大阪に来たついでに、行きたいと思っていた今城塚古墳に行った。
宿泊していた新大阪駅からすぐの摂津富田駅から、30分ぐらい。
ちょうどいい運動になる。
女瀬川に沿って北上するのだが、花々がきれい。
そして今城塚古墳に到着。
この古墳は、継体天皇の墓と考えられているのだが、宮内庁は、隣りの太田茶臼山古墳を継体天皇陵に比定しており、こちらには、自由に入れる。
継体天皇は、昨日読了した本でも、新羅系ではないかと書いてあったが、武烈天皇の後、血筋が途絶え、遠い血筋の継体天皇が選ばれたことになっている。
この古墳の場所も絶妙で、奈良、難波、長岡などと繋がってほいるが、適度な距離を保ち、継体天皇の出身とされる、越や、近江とも繋がっている。
その継体天皇だが、磐井の乱を鎮圧するなど、大和朝廷の対策強化に貢献し、今の天皇家の血縁が確認できる、最古の天皇になっている。
この古墳の特徴は、この埴輪群。
発掘の結果、このようなら並んでいたことが、明らかになった。
この内側が、聖域だったと考えられている。
円筒埴輪には、二本マストの船ご描かれており、当時の人々が、船を操れたであろうことが、わかっている。
それも、継体天皇ご渡来人ではないかとの根拠になっている。
もう一つの特徴が、かな埴輪祭祀場。
これも発掘調査の結果明らかになった。
レプリカ埴輪ご並べられ、当時の様子が再現されている。
壮大な葬儀であったことが、わかる。
造り出し部分もきれいに残ってあり、前方部と、後円部のくびれがはっきりしている。
埴輪最新場は、4部からなっており、左から、器台、太刀、水鳥や家や巫女、武人や牛や馬という、当時の王の死後の暮らしを支えるための人、ものが、並んでいる感じだ。
その隣に今城塚古代歴史館があり、これがまた素晴らしい。
今城塚古墳での発掘物以外の、周辺古墳からの発掘物が、時代別に並べられ、3世紀中頃から、6世紀中頃まで、当地に、大きな勢力が、あったことが、明らかにされる。
ユニークなのは、阿武山古墳の発掘記録で、ここからは、骨も見つかっており、その特徴から、中臣鎌足の墓ではないかと考えられている。
古代史のまさに、中心人物。
近くに古墳が散在しており、時間があった時に、再訪したい。
古墳ファンは、マスト。
天皇陵で入れる古墳は、ここだけ?