かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ビートルズは終わらない

2020年06月03日 | The Beatles
今日は、ゴルフ。
ちょっと暑かったけど、梅雨入り前の貴重な1日。



アジサイも見ごろ?



行方さんのビートルズ本が出るとは思わなかった。
今年3月亡くなられたが遺作となった。

ファンクラブで連載もしていたから、知ってはいたが、元々音楽に入るきっかけは、ビートルズで、そこからジャズへ。そして、遺作がビートルズ。
なんとも。

3部に分かれていて、最初は、ファンクラブへの連載の再掲載。比較的新しい話も多いが、ビートルズが現役当時(値段も高かった)、米国盤を追いかけて、サージェントの最後のおふざけが聴けなかったのは新発見だった。
当時、アメリカのレコードプレイヤーは、オートだったため、このノイズは残してあっても、カットされたのだという。
米国盤LPの曲数がちょっとづづ少ないのは、印税が、一曲毎に払われる仕組みだったから。
せこ過ぎ! 特に、中期以降、アルバム全体がトータル作品と考えられるようになってからは、問題となり、サージェント以降は、基本的に英国盤と同じになった。
茶帯のビートルズ65の話は、あほらしい?
印刷ミスの帯にそれだけの価値があるとは到底思えない。
行方さんが制作に携わった作品もかなりゲットしていることを知った。
ディアゴスティーニのシリーズまでかかわっていたとは。

第二部は、ディスコグラフィー。日本盤、米国盤、英国盤がごちゃごちゃになっているところがユニーク。
確かに当時、さっぱりわからなかった。
そういえば、ビートルズが、アメリカのベスト5を独占したのは、それぞれ発売レコード会社が違うことが一因だったのに初めて気づいた。
米国進出当時、誰も売れると思っていなかったから、様々なマイナーレーベルからシングル発売されていたのだ。
たしかに、一つのレコード会社が5曲いっしょにプロモートするのはリスク高すぎだ。
ストロベリーとペニーの両A面のように、1位を取り損ねる結果になるリスクがある。
ビートルズ1のジャケットデザインの話は、いろんな方から聞いたが、アスピノールが来日した時、かなりの人が、同じミーティングに出ていたのだろう。そこで、アイデアが出たのか、アイデアは決まっていて、そこで披露しただけだったのか。
行方氏は、そこで出たアイデアと思っているが、トークショーなどで聞いた話では、アスピノールのアイデアはすでにあったというものだった。
ちなみに本書もカバーもそのパクリ。

第三部は、インタビュー。
正直高嶋さんと、ピーターさんの話は、直にも聞いたし、ビートルズ関連の本でも取り上げられる。ただ、ずいぶん前のことなので、時々証言が変節するのも面白い。
特に高嶋さんの逸話は面白すぎる。
その伝統は、娘さんに引き継がれた。
そりゃ、50年以上も前の話で、記憶違いもあるだろう。
インタビューの最後は、業界の人だが、正直新発見はない。

ただ、本書を通じて、日本のビートルズ人気が、ここまで持続しているど真ん中にこれらの業界の方々がいることを再認識した。
ビートルズ人気が欧米にも劣らず日本でもすごいのは、彼らのおかげだ。

ありがとう行方さん。
安らかに。


コメント
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