かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

インド佛跡巡禮

2011年06月16日 | Books
nose6辞めると一度言った人が、いつ辞めるかさえも言わない。だから、その先も見えない。それが、一国のトップというから、恐れいる。この国の思考停止状態が、毎日毎日、国民全体の利益を損なっていく。一国のトップだという自覚があるのだろうか?期限のないレイムドダックというのは、有史以来初めての現象ではないか?辞めさせたいなら、法案通せ?信じられない低レベルの議論。小学校の学級会でも、もっとまともな議論をするだろう。
どうにかせにゃいかん。このままだと、破滅への道を、転がり落ちて行く。



インドの旅に出てから、もうそろそろ一月になる。早いものだ。
ブログで紹介すると切りがないのでどうしようかなと思っているのだが、とりあえずその前後に読んだ本をご紹介。

この”インド仏跡巡禮”は、旅の前に読んで一番いいと思ったので、インドに持って行った。
インド在住の植物学者による本だが、元は、1974年の雑誌への連載だったという。

その後、1989年に単行本となったが、一度絶版。1998年に改訂出版されたものが、入手した本だ。

元々40年近く前の本ということになるが、仏跡は、かなり田舎にあるり、インドの近時の発展から取り残されているので、ほとんど古さは感じない。

基本から、ニッチな専門的なことまで、宗教の話、歴史の話、うまくバランスよく記されている。

ダルマヤートラという言葉も本書で知った。仏跡巡礼のことだが、紀元前2世紀頃、アショカ王がこの八大仏跡を指定したという。世界最古の巡礼ルートと言ってもいいかもしれない。

先月京都で見た清涼寺の仏像の話も出て来る。
東大寺の僧が、943年に、宋の商船に乗って渡航し、その先のインドを目指そうと思ったが、困難であると自覚し、開元寺で、インドから伝来した釈尊像を礼拝し、それを模刻したものを、インドへの夢とし、持ちかえったという。インドは、はるか遠くにあった。

その後も、日本人がインドを訪れた記録はなく、仏跡にたどり着いたのは、何と1883年のことだという。たった120年前まで、仏跡を訪れた日本人はいなかったのだ。祇園精舎を、日本人が初めて訪れたのは、1895年。それほど、インドは遠かった。

その後、仏跡発見に日本人の果たした役割は大きく、西本願寺の大谷探検隊が、ラージギルの霊鷲山を確定したのだそうだ。並大抵の努力ではなかっただろう。

とにかく面白い話満載の本。去年見たネパールのクマリは、シャーキャ(釈迦)族のみから選ばれるのだそうだ。ヒンドゥ教の国なのに。仏教への尊敬の念の表われだと、本書は言う。

ネパールのカピラヴァストゥ(カピラ城)の話も載っている。玄奘三蔵が訪れた時すでに興廃していたことや、そこで、炭化した2500年前の焼米が出土したことが。この米が、たぶん先月京都の本法寺で見たお米なのだろう。

宗教についての部分にも興味のある話が多い。阿弥陀信仰が、キリスト教のメシア信仰の影響を受けているという説に対し、アショカ王の時代に、逆の流れ(仏教→キリスト教)があったのではないかと唱える。

仏跡毎に、簡単な地図が載っているのだが、これが結構使える。それほど、仏跡についての、ガイドブックは少ない。
インド仏跡を訪れる人には、是非目を通してもらいたい本。
コメント
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