かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

最澄と徳一

2022年01月06日 | Books
今日は、さらに寒い。
雪まで降ってきた。



昨年は、最澄がなくなって、1200年ということで、展覧会に行ったし、比叡山にも行った。
そして、昨年10月に出た本書も、年はまたいだが読んでみた。

やはり難しかった。
どの宗教でもそうなのかもしれないが、当初の教えに対して、いろんな解釈がなされ、大論争になる。
キリスト教の宗教戦争は、世界を変えるほどの影響があったが、仏教も様々な宗派に分かれ、今も論争が続いている。
そして、この論争が終わることはたぶんない。

まず、最澄と激論を交わしたこの徳一だが、私は、知らなかった。
会津で活動し、最澄と大論争を繰り広げたが、最澄が亡くなったことにより、その論争は、結論が出ぬまま終結した。
徳一の書は残されていないが、最澄の書に徳一の論点が多くリファーされているので、どういう考え方を持っていたかはわかっていて、その分析も延々と続いているのだという。

最澄は、一乗説(ブッダは、ただ一人で、その他は、阿羅漢を目指すべき)、徳一は、三乗説(声聞(教えを聞き、解脱を目指す)、独覚(独力で解脱を目指す)、菩薩(自らブッダを目指す)の3通り)を唱えたという。
これは、天台vs法相(当時は、法相が強かったという)、小乗vs大乗(小乗という言葉は、大乗側からの蔑称なので注意すべしと繰り返し述べられている)、有vs空の議論にもつながるもので、単に2項対立の議論ではないという。

この解を探るべく、玄奘は、インドまで行って学び、遣唐使は、長安まで行って学び、さまざまな考え方を持ち帰って説いたが、論争は続いた。
かつ、その論法にも、様々な手法があり、それが、三段論法のようなものだったらわかりやすいのだが、時には屁理屈ではないかと思われる議論すらある。
ただ、ディベートみたいなところもあり、面白くはある。
基本的には、相手の議論の矛盾を突いたり、論拠となっている経典や解釈の正当性を否定したりするものが多いように見えるが。
論争の口調も、今の北朝鮮の発表のような攻撃的なものだ。

ところが、その論争は終わることがないので、勝ち負けはつかず、様々な宗派が共存することになるのだが、それは、決して悪いことではないとも理解されていて、最澄は、それを是とした。
だから、鎌倉時代以降の仏教に、比叡山出身者が多くなったのだろうか。
そして、仏教が日本人の心のベースになることになったのだろうか。
ただ、同じ比叡山出身者間でも、大論争が続くのだが。

何と評したらいいかわからないが、それらの論争の積み重ねを経て、今の仏教があり、現代の日本人の心のベースになったものがあると、とりあえず理解した。

本当に本書を理解しようとしたら、五木さんのように、龍谷大学に入学しなくてはならないかもしれない。
コメント
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