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かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ブッダの道

2011年06月25日 | Books
sunsymbol5今日の天気予報は、rainだったんけど、パラパラ程度で、絶好のゴルフ日和になった。朝は、ちょっと風が強かったけど、ラッキー。スコアも、シーズンベスト。

nose3ピーターフォークさんが、亡くなられたそうだ。我々世代にとっては、刑事コロンボがすばらしかった。土曜の今頃、NHKで放送されていて、最初に犯人がわかってしまう刑事ドラマとして、大評判になった。シカゴに駐在時代、続編も登場。全部DVDで、そろえてある。
日本語の小池さんのイメージと、ピーターフォークさんのしゃべり口が違うのを知った時、ちょっとびっくりしたが、すばらしいエンターテイメントを提供してくれた。ハリウッドに行った時、有名人邸宅ツアーでもお邪魔した。
ありがとう。



学研が、エソテリカというシリーズを出しているが、本書は、その一つ。

なかなか盛りだくさんの本だが、特に、今回巡った八大仏跡と、その周辺の遺跡についての写真付き説明は、充実しているので、役だった。
その他のインド、海外の仏跡についての説明も多く、読み応えあり。

仏教そのものの説明、分析についての記述も充実。でも、あまりにも欲張りすぎて、やや消化不良?

ブッダは本当にインドに生まれたのか?ブッダの本名は何か?ブッダは身分差別を否定したか?
興味はあるけど、そこまでは?
修業法についての詳説も。

でも、こういう本に載っていたからこそ、このディープかつニッチな世界に触れることができた。

もう一回読み返してみよう。
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ブッダの歩いたインド

2011年06月24日 | Books


本書は、インドに持参した。イラスト付きでわかりやすいし、字も大きいので読みやすい。略図も的確だ。

著者の菅原さんは、1955年に初めてインドを訪れ、その後 Frequent visitor になった。
だから、内容もこなれており、結構奥深い
読みやすいが、解説がちょっとづづ長めで、ガイドブックとしては、ちょっと扱いにくかったかな。旅の前か、後にじっくり読む方がよさそうだ。

本書にも、おまけ?で、アジャンター、マトゥラー、サーンチー編がある。

特に、マトゥラーについては、今回マトゥラー博物館に行けたので、本書の説明がずいぶん役だった。
本書が上げるマトゥラー仏の特徴は以下の通り。

①石材は、全て近郊の赤色砂岩のシクリールパシカロリー産。→見事その通り。
②マトゥラーには石像制作のための大きな組織があった。→間違いない。瓜二つの仏像が多く展示されている。個別に一つ一つ作った感じではない。
③カニシカ王は、突然仏教に帰依したのではない。その少し前に当地を支配していたギリシャ王の影響がある。→ガンダーラと同様、西と東の文化の融合から、仏像製作が始まった。
④ガンダーラの仏像様式がヘレニズム的地中海美術の影響を受けたのに対し、マトゥラーの仏像からは、インド古来の伝統的・土着的表現を読みとることができる。→確かに、ガンダーラの仏像とは、全く違う。
⑤マトゥラー仏は、マトゥラー以外からも発掘されているが、マトゥラーで造られ、川を利用して、各地に運ばれたものと思われる。→パネルの表示が淡泊で、その辺までは、よくわからなかったが。
⑥マトゥラー仏は、グプタ時代にさらに洗練された。→日本には、名品はほとんんどない。マトゥラー仏の名品を見るには、インドに来るしかないだろう。ガンダーラ仏は、日本にもいいものが沢山あり、それとは対象的だ。近時は、マトゥラー仏像起源説が有力になっている。
⑦マトゥラーの古代仏教美術には、仏教独特の文様が多く見られる。→確かに、細かく見て行くと、興味深い文様が多く見られる。当時の文化、考え方を知るのに、貴重な資料ともなる。
⑧豊満な肢体の女神像が多い。奉献者の好みを投影しているようだ。→確かに、これもマトゥラー彫刻の特徴だ。仏教と、この女神像とのコントラストをどう理解すればいいのだろう?

マトゥラー仏は、日本では、大味のものが多いので、今回のマトゥラー博物館の見学は、目から鱗であった。
いつか、ご紹介したい。


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ブッダの生涯

2011年06月23日 | Books



本書は、初版が1990年。ロングセラーだ。
新潮社のとんぼの本シリーズなので、ご覧になったこともある方も多いかと思う。

写真も多く、記載もオーソドックスなので、まず、仏跡とは何ぞや?という人にはうってつけの本である。

8大仏跡の一つであるサンカシャは、ほとんどの本が、伝説で、お釈迦様が実際には訪れなかったとしている。
本書は、とんでもないとこにあるということと、写真もあることから、実際訪れた上で、伝説説を受け入れているようだ。あえて、ブッダが訪れていないとは、断言していない。

H/P作成前に、その辺の各書の触れ方を、読み比べたいと思っている。



本書の最初に仏跡の絵地図が載っているが、改めて、ブッダの生まれて育ったところは、ヒマラヤ山脈のふもとであり、修業を積んで、覚り、説法したのは、そのずっと南のガンジス河の回りに広がる肥沃な農業地帯であることがわかる。
今のヒンドゥ教につながるバラモン教の修業の土壌があったのか、スポンサーとなる大金持ちが多くいたことによるのか。
何らかの理由があったに違いない。

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インド古代彫刻展

2011年06月22日 | Books


これも、古本市で、見つけた一冊。
1984年に、東京と京都の国立博物館で開催された展覧会のパンフレットだ。

このような展覧会が、日本で、開催されたことがあったのだ。
メッセージは、インド側が、インディラガンディさん、日本側が、中曽根康弘さんだ。何と文部大臣!? だった森喜朗さんまで、メッセージを寄せている。
日印両国の肝いりの展覧会であったわけだ。

展示品は、インドの各地の博物館から借りてきた彫刻だが、逸品ぞろい。

ニューデリーの国立博物館には、3回行ったし、先月は、マトゥラーの博物館にも行けたので、この展覧会の展示品の半分ぐらいは見たことがあるが、何せ、現地の博物館は、すばらしい展示品の割に、展示の状況は、粗末で、解説もろくになく、ひどいとプレートが無くなっていたりする。この前のデリーでは、一部照明がついてなかったり、ブロンズ像の部屋は、改装中で、クローズだった。
所蔵品集なども、いくら探してもない。

ヒンドゥ教の神々の像と、仏像と、ジャイナ教関連の像は、紛らわしいことも多く、じっくり見ればわかるのであろうが、旅行中立ち寄ったぐらいでは、なかなか。

本パンフでは、奇麗な写真と解説が載っており、私が、発見したつもりであったものが、見事に解説されたりする。

仏教を通じても、縁の深い両国だから、インドの博物館に収蔵されている名品目録でも、共同プロジェクトで作ってくれないかな?そんな立派なものじゃなく、逆にハンディな方がいいんだけど。勝手言ってすいません。

今回の旅では、一応、仏像関係は、一所懸命メモったつもりなので(プレートがないものはどうしうようもない)、機会を見つけて、まとめてみたいと思っている。
私的所蔵品目録的なものを。


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天竺への道

2011年06月21日 | Books


古本市には、何故か、展覧会のパンフが沢山あって、その内3冊を迷わずGETした。
本書は、その内の一冊。
平山画伯が、1983年に開いたインドをテーマにした展覧会だ。

今から、30年近く前の展覧会で、今でも有名な絵も多いが、インドを旅した時の風景、仏像、人々のスケッチがすばらしい。
私が、カメラでスナップショットをとるような手軽さで、すばらしいスケッチをどんどんされたのではないかと思うほど、多くの絵を描かれている。

私が、行ったところもだんだん多くなってきたが、まだまだ行ってないところの方が多い。
特に、パキスタン、カラコルムハイウェイ、ラダック、カシミールなどは、まだ足を踏み入れたことがないが、画伯は、そこで多くの絵を描かれている。

薬師寺の壁画の中央に、ヒマラヤの絵を据えたが、まさにこの世界最高峰の山々が、仏教や、ヒンドゥ教を生んだ源と考えられたのだろう。

薬師寺の高田好胤さんが序文を書き、梅原猛さんや、山本健吉さんが、評論を書き、後書きでは、奥様が、取材同行記をお書きになっている。

ちょうど薬師寺の西塔が落慶し、玄奘三蔵院が建立され、これから平山画伯が、壁画を書き始めるというタイミングで開かれた展覧会。

ちょっと長くなるが、高田好胤薬師寺管長の言葉を載せさせていただく。

「この玄奘三蔵院の壁画に平山郁夫画伯が、三蔵一代を物語る求法の大精神を絵筆をふるって描きうずめて下さいます。冒頭に述べましたごとく、そこに玄奘三蔵不東の旅を追体験され、ご遺徳顕彰に力を尽くされる画伯の精神も、いうなれば絵の道、画業における不東の精神そのものです。そこに、玄奘三蔵と平山画伯の魂の合体を感じずにはいられません。同時に玄奘三蔵不東の旅、天竺への道、これはこれからの世の人々を励まし導き続けるであろう余りにもい大なる永遠の道であります。また世に人々は、この道をシルクロードと申しますが、私共にとりましては、”仏教伝来の道”であります。合掌」

高田管長は、この壁画の完成を見ることができなかったが、この時書かれたその通りのすばらしい壁画が20世紀の最後の日に完成し、その最後の筆入れを、偶然にも、TVでリアルタイムで、私は、見ることができたという訳だ。
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