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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 161 勝利と不安と

2023年02月20日 17時23分05秒 | 貧乏太閤記
 「日本軍が海上から上陸を開始した」と伝令が麻貴将軍に伝えた
「しまった、敵が出そろう前に一気に城を攻め落とすぞ」数万の軍勢は城に向かって攻め込んだ、味方が上陸したことを聞いた城兵は勇気百倍になって、今まで以上の戦いをして、敵を二の丸前に釘付けにした。
城の南の山に、日本軍の旗が雲霞の如く見えてきた、これを見た朝鮮、明軍は浮足立った、
数ではこの救援軍を含めた日本軍の3倍近くも多い、けれども既にこの凍える野外で二週間近く戦を続けた朝鮮・明軍は戦死、戦傷者も多く、さらに過酷な天候の中で疲労と寒さに体力が限界に近づいている
一方、日本軍の新手1万数千は、元気いっぱいの上に、並々ならぬ闘志をたたえて蔚山城の味方を助けるという使命感に燃えている
勢いが違うのだ、それが一斉に山を下って、包囲している連合軍の中に突っ込んだ
その勢いに恐れをなした明兵・朝鮮兵はどっと崩れて軍団の体が失われた
それを見た城方は鉄砲玉のあらん限りを打ち、敵方は1000名もの死者を出して逃げ始めた、しかし城方は勝ったがもはや追いかけるだけの力がなかった。
かわりに新手の日本軍が追撃に向かった、日本と違い犠牲的な殿軍などというのは連合軍にはない、我先に逃げ出し、武器を捨てて逃走する者も少なくない
しかしやみくもに西へ逃げた兵は、川に阻まれて逃げ道を失った、そこへ追いついてきた立花宗茂、毛利秀元の騎馬武者が槍で突きまくる、おおぜいの敵がそこで死んだ、それでも生きたい者は、川に飛び込んだ
凍える流れの中で、すぐに体は凍り付き、心臓が止まった、多くの兵が川の流れに流されていった。
 川の上流へ逃げていく敵には「敵が逃げたぞ、皆のもの追いかけて打ち殺せ、もはや個人の手柄は考えるな、首も鼻も後で良い、まずは殺してしまえ」
鍋島、蜂須賀勢らがまず追い打ちをかけ、その後を毛利勢、(毛利、吉川、小早川)らが追った
逃げ遅れた明軍は次々と討たれた、先陣の騎馬隊は、逃げていく敵の騎馬武者を追った、小早川隊は敵の騎馬隊を追いこして中央から攻め込んだ
たちまち、逃げ腰の敵は討たれ、大将首だけで10個も取った
悲惨なのは敵の歩兵部隊であった、毛利勢に逃げ道を断たれ、後ろから攻め寄せる日本軍の騎馬隊、歩兵隊に一万も討たれた。
兵士の死骸は皆、鼻を削がれ、それが討ち取った敵兵の数であり戦果として名護屋の秀吉のもとに送られた
 朝鮮、明軍の大敗北であった、日本軍にも損害は出たが大将クラスはケガ人はいたものの、戦死者はいなかった、逃げる敵を追う追撃戦はしつこく数十kmも続いた、日本軍の完勝であった。
権慄、麻貴、楊鎬などはようやく慶州まで逃げてひと息ついたが、逃げ足の速い将軍は漢城まで逃げて物笑いになった。

 戦が終わり、蔚山城に次々と大将たちが戻って来た、城下に置き去りにされたおびただしい数千もの敵兵の死骸は、日本兵が川まで運んでは投げ捨てた
首を斬られた敵の大将、武将級の遺骸だけは山中に穴を掘って埋めた。
そして川に投げ込まれた兵士たちの供養塚も隣に建てて、軍僧が弔いの経を詠んだ。
 翌日、再び大将が集まって軍議を開いた、総大将の毛利秀元が議長となり、今度の戦の反省と、今後の防衛方法について話し合われた
加藤清正が「蔚山城が7分しか完成せぬうちに大軍に包囲されて、このような苦労をしたので急ぎ完成させることが必要である、また十重二十重に包囲されて、救援の使者もままならなかった」と言うと、それについて意見が出た
「蔚山城ばかりではない、個々の他にも築城中の城はいくつかある、それも同じことになるやもしれぬ、今回は敵がそれを狙って攻め寄せたと思われる」
「蔚山から全羅道の木浦(モッポ)まではおよそ80里(320km)もあり、そこに10万が展開しても一城あたりの兵は知れている、そこに敵が数万で攻撃してくれば、今回の繰り返しだ」
「いかがかな、蔚山など辺地にある城は破壊して、できるだけ密集した方が良いのではあるまいか、後詰するにも近い程、たやすい」
「そうじゃのう、海に沿て50里ほどであれば、海からの救援も容易だし。内陸部にも10里20里程度なら、どこからでも救援にすぐ間に合う」
西生浦は海路の拠点でもあるから必要だが、蔚山は前に出すぎておる、僅か3里半ほどの間に二城は兵を分割するだけで無駄じゃ、これを破壊して西生浦を最前線としてより多くの兵を駐屯させてはどうじゃ」
「うむ、それが良いかもしれぬ、他にもそのような位置関係のところがあれば、それも二つを一つにした方が良い」
「その通りじゃ、早速洗い出してみよう」こうして諸将は、三つの城を廃棄することの許可をもらうため、名護屋に伝令を渡らせた。
 
 自分の家来たちは朝鮮で激しい戦を続けているが、秀吉自身は戦場の生々しさは、徳川家康、織田信雄と直接戦った小牧山の戦以後味わっていない。
あれからもう14年の年月が経ったのだ、秀吉はいわばその時から社長職を辞して代表権がある会長に一歩下がったと言える。
あれ以来、九州、小田原と戦場へは行ったが、小田原などは側室や芸人を連れて行くなど物見遊山気分で、とても血なまぐさい戦場ではない。
このように生の戦場を離れても、戦場で命がけで働く自分の夢を見る
秀吉は近頃、眠りが浅い、そのため昼となく朝となく夢を見ることが多くなった。
 戦場の夢は、いつも信長の下で命がけで働いている、具体的にどの戦と言うのではないが、常に信長の影が見えているのだ。
「儂がいれば、お屋形様を討たせなんだに」歯噛みする自分がいる
ある時の夢は信長を前にして「お屋形様、どうか儂に何でも命じてくだされ、儂はお屋形様に喜んでもらいたいのじゃ」と涙ながらに懇願している。
信長は「藤吉郎、われは・・・」とだけ言うと姿を消す
夢の中の秀吉はいつでも走り回っている、最初はこわごわゆっくり走るが、少しも息が切れない、全力を出して走ると体が軽い軽い、若さがみなぎっている
 だが時々、秀次がやってくる、秀次の周りには有象無象の人影が数十人従っている、顔はわからないが、感覚的には秀吉が討ち果たした光秀や勝家、浅井長政などのようにも思える
秀次も誰も何も言わず、ただ恨めしそうに秀吉を見つめている
「なんじゃ、なんだと言うのだ、そんな顔で睨もうと少しも怖くはないぞ」
秀吉だけが焦り、叫び続ける、そして喉が渇いて目が覚める
こんな夢を最近は何度か見た。






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