大朝から国道261号を北上して行くと江川に突き当たる。その地は因原である。因原を右にとり、川本に行く。三瓶山に向って走るのである。
その川本を左にとれば、もう銀山は近い。
因原、川本、なにか懐かしい地名だ。特に川本の街並みには懐かしさがこみ上げてくるものがあった。
そう、三十数年前、福井県までの自転車旅行で江津から江川を遡って三瓶山に向ったのである。この時この両地を走っているのだった。川本の町外れに踏切がある。この踏切を見たときにその光景がまざまざと我脳裏に甦ったのである。
今はバスで渡っている。三十数年前は自転車で渡ったのである。なぜか涙が流れてきた。誰にも気付かれなかった。そのときもう一度、もう一度でいいからここに来てみたくなった。
当時国鉄は浜田から浜原(三瓶の麓にある駅名だ)三江北線である。
三次から口羽までの江南線があった。それが今では口羽から浜原までが繋がり、三江線となっている。山奥だからとっくの昔に廃線となっているものだとばかり思っていたが、どっこいそうは問屋は卸はしないらしい。広島と島根が鉄路で結ばれていたのだった。
その川本を左にとれば、もう銀山は近い。
因原、川本、なにか懐かしい地名だ。特に川本の街並みには懐かしさがこみ上げてくるものがあった。
そう、三十数年前、福井県までの自転車旅行で江津から江川を遡って三瓶山に向ったのである。この時この両地を走っているのだった。川本の町外れに踏切がある。この踏切を見たときにその光景がまざまざと我脳裏に甦ったのである。
今はバスで渡っている。三十数年前は自転車で渡ったのである。なぜか涙が流れてきた。誰にも気付かれなかった。そのときもう一度、もう一度でいいからここに来てみたくなった。
当時国鉄は浜田から浜原(三瓶の麓にある駅名だ)三江北線である。
三次から口羽までの江南線があった。それが今では口羽から浜原までが繋がり、三江線となっている。山奥だからとっくの昔に廃線となっているものだとばかり思っていたが、どっこいそうは問屋は卸はしないらしい。広島と島根が鉄路で結ばれていたのだった。