満開の沈丁花である。甘い香りがそこら中に漂っている。
56mの前方後円墳である。周溝を巡らせているので全長は10m程増えるのだろう。6世紀半ばごろに築造されている。
この模型を見ると大塚北部に4基の前方後円墳と2基の円墳が所在している様に見えるのだが・・詳細は不明だし、何処にあるとや。しかしながら、当地域はここを治めていた首長たちの奥津城であり、聖域でもあったということだな。
気晴らしに少し 花見散歩(忠霊塔の梅)
昭和17(1942)年に黒原周辺の住民や学徒の勤労奉仕によって建立されたものである。我輩の母(この時は違うけどね)も砂利などを運んだそうだ。明治7(1874)年の佐賀の役以降の各戦役戦死者及び公務死者四千数百柱が祀られている。小学校、中学校、そして高校とそれぞれの時期に遠足に行ったものだ。以降は花見だな。近くには森林公園もあるので花見が盛んであった。思い出の場所でもある。平和公園でもある。
当該ブログの記事は2月17日から23日までである。