現地延永ヤヨミ園遺跡から平尾台を望む。こちらは東になる。この様に東から南に山が坐す。また、北方は周防灘に面し、湾と言うべきか入江と言うべきか判らぬが遺跡の近くまで海が入り込んでいたということである。
遺跡から剥ぎ取られて作られた盛り土の上から未発掘の遺跡を見ている。時代は古墳時代前期である。古墳時代は3世紀半ば~6世紀末葉の約300年を言う。
3世紀半ばと言えば、そう、卑弥呼の時代なのだ。また、5世紀半ばには筑紫の君磐井が反乱を起して継体天皇側によって討伐された。磐井が斬殺されて鎮圧となったわけだが、そうではなく逃げたともいわれ、逃亡先がこの地だとも言われている。だからと言ってこの遺跡ではなかろうが。