また梅雨空が戻ってきた?
昨夜の皆既月食も見えなかったし。

ここにも、40数年前訪れたが、このエスカレーターは、たぶんなかった。

広島同様、平和を祈る公園。

残念ながら核戦争の危機は、まだ去っていない。
この祈りが通ずる日はいつ来るのか。

ここに刑務所があったのだという。
爆心地に近く、壊滅状態だったろう。
この遺構も見た記憶がないのだが、前からあったのだろうか。

北村西望作、平和記念像。
1951年に作られた。
2019年にローマ教皇も訪れ、平和のメッセージを発信した。

像の背中には、北村氏の平和へのメッセージが刻まれている。
シンプルな願いなのだが、争いは絶えることがない。

平和を祈る折り鶴。
世界で、2つしかない被爆地の一つ。
もっともっと積極的にメッセージを発信すべきだろう。

平和記念公園の奥にあるのが、浦上天主堂。
1925年に完成し、東洋一の大きさを誇ったが、原爆で、全壊。
1959年に再建され、1981年のローマ法王訪日の際、今のレンガ風の外壁に改装されたという。

原爆の際焼け落ちた塔の先端部分がそのままの姿で残されている。
ドイツでもこのような遺構を見た。

ベトナムで見た大教会を思い出すが、東洋一というから、それらよりも大きいのだろう。

1981年に訪日したヨハネパウロ2世の胸像。
バチカンで狙撃されたので印象に残っている。

立派な教会で、中にも入ることができた。
全体的に青っぽい印象だった。
被爆したマリア像も安置されていた。

山を下りたところに、原爆投下中心地碑がある。
浦上天主堂との距離は、500mほど。
このモニュメントは、浦上天主堂の焼け残った一部を移築したもの。

墓標のようにも見えるが、この上空で、原爆がさく裂した。
小倉も候補だったが、天気が悪く、長崎に投下したと言われる。
当然、今の戦争ルールでは許されない攻撃である。

当時の生活の痕跡が地層に埋もれており、見えるように展示されている。
当時の街の地図も、一戸一戸、展示されていた。

ということで、長崎市内観光1日目が終了。
いろんな型の市電が走っていて楽しいが、この特に古そうなのは、昭和41年製。
ということは、40数年前に訪れた時、既に走っていたことになる。
メンテとかよくできるものだ。

ホテルは、街を見下ろす稲佐山の中腹にあった。
頂上へのロープウェイは休止中だったので、ホテルからこの景色が眺められたちょうどよかった。
ただし、前日から長崎市の自主規制が一段と厳しくなり、ホテル内のレストランをクローズしたとのこと。
しかたがないので、ホテルに送ってもらって、駅近くで、夕食をとった。

時短だったが、新鮮な魚介類をたくさんいただけた。
やはり港に近い地方の海鮮はおいしい。

長崎駅には、新幹線開通の看板が。
確か、途中通過する佐賀県の工事費負担のところでもめていたと思うが、解決したのだろうか。
少なくとも長崎県内の方を先に開通させるようだ。
確かに、今の長崎への鉄道は、なかなか厳しいものがある。

ホテルからの夜景。
時短で少し明かりも少ないのかな?

翌日の朝食も、レストランクローズのため、部屋で。
ルームサービスみたいで、かえってリッチな気分を味わえたかもしれない。

朝のホテルからの眺めはこんな感じ。
昨夜の皆既月食も見えなかったし。

ここにも、40数年前訪れたが、このエスカレーターは、たぶんなかった。

広島同様、平和を祈る公園。

残念ながら核戦争の危機は、まだ去っていない。
この祈りが通ずる日はいつ来るのか。

ここに刑務所があったのだという。
爆心地に近く、壊滅状態だったろう。
この遺構も見た記憶がないのだが、前からあったのだろうか。

北村西望作、平和記念像。
1951年に作られた。
2019年にローマ教皇も訪れ、平和のメッセージを発信した。

像の背中には、北村氏の平和へのメッセージが刻まれている。
シンプルな願いなのだが、争いは絶えることがない。

平和を祈る折り鶴。
世界で、2つしかない被爆地の一つ。
もっともっと積極的にメッセージを発信すべきだろう。

平和記念公園の奥にあるのが、浦上天主堂。
1925年に完成し、東洋一の大きさを誇ったが、原爆で、全壊。
1959年に再建され、1981年のローマ法王訪日の際、今のレンガ風の外壁に改装されたという。

原爆の際焼け落ちた塔の先端部分がそのままの姿で残されている。
ドイツでもこのような遺構を見た。

ベトナムで見た大教会を思い出すが、東洋一というから、それらよりも大きいのだろう。

1981年に訪日したヨハネパウロ2世の胸像。
バチカンで狙撃されたので印象に残っている。

立派な教会で、中にも入ることができた。
全体的に青っぽい印象だった。
被爆したマリア像も安置されていた。

山を下りたところに、原爆投下中心地碑がある。
浦上天主堂との距離は、500mほど。
このモニュメントは、浦上天主堂の焼け残った一部を移築したもの。

墓標のようにも見えるが、この上空で、原爆がさく裂した。
小倉も候補だったが、天気が悪く、長崎に投下したと言われる。
当然、今の戦争ルールでは許されない攻撃である。

当時の生活の痕跡が地層に埋もれており、見えるように展示されている。
当時の街の地図も、一戸一戸、展示されていた。

ということで、長崎市内観光1日目が終了。
いろんな型の市電が走っていて楽しいが、この特に古そうなのは、昭和41年製。
ということは、40数年前に訪れた時、既に走っていたことになる。
メンテとかよくできるものだ。

ホテルは、街を見下ろす稲佐山の中腹にあった。
頂上へのロープウェイは休止中だったので、ホテルからこの景色が眺められたちょうどよかった。
ただし、前日から長崎市の自主規制が一段と厳しくなり、ホテル内のレストランをクローズしたとのこと。
しかたがないので、ホテルに送ってもらって、駅近くで、夕食をとった。

時短だったが、新鮮な魚介類をたくさんいただけた。
やはり港に近い地方の海鮮はおいしい。

長崎駅には、新幹線開通の看板が。
確か、途中通過する佐賀県の工事費負担のところでもめていたと思うが、解決したのだろうか。
少なくとも長崎県内の方を先に開通させるようだ。
確かに、今の長崎への鉄道は、なかなか厳しいものがある。

ホテルからの夜景。
時短で少し明かりも少ないのかな?

翌日の朝食も、レストランクローズのため、部屋で。
ルームサービスみたいで、かえってリッチな気分を味わえたかもしれない。

朝のホテルからの眺めはこんな感じ。