街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

城野遺跡

2009-12-09 10:51:08 | 遺跡

 手前にあるのは刑務所の建物跡であるが、既にコンクリートの土台が撤去され、遺跡が完全に破壊されてしまっている。こうした無残な光景は日本各地いたるところで目の当たりにされたことであろう。
 向うに見えるのは現在発掘中のもので、墓のある台地とは連続した時代であるとのことであった。説明会前日に訪れたが、当然に中に入ることは出来なかったので極力近づいて写真を撮ったのである。

 遺跡が拡がっていたのであろうが、見るも無残な姿である。
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城野遺跡

2009-12-08 08:18:13 | 遺跡

 見学者の動きが止まっているところが石棺のある場所である。周溝が南北に延び、鉤状に東西に延びていっている。
 見学者は寒そうにしている。まだ、動くからいいのだが各所座っている方達(あのおばちゃんのように)は寒くて大変だ。懐炉を幾つか持っているとのことだったが。

 穴が沢山あるのだがどれが柱穴なのかが判別できない。総てに柱を立てたわけではなかろうが。建て替えがあったかもしれない。
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城野遺跡

2009-12-07 10:14:14 | 遺跡

 「立ち止まらないで下さい」というような声が聞こえてきそうだ。一本橋を渡っているような感だ。
 2000年前の地面を今歩いているのである。もしかすると3万年前(獣を捕らえるための落とし穴が獣道に掘られていた)かもしれないが。
 弥生時代になってこの様な場所を住居にするといった開発が進んできたのである。
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がん研究無駄とは(読売新聞12月7日朝刊)

2009-12-07 09:29:48 | Weblog

 今回の民主党による「仕分け」について私は以前、科学技術の発達は無駄だと僅か一時間で一蹴されたことに憤懣やるかたなく反対意見をこの場に書いた。
 ところが科学技術だけではなかったのだ。私は本日この記事を読んで愕然としたのである。癌に苦しんで死んでいった人の数ははかりしれない。新薬が出来るまで我慢に我慢を重ねて亡くなっていった人も多かろう。また、逆に命を存え天寿を全うした人も多かろう。そこには絶え間のない地道な研究があったからではないのか。地方では、民間ではどうしようもできないことに国が研究費を拠出したからではなかったのか。それを訳の判らぬものがたった二文字の「廃止」である。
 あともう少しで命が存えるかもしれない人の命をここで絶ってしまうというのである。この仕分けをした者こそが癌である。癌は早期発見で治ると言われるがこの者を仕分け人にしたときは気付かなかったのである。気付いたときは時既に遅しで、この仕分けは「癌」に罹患したのである。
 今日この様な記事は恐らく全紙に出ているであろう。仕分けをした者はこの記事を読んで忸怩たる気持ちが湧いて来よう。今からでも遅くないから廃止を決めたことを恥じて、この「廃止」を撤回するよう行動してもらいたいものである。
 そう言えば、ガソリンの暫定税率廃止は公約だから実行しよう、だけど二酸化炭素を減らすためには金が要る。だから環境税を加算しよう。これでは名前を書き換えただけの単なるすり替えで、騙しである。どうせ徴収するのだろうから「がん研究」にまわせばよい。更に言えば子供手当を廃止して意義あるものに遣って欲しいものだ。あれやこれやと言いたいことはあるのだが今日はあまりにも情けなくなったからだ。私は平平凡凡な人間だ。仕分け人は知識人であろう。それがこのような結果を生じさせる。選ばれたことに喜んで高慢になったとしか思えない。世の中には大岡裁きは無いものか。
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城野遺跡

2009-12-06 07:43:53 | 遺跡

 火事の痕ではあるが、これは失火によるものである。

 さて、こちらは見たとおり骨である。但し獣の骨で、聞いてみると(写真に出ているおばちゃん)猪の骨らしいということであった。
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城野遺跡

2009-12-05 12:58:40 | 遺跡

 寒風に吹きさらされたおばちゃんが小さくなって見学者の隙間から覗いている。
 説明よりもそちらのほうが気になってしまった。
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城野遺跡

2009-12-04 10:48:29 | 遺跡

 竪穴(柱位置)と竃の位置が鮮明に判る住居跡である。
 さて殆どの方が地面ばかりの写真で代わり映えがしないし何時まで続くのだと思っておられる方が出てきても不思議ではないと思っている。そこで下の写真である。ほっと一息ついていただければ幸いである。但し、遺跡ではない。

 遺跡発掘に従事してきた方達がそこここにこうして寒空の中じっと座って見学者が悪そをしないかと見張っているのである。というのが正しいかどうかは判らぬが・・・「おばちゃん、寒かろうな」「はい、寒いですよ」と正しい答えが返ってきた。素直である。さて、読者諸氏にはほっと一息つけたであろうか。少々疑問が生じるかもしれん。
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城野遺跡

2009-12-03 09:38:02 | 遺跡

 看板が立てられている穴がある。これは約3万年前の獣を獲るための落とし穴だそうだ。縄文時代この遺跡はまだ獣道だったということである。
 さほど径は大きくはない。せいぜい猪であろう。狩猟の時代がこの弥生遺跡で見ることが出来るというのも面白いし、時代が下がるにつれて住む場所が低地から台地へと移っていったということでもある。更に周囲の遺跡の発掘からわかることで
もあるがこの付近の人口が急増したということである。農耕の発達、所謂食料の確保ということが一番の要因である。それがまた村々の争いを引き起こすことにもなるのである。

 関係者が立っている場所はこの遺跡では最も広い方形竪穴住居跡である。本家とその兄弟家族が住んでいたそうだ。
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城野遺跡

2009-12-02 07:12:42 | 遺跡

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城野遺跡

2009-12-01 09:52:12 | 遺跡

 見学者が集まり始めた。写真左端に人が集まっているところに石棺がある。
 周溝の南側から北を写している。

 そこから90度西に振ったところ、周溝が続いたであろうが途切れてしまっている。また、方形周溝墓からは他の墓が検出されていないのである。
 この段階で19m×14mが墓域だが、広い面積に子供二人分の墓しかないのである。
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