墓の真後ろの写真で、南北に周溝を見ることが出来る。幅は約1.5m深さ約0.6m位である。西側が削られてしまっているため方形周溝全体を知ることは不可能である。どこまで西に延びるのか判らないし、他の墓があったかどうかも判らないのである。残念至極である。
二基の小さな石棺にこれだけ広い墓域を設けてあるのだと解釈すると、やはり土地を潤沢に使えるほどの力(権力とでも言うのか)を持った者であることは誰でもが頷くことであろう。
また、魔除用赤色顔料(辰砂)が鮮やかである。1800年前は太陽の光を反射させていたであろう。目貼用白色粘土も同様に魔除と考えられ、神聖さと穢れのなさを示しているとのことだ。
左の石棺の上部に何かが見える。(別添にする)
私は背が高いので人の上から写真を撮ることが出来たのであるが、この様なことが出来る私は親に感謝したものである。