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前から行きたいと思っていたイワタコーヒー店に行ってきた。
ジョンとヨーコが訪れたことのあるお店。
小町通りの入り口近くにあり、いつも混んでいてなかなか入れなかった。
今日は、11時頃行ったら無事テラス席の方に行けた。
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定番のホットケーキ。
その他に、クラブサンドと、コーヒーをいただき、満喫できた。
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庭が、落ち着いた雰囲気を醸し出し、軽井沢にいるみたいだ。
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そのまま帰るのも何なので、源氏山公園方面へ。
まずは、定番寿福寺。
鎌倉五山の第三位。
北条政子が、創立し、栄西が、開山した。
禅宗にとって、重要なお寺だ。
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お墓の奥の方に、北条政子のお墓がある。
本物かどうかわからないが、ずっとここにある。
小学生の時、鎌倉に住んでいて行ったのが初めてで、その後も何回か訪れた。
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その隣に、実朝の墓もある。
実朝で、源氏は途絶え、北条家の鎌倉時代になるのだが、鎌倉殿ではどのように描いていくのか楽しみだ。
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この道は、初めてだったのだが、寿福寺から源氏山に抜ける道があった。
結構険しいが、距離は、短い。
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途中に太田道灌のお墓があったのには驚いた。
扇ガ谷の出身とは知らなかった。
今の東京の基礎を築いた重要人物。
説明板によると、道灌は、扇ガ谷上杉家の家宰として活躍したが、そのひ孫である太田康資(やすすけ)の娘梶(かじ)が家康の側室として水戸徳川家の徳川頼房の養母となり、その後、出家し英勝院と号し、家光より、源氏山一帯を賜って、英勝寺(寿福寺の隣にある)を開いた。
このお墓は、1826年に水戸徳川家の子孫である英勝寺の住職が、以前の墓を再建したものだそうだ。
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そして、源氏山公園。
子どもの時に、この頼朝像はなかったのだが、昭和55年に作られたようだ。
私が、仙台に引っ越して10年後。
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日野俊基のお墓。
ここも、小学校時代よく訪れた。
まさにここ梶原に住んでいた。
因みに梶原景時の墓は、通っていた、深沢小学校の裏の山にあった。
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鎌倉時代末期、北条氏の悪性を憂いた後醍醐天皇が、倒幕を計画。日野俊基は、倒幕に向け奔走し、楠木正成を説得して成果を上げるも、捕らわれ、ここで、死刑となった。
その霊を慰めるため、明治時代に、この葛原岡に、日野俊基を祭神とする神社が創建された。
ここも、子供の頃よく遊んでいた場所。
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その横に見慣れない稲荷神社が。
合槌稲荷社。
この合槌は、刀を鍛える時の動きに由来するという。
知らなかった!
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次は、庶民に人気の銭洗弁財天。
祀っているのは、弁財天さまだが、説明板を読むと、
頼朝が平家を討伐後、人々の苦しみを取り除こうとして、神仏の加護を願って祈ったところ、1185年の巳の月巳の日に、老人が夢枕に現れ、この地にきれいな泉が湧き出ていると告げたという。自らを、宇賀福と言ったという。
頼朝公は、夢のお告げ通りに、泉を見つけ、岩窟を掘らせ、宇賀神を祀ったという。
北条時頼公は、1257年秋に、頼朝公の信心を受け継ぎ、「辛巳(かのとみ)」「なる」「かねの日」がすべての人々に福徳が受けられる日だと知らべ、この日に参詣することを勧めたという。
またこの時弁財天を信仰する者が、持っている金銭を水で洗い清めると同時に身心を清めて行いを慎めば、不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になるといい率先して持っている金銭を洗って一家繁盛、子孫長久を祈ったという。
少し長くなったが、元々神社だったが、その後、弁財天が加わったようだ。
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この左側に弁財天、右側の上下に泉が湧き出ている。
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ここで金銭を洗うのだが、何回洗ったかな?
ご利益あったかな?
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最後は、佐助稲荷神社。
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ここも何度か訪れたが、この佐助は、頼朝のことを言う佐(すけ)殿を助けるというところから来ているという。
伊豆に流されていた頼朝が平家討伐を念じていた時、稲荷の大神が老人の姿をして夢に現れ、挙兵を促し時期を啓示したという。
それに感謝し、畠山重忠に命じて、この佐介山隠れ里の霊視を選び、社殿を造建したという。
鎌倉殿の13人の一人で、大河に因んだ御朱印までいただいた。
13人に因んだ寺社では、本年に限り、大河バージョンの御朱印があるそうだ。
今年は、大河で、鎌倉が盛り上がるといいな。