かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ハウステンボス・長崎 異国情緒の街 その8 平和公園・浦上天主堂

2021年05月27日 | Other Western Japan
また梅雨空が戻ってきた?
昨夜の皆既月食も見えなかったし。



ここにも、40数年前訪れたが、このエスカレーターは、たぶんなかった。



広島同様、平和を祈る公園。



残念ながら核戦争の危機は、まだ去っていない。
この祈りが通ずる日はいつ来るのか。



ここに刑務所があったのだという。
爆心地に近く、壊滅状態だったろう。
この遺構も見た記憶がないのだが、前からあったのだろうか。



北村西望作、平和記念像。
1951年に作られた。
2019年にローマ教皇も訪れ、平和のメッセージを発信した。



像の背中には、北村氏の平和へのメッセージが刻まれている。
シンプルな願いなのだが、争いは絶えることがない。



平和を祈る折り鶴。
世界で、2つしかない被爆地の一つ。
もっともっと積極的にメッセージを発信すべきだろう。



平和記念公園の奥にあるのが、浦上天主堂。
1925年に完成し、東洋一の大きさを誇ったが、原爆で、全壊。
1959年に再建され、1981年のローマ法王訪日の際、今のレンガ風の外壁に改装されたという。



原爆の際焼け落ちた塔の先端部分がそのままの姿で残されている。
ドイツでもこのような遺構を見た。



ベトナムで見た大教会を思い出すが、東洋一というから、それらよりも大きいのだろう。



1981年に訪日したヨハネパウロ2世の胸像。
バチカンで狙撃されたので印象に残っている。



立派な教会で、中にも入ることができた。
全体的に青っぽい印象だった。
被爆したマリア像も安置されていた。



山を下りたところに、原爆投下中心地碑がある。
浦上天主堂との距離は、500mほど。
このモニュメントは、浦上天主堂の焼け残った一部を移築したもの。



墓標のようにも見えるが、この上空で、原爆がさく裂した。
小倉も候補だったが、天気が悪く、長崎に投下したと言われる。
当然、今の戦争ルールでは許されない攻撃である。



当時の生活の痕跡が地層に埋もれており、見えるように展示されている。
当時の街の地図も、一戸一戸、展示されていた。



ということで、長崎市内観光1日目が終了。
いろんな型の市電が走っていて楽しいが、この特に古そうなのは、昭和41年製。
ということは、40数年前に訪れた時、既に走っていたことになる。
メンテとかよくできるものだ。



ホテルは、街を見下ろす稲佐山の中腹にあった。
頂上へのロープウェイは休止中だったので、ホテルからこの景色が眺められたちょうどよかった。
ただし、前日から長崎市の自主規制が一段と厳しくなり、ホテル内のレストランをクローズしたとのこと。
しかたがないので、ホテルに送ってもらって、駅近くで、夕食をとった。



時短だったが、新鮮な魚介類をたくさんいただけた。
やはり港に近い地方の海鮮はおいしい。



長崎駅には、新幹線開通の看板が。
確か、途中通過する佐賀県の工事費負担のところでもめていたと思うが、解決したのだろうか。
少なくとも長崎県内の方を先に開通させるようだ。
確かに、今の長崎への鉄道は、なかなか厳しいものがある。



ホテルからの夜景。
時短で少し明かりも少ないのかな?



翌日の朝食も、レストランクローズのため、部屋で。
ルームサービスみたいで、かえってリッチな気分を味わえたかもしれない。



朝のホテルからの眺めはこんな感じ。
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