goo blog サービス終了のお知らせ 

かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

古代インドの文明と社会

2011年06月27日 | Books



本書は、中央文庫の世界の歴史シリーズの内の一巻。文庫本のくせに(失礼!)、1714円(税前)もする。単行本を、文庫本サイズにして、読みやすくした(廉価版にしたのではない!)と考えるべきなのだろう。元は、1997年に出た単行本だ。

日本人の視点から(仏教という要素を重視)、インドの古代の歴史を知るのに最適な本だ。たぶん、インド人や、欧米人が、インドの古代史を取り上げたら、このような本にならなかったろう。

今回のインドの旅で、知ったのは、インドは、様々な歴史を持つが、その中で、アショカ王と、アクバル大帝の人気が高いということ。いずれも、ばらばらだったインドを、まとめ、大きな足跡を残した。

アショカ王は、仏教を広めた(聖徳太子と似ている)イメージがあるが、本書によれば、民族、宗教、階級を超えて帝国の全構成員に接近しようと試みたのだそうだ。カーストや、アーリア人至上主義は、無視した。しかし、アショカ王の死後、分裂が始まり、バクトリア王国のギリシア人が侵攻してきたため、王の理想は、崩壊した。そしてまた、2200年を経た今その理想は、インドで蘇ったという。
インドの国旗の中央の輪は、永遠の真理・正義を表現したものであるが、その図柄は、サールナート(ブッダが最初に説法をした地)から発見されたアショカ王の石柱の柱頭部に刻まれた法輪(ダルマ・チャクラ)とを写したものなのだ。

大乗仏教の誕生、密教の誕生などについても、詳しく説明されており、興味深い。

インドで、何故仏教が滅びたか?
この疑問についても興味深い見解が示される。
①都市の衰退。仏教は、大商人や、王侯たちの寄進に依存していたため、その支持を失うと同時に衰退する運命にあった。
②ヒンドゥ教の発展。バラモンは、人々の冠婚葬祭などの宗教儀礼に深く係わり、最下層の人々を含む大衆の心をとらえ、仏教を圧倒した。
③カースト社会の形成。ヒンドゥ教の発展と表裏一体となって進行したカースト社会の形成。バラモンを指導者とする保守的な農村社会が優先し、仏教は多くの支持者を失った。
④仏教教団と地域社会との結びつきの弱さ。仏教の出家者は、僧院に籠り、普段の生活はバラモンに任された。
⑤仏教自体がヒンドゥ化した。在家信者の獲得の試みともいえるが、結果的には、ヒンドゥ教に吸収される結果を招いた。

こう考えていくと、今の日本の仏教は、ともすると、葬式仏教などと揶揄されることもあるが、仏教を広めるという観点からは、正しい方向に進んでいるのかも知れない。政治と結びついたり、庶民の冠婚葬祭に溶け込んだり。

仏教の歴史とインドの歴史を対比させながら、わかりやすく展開している本書は、私のような入門者にとっては、すばらしい本だった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする