いつものように我輩を睨みつける さらに「シャー」と発するのである
そこで「なんかこら」と怒ると威儀を正して・・・
きちんと座って猫なで声だ・・・はははは。食えない奴だぞ。睨むんじゃない
いつものように我輩を睨みつける さらに「シャー」と発するのである
そこで「なんかこら」と怒ると威儀を正して・・・
きちんと座って猫なで声だ・・・はははは。食えない奴だぞ。睨むんじゃない
向うが男塚である。
圃場整備の為なのか削られているな。男塚と規模はあまり変わりがないように思えるな。
裾が見えているので半分は相当埋められている。男塚の主体部らしき痕跡は北に向いていたので女塚もそうであったろうから、落ち込んでいる方に主体部があっただろうな。高さは4mほどか。
近くのスーパーで売られていた。濁り酒が何種類かあるのだが、これが一番目を惹いた。70%の精米歩合には驚きで、それが余すところなく入っているのだろう。少し辛口である。甘いのかなと思ったが、麹の香りがほんのり漂う。ぐい吞みに入れた時、どろりとしていると言ったほうが当たるだろうな。口に入れた時もそのどろりとしたまま胃に落ちていき、そこでふうわりと拡がるのである。濁り酒も飲んだことはあるがこれは良いな。よくぞ日本に生まれけりである。まさかこの様な酒を口にしてワインのようだとは言わないよな。
水島(熊本県)
水を司る神様(龍神社) 目の前には水島があるから創建したのであろうが・・由来などが何処にも無いんだな。もしかすると道路の向こうに鳥居があったからそこに行けば何か判ったかもしれないな。
しかし、この風景を一度でもいいから御覧になって頂きたい。日本書紀 景行天皇 筑紫御巡幸時に記されている。居たとか居なかったとかは置いといて1300年も前から知られていた場所なのである。それを護るようにして創建されているのだろうな。良いところだよ。
日本書紀 景行天皇 熊襲討伐を終え都に向かわれようとして筑紫の国を巡幸・・・海路から葦北の小島に泊まり、食事をされた。その時、小左を呼んで冷たい水を献上させようと・・この時島の中に水がなかったので、小左が天を仰いで天神地祇に祈った。するとたちまち冷たい水が、崖のそばから湧いてきた。それを汲んで献上した。それでその島を名づけて水島と言った。その泉は今でも水島の崖に残っている。
萬葉集 巻の第三
二四五 聞くが 如 まこと貴く 奇しくも 神さび居るか これの水島
二四六 芦北の野坂の浦ゆ船出して 水島に行かむ 波立なゆめ
長田の王の筑紫に遣さえて水島に渡し時の歌 二首
その昔から有名な場所であった。我輩は古墳探訪の為早朝出発し、この地を最初の目的地とした。清々しく良いところである。向うには島原半島に座す雲仙普賢岳が・・
中島があり、、小さな岩礁も。これだけでも絵になるところで風光明媚な史跡である。そうよな1300年前から名所旧跡だったということだからな。本当に良いところだよ。
当該ブログの記事は令和3年(2021)7月14日から25日までである。