かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

神社とは何か

2022年01月04日 | Books
今日は、仕事始め。
流石に、月末月初を挟んだ連休後で、忙しい。



本書は、先月出たばかり。
最近、ライフワークになっている神社巡りにちなんで、”神社とは何か”という、ど真ん中の本を、新年の最初の本に選んだ。

ななか面白い。
個別神社毎に扱った本や、神道、または信仰の切り口から書いた本は、ずいぶん読んできたような気がするが、”神社”という切り口で書いた本は、あまりなかったような気がする。

著者は、研究者で、自ら行った実地調査、古来からの研究成果等を取り混ぜて、わかりやすく、かつディープに考察してくれている。

それは、章立てにも表れており、最初の”神社と宮と社”から、気づかされることが多い。
宮は、元は、天皇が坐る建物という意味であり、社は、自然の神の社という意味であった。
祈りのスタイルを研究すると、最初は、磐座祭祀として始まり、禁足地祭祀に代わっていくという。
磐座祭祀は、そこに神が宿っているという感覚だが、禁足地祭祀というのは、そこに神が来臨するという感覚なのだという。
その前には、杜(もり)への祭りがあり、その後に祠(ほこら)や社(やしろ)への祭りに代わり、それが今の神社へのお参りという形に移行したという。

その後の各論で、有名な神社についての個別論を軸に、祭りの方法、神社の姿、その歴史について比較しながら、解説するが、新鮮な話が多く、勉強になる。

最後の方に、ニソの社という聞きなれない言葉が出てくるが、これが、日本に残る最も古い形態の祈りの姿ではないかという。
福井県の大飯原発近くにその風習が残っている。
それが、今の新嘗祭につながっていると理解できる。
この姿を見て、東南アジア各国で見てきた、精霊信仰の姿に似ていることに驚かされた。

鳥居についても、その流れから、説明ができるという。
今は、神社のゲート的な存在になっているが、かつては、そこにお供えものを供え、それを鳥が運んでいくことにより、神への祈りができたと解されたようだ。

それこそ、書かれたものは少なく(後代に書かれたものは少しある)、各地に残る遺跡や、風習の中に残る痕跡から、古代人の祈りの姿を探る。
それは、日本人の原点というよりも、人類の原点を探る研究なのかもしれない。
信仰を持つ動物は、人間だけだが、それは、人間が死を意識(認識?)した時から始まったという。
なるほど。
コメント
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