街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

結婚式

2009-12-22 07:27:48 | Weblog

 久しぶりの親子の記念写真である。ただここに長男がいないのが残念である。
 長男は今東京にいる。
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結婚式

2009-12-22 07:01:35 | Weblog

 同じ場面の写真である。別に我々二人が二枚目だから(今は死語になっているかもしれんが)といって載せているのではない。
 同じデジカメで妻が撮っているのだが、この二枚の写真を比較してもらいたいのである。デジカメの設定は両者とも「パーティー」である。
 上の写真はデジカメがフラッシュを強制しているのである。全体に黄色が強く出ているのが判ると思う。今回は夜に結婚式が行われたためフラッシュを焚くと後背のガラス窓などに反射してしまい被写体を光が包んでしまうということだ。となるとせっかくの記念写真が台無しになってしまうことになる。

 この写真、もうお判りだろうがフラッシュをOFFにして撮影している。
 ただ、光量が少ないためシャッター速度が遅くなり、被写体が動くと流れてしまうのが弱点である。しかしながら、こちらのほうが写りがよい。総てこれで良いのだということではない。デジカメの持つ機能にもよるのではあろうがなにがなんでもフラッシュを焚けばいいのだということは考えものであろう。
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結婚式

2009-12-21 12:09:48 | Weblog


 この様な写真を見たところで結婚式なんて題名を見ないと判りはしない。
久しぶりに家族で食事をしたものだから嬉しいわけだ。こういった機会がなければ子供と一緒に食事も出来ないというのもなにか寂しい気がするが、何のことはない、子供が親と一緒に行動などするわけがない。ということは既に理解済みである。子供は起きてきたばかりで寝ぼけ眼である。子供は洋食のほうが好かったらしいのだが、泊り客がずらっと並んでいたから和食にしたのだそうだ。米の飯を食って力をつけろ、と言うことだ。
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城野遺跡

2009-12-21 12:05:12 | 遺跡


 今回で城野遺跡編は終わりである。皆さんながながと付き合っていただき有難うございました。ブログは終るわけではないが。又、長編ものが出てくると思いますが、いや、出る。必ず出るのでお付き合いお願いします。
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結婚式

2009-12-20 08:48:28 | Weblog

 ここは佐世保ハウステンボス、ホテルニッコウである。甥が結婚式をあげるという。久しぶりの結婚式参列である。今日は何もかもが初めてだった。ハウステンボス、子供の運転で長距離、子供へのナビゲーター、徹夜の仕事で寝てなくて式が終るまで24時間起きていた。まあそれもあり子供に運転を任せたのであるが。

 また、久しぶりのツーショットである。自分で写真を撮るものだから私は全くと言っていいほど被写体になることはないからだ。この写真も対面に座る子供に撮らせた。笑わないつもりだったがどうも笑っているようだ。
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城野遺跡

2009-12-20 08:40:08 | 遺跡


 昨今はパソコンで作成するパンフレットが多い。それだけ何処にでもパソコンが浸透し誰でもが手軽に作ることが出来るようになったということである。
 もう10年は経つだろうが。甘木の山中で古墳群が発見された。母も一緒に家族で甘木に遊びに行った帰りだったが、偶然にもその説明会に出くわしたのだが、その当時のパンフはガリ版だった。手書きのよさといい、誤字脱字の面白さはなんとも言えぬ快感だった。
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城野遺跡

2009-12-19 09:56:01 | 遺跡

 出土品を見るとお判りのようにこの地では手に入らない材料が多い。
 この時代は当然に物々交換であり、原材料を見る限り各地との交流があったものと推定できる。鉄刀子や銅矛などはいったい何と交換したのであろうか。
 この地では農作物ぐらいではないのかと思われるのだが・・・。

 近辺の小さな村々が郡をなし、国(当時の)を成すといったような過渡期を思わせる。そこに魏志倭人伝に出てくる何処かの国に思いを馳せるのである。
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城野遺跡

2009-12-18 09:31:26 | 遺跡


 数々の出土品が展示されていた。まあ当たり前だが殆どが石器である。
 生活痕の残る土器も数々見受けられる。
 中でも黒曜石が目を惹く。これは大分県国東半島の東端、海を渡った姫島産出の黒曜石だそうで・・・。言わずもがなの出土品である
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長崎街道(大町町)

2009-12-18 09:21:12 | 史跡

 ほぼ正面から土井家住宅を見ている。前面道路が狭いため正面から全体を収めるのは無理である。(前の家の庭に入れば別だが、それは出来ない)

 側面を見ているが真横を写すことも出来ない。なんとなれば、やはり個人の住居であり、敷地内に入ることは出来ないからだ。家背面に小さな川が流れている。
 昔、家の裏は山だ、ということを聞くと「うらやましい」などと駄洒落たものだがなにも出ないなと、妻に言うと返事も返ってこなかった。
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城野遺跡

2009-12-17 08:56:44 | 遺跡

 低い雲が我々の頭を押さえつけているが雨を降らせるまでには至っていない。見学者は静かに話しに耳を傾けている。私は何時この遺跡の説明が聞けるのだろうかと思って静かに聞いていたのだが、そうではなくて挨拶にすぎなかった。それでも静聴したあとは皆拍手だった。

 村という単位だったろうに刀が出てきたのである。すぐ側の重留遺跡から出土した広形銅矛とは別の意味があるであろう。刀と矛とでは使用の違いがはっきりしているはずだ。村から国への過渡期にある時代であろうか。
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