝の山とほぼ同じだが、体重は朝の山が170㎏ある。

1年2場所の時代、優勝は9回している ニックネームは雷電の再来、45日などがある
雷電の再来と言われるほど強い力士だった、横綱での成績は7年14場所で84勝3敗、関脇以下に負けたことが無い。
連勝記録は双葉山の69連勝、白鵬63連勝、千代の富士の53連勝があるが
太刀山は7年間の中で、最初43連勝したが44戦目に負けて連勝はストップ
しかし翌日から56連勝した
すなわち、44戦目の負けが勝であれば100連勝と言うことになるが、これはIf
それでも99勝1敗という成績は今の時代、見ることはほぼ不可能だろう。
但し、当時は休場は負けにならないルールだった、また「あずかり」という決まり手?もあった
これは今でいう「両者同体」の取り直しに匹敵する勝敗がつけられない微妙な一番で、今は取り直しをするが、当時は「あずかり」で勝敗無しで終わらせた
両力士の健闘を称え、メンツを守るためにあえて勝負をつけず引き分けならぬ「あずかり」としたのだ。
因みに雷電為衛門は今の長野県東御市の出身、21年の間に254勝10敗、優勝28回、勝率は驚異の.962と言う、平成の大横綱、優勝45回の白鵬でも.827だ
 
雷電の最高位は大関だったが、当時は大関が最高位で、横綱は名誉称号だった雷電はなぜか横綱称号をもらわなかった、しかし横綱になった力士より強かった。 東御市の道の駅「雷電道の駅」に行けば雷電についての小さな記念館が併設されている。
身長は2m近く、体重も170㎏、とてつもない大男だったようだ。

「45日」と言うニックネームは、張り手が得意で相手を突き出すのに、2発まで突かず一突き半で相手は土俵を割ったことから、ひと突き半をもじって「ひと月半」=45日ということ。

さあ富山県民の星、朝乃山の来場所三役はあるのか?





22時ちょうど また地震だ!

2023年05月05日 22時04分02秒 | 自然災害
たった今 アラームと同時に地震が来た
激しい揺れだ 凡そ1分間揺れた 渦巻くような揺れ方だ
市の広報無線が「深度3」を告げた 
泥状で地盤が弱い我が家は4くらいのインパクト
まだ頭がぐるぐる回っている 気持ち悪い

能登ではもっと酷いだろう
明日からは雨が降るとか 土砂崩れには注意が必要だ

「ええ~! 今調べたら珠洲市は震度2だって なんでわが町の方が震度3なんだ?」

やはり能登は震度5強だった 21時59分 震度2は22時3分だった
緯度が珠洲市とほぼ同じ佐渡と上越市は震度4
富山県は東部の魚津、黒部地方3 富山市などより西部は4
これじゃ夜中も心配だ

久しぶりのびっくり地震

2023年05月05日 18時25分38秒 | 自然災害
富山市の岩瀬浜で観光していたら、周りから一斉に不快な警報音
最初はどっかで工事でも始まったのかと思ったが
どうも地震やミサイルのアラートのような気がした
それから20秒くらい経って結構激しい横揺れが始まり、それは30秒以上も続いていた、それでやっと地震を確信
富山県は地震が少ない県なのだが、このような大きな揺れだった
すぐに「能登だな」と思ったが、それは正解だった
ここ数年、能登の先端の輪島や珠洲で時々地震が発生する、今回は震度6強の
激しい地震だった、被害もあるようだ
富山市は震度4、福井、石川、富山、新潟まで広く震度4であった

将棋が負け続け、レベル26でもう20連敗以上
普通なら、ここで投げ出すかもしれない私だったが、歳のせいか辛抱強くなった
打たれ強くなったとも言える。
「投げるより学ぶ」だ、基本の定石を知らないのだから、それを覚えればよい
基本も知らないでAIに勝てるなどとは虫が良すぎた
まずは守りからだ、それでもっとも簡単そうな「美濃囲い」を覚えた
覚えたと言うほどたいそうなものではないが

これで守りを固めてから攻めたら、熱戦だがとうとう勝った
そして次のレベルに進もうとしたら、「レベル26はクリアしていない」とのメッセージ?? 「おかしい」 やっと勝ったのに。
勝つとクリアの証の金メダルが表示されるがLV26には、それが無い
無視して先に進んでも良いが、一か所だけ穴が開いていては面白くないからもう一度やってみた・・・・また負けた
(あ~~はらたつぅ)それでも再チャレンジ、今度はコテンパンに痛めつけてやった、今度は文句なしLV27へ進んだ
やはり勝負は勝つと気持ちよい「ざっまみやがれ」だ
ようやく初期設定のLV30が見えて来た。

一回目の勝利 先手


今回の勝利 後手



黄砂の影響 

2023年04月12日 23時36分55秒 | 自然災害
午前中は雨、午後から晴れたが午前中から、くしゃみ鼻水がとまらない
昨日までも花粉の影響はあったが、時間的に限定されるだけだだった
それが今日は今この時間まで、ずっと一日中で屑箱も使用済みティッシュの山になっている。
目も少しチクチク感があるし、これはちょっとひどすぎる
それでも晴れたのでマスクをして小一時間、散歩をしてきた、マスクのおかげか風が吹いていたおかげか、散歩中はさほどでもなかったが、終わりころにはやはりくしゃみ鼻水が発生した。
まだ車を見ていないが、明日見ればたぶん、べったりと車全体にひっついているだろう
明日も昼過ぎまで黄砂は降るらしい、早く過ぎてもらいたい。

新潟県の雪害

2022年12月21日 07時53分00秒 | 自然災害
新潟の弟から夜、電話が来たので聞いてみた。
新潟市では(あっ!もう忘れた *0cm雪が降ったそうだ)
私も20代前後に数年間、新潟市で暮らしていたからわかるが、あそこは一晩に20cm以上積もることはなかったはずだから、ああ急に思い出した、西区で40cm、北区で50cmだと言ってた)
西区から北区の会社に通っているが、通常は30分くらいで行けるところを、月曜日は5時間、今日は2時間かかったそうだ(片道)
新潟県は長岡近辺が中越で、新潟市は下越、柏崎から南西は上越だが、今回は中越が80~100cm一晩で降ったらしい
新潟市は弟が言う通りだったらしいし、上越はなぜかあまり降らなかったということだ。
何しろ佐渡を除いた本州側の海岸線が北東から南西まで330kmほどある長い新潟県だから、こんなことが起こるのだ。
因みに佐渡島などの島の海岸も加えると635kmほどにもなる。
だが回りが全て海で大きい北海道は4461kmで日本一、二番は島が多い長崎県で4183kmだそうですから新潟県は問題にならない、但し直線(的)な海岸線なら新潟県が北海道の次だと思いますが・・・・?

テレビで何度も8号、17号の渋滞を放送しているが、夕方で長い人は30時間くらい停滞しているようだ、これは食事、トイレ、燃料、暖房さまざまな支障が出てくる
柏崎では停電していて、寒さしのぎで車の中で暖房をかけていた女性が排ガスで中毒死した痛ましい事件も起きているし、除雪で側溝に落ちて亡くなった80代も居るという。
雪のせいで死ななくてもよい人が亡くなってしまう、雪国で毎年繰り返す雪の犠牲者。
車の渋滞もあまり積雪のない道路で起こっているのを見ると???と思うが
きっと雪に突っ込んで動けなくなったり、ノーマルタイヤの車が居たりしているんじゃないかと思う、走れないような道路状態ではない気がするが
ただ、凍ってでこぼこになった雪の上に新たな雪が積もったりすると、それが邪魔してノロノロ運転になることはある
渋滞の先頭を中継しないので渋滞の原因がわからないが、たぶんスリップか雪に突っ込んだ大型車が居るのではないかと思う
こんなとき献身的に除雪して一台ずつ助けている自衛隊員を見ていると、本当に「ありがとうございます」と頭が下がる。
プーチンもロシア軍にウクライナの女、子供を殺すような非人道的なバカなことをさせないで災害ボランティアにまわせば世界中から感謝されるのにと思う。

写真と文章は関係ありません






超大型台風14号襲来

2022年09月20日 08時40分17秒 | 自然災害
数十年に一度と言う超大型台風だという
沖縄県でさんざん暴れて九州鹿児島、宮崎に上陸して山口県付近から日本海に次入った模様
能登半島あたりには深夜2時ころに到達するらしい、久しぶりに日本海ど真ん中を通過する台風のようだ
今は23時45分、夜までは窓がガタガタいうほど風が吹いていたが、今は嵐の前の静けさで音が全く聞こえない
テレビを見てもあまり台風について言っていないから、かなり勢力がおちたのかなあ
この静かなる無風状態はどんな意味があるのだろうか? ちょっと不気味

昼にコンビニへ行った、馴染みのオーナー店長が居て「あら久しぶりねぇ、ねえねえ、台風大丈夫だろうか?」と言う
「ここは被害がほとんどない地域だから大丈夫じゃない、雨や風は強まるけど」
「でもねえ、九州や中国地方では何百店とか休業ですって、うちも海岸の店が心配なのよ」
「そんなひどいのか、知らなかった、やはり高波が怖いんだよなあ」
「店閉めなけりゃいけないかなあ」
「でも福井とか金沢とかの情報を聞いてからでもいいんじゃないか、こっちに来るほど勢力は弱まるから、きっと大丈夫だよ」
なんて無責任に言ったけど、こればっかしはわからない
それにしてもクーラー止めた部屋に戻ったら室温は37度、とんでもないフェーン現象になっていた

夕方には高台の体育館に避難(命令?)も出された、どの地域を指すのかわからないが、地滑り地帯も多いから、その付近の人たちなのか?
防災放送も風で流されて聞き取れない、防災無線は良いけれどはいっていない家が多い、我が家もない

こんなさ中に親の代から親戚づきあいしている魚屋の主人が亡くなって、明日が通夜だ
一報をもらって自宅へお参りに行ってきた、台風後の雨風を心配していたが、通夜式のころは収まっているだろう
台風は日本海に入ると急速に速度を増すから、明日は昼までだと思う

それにしても今年は沖縄県の皆さんは台風にやられっぱなしで本当にお気の毒だ、お見舞い申し上げます
今回は九州もずいぶん被害に遭われているようで、こちらもお見舞い申し上げます
台湾は中国の嫌がらせに加えて、台風、更に地震でたいへんなことになっている
今年はどうも台風の当たり年のようだ、まだ10月になっていないから今後も台風は続きそうだ、「何十年に一度」とかが日常的になっている
たしかに地球のいろいろな部分が狂いだしている、人間自身が作り出している部分も多い、何とかしなくてはならない。

それにしても静かだなあ、これから突風が吹き荒れるんだろうな、いまどこにいるんだろうか台風は
なんて言ってたら風が騒ぎ出してきた。
おやすみなさい

6時までぐっすり寝た、風や雨で目が覚めることもなかった
朝は穏やかで小雨、風も吹いていない
小庭を見に行った、コスモスが数本お辞儀をしている、スチールの物干しざおが下に落ちていた
一番の被害は1m以上に伸びた大きな菊の株が二つに割れて倒れそう、ちょうどいいから株分けしよう。
昨日は36度、今日は20度台後半か、かなり涼しくなった。
まだ波浪警報、大雨警報はでたまま、台風は東北に去ったようだ。




宮城・福島沖地震 M7.4 震度6強

2022年03月17日 07時42分18秒 | 自然災害
夕べは久し振り0時まで起きていたが23時半にテレビで宮城、福島の地震がニュースされた。
震度6強の大きな地震だ、しかも津波警報も出た高さ1mということで幾分安心した、実際は最大30cmだったそうだ。

新潟県、富山県でも震度3~4、関東に近い南魚沼では5弱もあった。
私も起きていたが不思議なことに我が家は体に感じる揺れは無かった、市内全体がどうなのか今日聞いてみないとわからない。

令和に入って(2020年代)から世界規模でろくな事が無い、コロナウィルスが世界中でまん延、ロシアのウクライナ侵略は世界大戦の危機も、そして再び福島、宮城沖で地震。
人知を越えた神の領域が愚かな人間をそそのかせて滅びに向かわせているのか?
試しているのか? 愚かなりプー!