かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

The Roof Top Concert

2022年02月18日 | The Beatles
今日は、気温は低いが比較的穏やかな1日。



1969年1月30日の、アップルビルの屋上で開催された伝説のゲリラライブ。
もう53年前の話だが、ここまで盛り上がりを見せるとは、当時の4人は、想像だにしなかったろう。
しばらく、失敗セッションという烙印も押されていた。

今回の大騒ぎは、ピータージャクソン監督の功績が大と思う。
単なるLet It Beの焼き直しに終わるのではなく、事実を積み重ね、全く新たな作品に仕上げた!

写真集から、ほとんど全部つき合ってきて、後は、BDを残すのみ?

その前にこんなものまでゲット。

何じゃこれ?という感じではあるが、その製作者の意気に感じて、ゲット。
よくは、できている。
木製で、環境にも優しい?

ここまで、やるのなら、海洋堂さんに、よりリアルなフィギュアをお願いしたい?

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Procol Harum

2022年02月17日 | Music
今朝、無事、帰還。
朝から、結構な雪で、除雪車フル出動だった。
雪国の冬は、たいへんだ。



Procol Harumと言えば青い影(A White Shade of Pale)。
青い影と言えば、Procol Harum。
それほどの大ヒットだったが、その後も地味ながら活動を続けている。

ユーミンとのジョイントコンサートで、一度見る機会があったが、当初メンバーで残っているのは、Gary Brooker 1人。
ユーミンも、Gary Brookerのバンドと認識していたようだった。
翳りゆく部屋の共演では、青い影のパクリであることが暴露された?

調べると、初期メンバーのドラマーのB.J.Wilsonがツェペリンのドラマー候補だったり、Keith Reidが歌詞担当で、この流れが、キングクリムゾンに引き継がれたり、パープル同様、オーケストラとの共演版を出したりと、当時のロック界とのつながりが強かったが、その中でもクラシックとの融合が特徴のバンドだったと言える。

Procol Harumの名前は、Beyond These Thingsという意味の不正確なラテン語だそうだが、意味不明で、プロデューサーの飼い猫の名前とも言われる。

本書は、2000年に出た伝記本。
読まれた形跡がない古本。
著者は、小さい頃からのProcol Harumファンの熱心なファンで、メンバーへのインタビューを多く行い、かなりまともな伝記本にまとめ上げた。
彼らは、1965年のビートルズのUKツアーに同行し、また当時、多くのミュージシャンと親交があったようだ。
音楽的には、中期のビートルズに影響を受けたとある。
写真も若干あるが、時代毎のグループのライブ・記念写真。



表紙の裏に、彼らのサインが貼ってある。
この大きな方の紙のサインを見ると
Gary Brooker
Robin Trower
Barry (James)Wilson
Diz Derrick
とある。
Procol Harumの前身であるThe Paramountsのメンバーのサインだ。

小さい方の紙のMatthew Fisherは、Procol Harumになってから加わった。

このメンバー構成から見ると、前者は、1963年から1966年の、The Paramouts時代のもので、後者は、Procol Harumが結成された1966年から1969年頃になされたものだろう。

ユーミンつながりもあり、なかなかのお宝だ。
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SURF&SNOW in Naeba

2022年02月16日 | Music



昨年に引き続き、ユーミンinNaeba当選。
今年は、通常通り2月で、凄い雪。



雪の状態は、最高に見えるが、スキー客は、そう多くない。
着いたのが、夕方だったせいもあるが。



花の送り主を見るのも恒例。
スモール3のもあった。



撮影スポット。
こちらもいつも通り、絵になる。



席は、前から3列目の中央近く。
特にファンクラブとかではないのだが、超ラッキー。
5mぐらいの至近距離。



鉄板のメンバーを従え、大熱演。
いつものリクエストコーナーを1曲だけにして、その代わり?スカイ登場。

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Talk Downunder

2022年02月15日 | The Beatles



昨夜、東京駅構内で、行列を見つけて、衝動買い。
高かった?
シャンパン味。
今日は、ゴルフ。
意外と好天で、スコアもまずまず。



本アルバムは、Fab4ギャラリーに行った時にゲットした。
安かった。
1964年6月~7月にかけて敢行された極東ツアー時のインタビュ―集。
音楽は入っていないので、資料的価値を重視。



説明は、ジャケット裏側に。
右上にジミー・ニコルが入っている5人の写真。
リンゴが到着して、ニコルが帰国する瞬間の写真。
あまり見たことがない。

左下に細かいスケジュールが。
本ツアーでは、香港がスタートだが、香港に行くまでに、アムステルダム→ロンドン→ベイルート→カラチ→カルカッタ→バンコック→香港。
昔の南回りルート。
ちなみに私が初めてロンドンに行った時は、成田→台北→香港→バーレーン→ロンドンだった。
24時間ぐらいかかった記憶があるが、今は、直行便が当たり前だ。

帰りは、シドニー→シンガポール→フランクフルト→ロンドンとある。
今は、直行便があるかな。

1964年3月のメッセージから始まる。
最初のインタビューが6月10日の香港。ツアー前半は、リンゴが入院中で、ジミー・ニコルがドラムをたたいた。
6月11日に、ダーウィンでのインタビューがあって、同日にシドニーでもインタビュー。
アデレーデをはさんで、6月14日にシドニーからメルボルンに移動する中で再度インタビュー。ここでリンゴが合流し、ジミーは帰国。
以降、メルボルンから、シドニー、ニュージーランドとツアーは続き、19日間で、32のコンサートをこなしたという。
動員数は、20万人とあるから、1ステージ、平均6,000人。

私は、たまたま6月11日のシドニーでのジミーを入れた4人のサインを持っているが、当日は、シェラトンでインタビューが行われたとあり、その時のものか。

Downunderという、オーストラリア・ニュージーランドツアーの詳細を記録した本もゲットしたが、本アルバムは、それとセットで出たらしい。

ゲットしたのは、1982年にイギリスで出たものだが、調べたら当時日本でも限定版で出ていたようだ。

インタビューはたわいもないものが多いが、とにかく若くて元気。
オーストラリア・ニュージーランドについての質問が多くて、現地語の練習をしたり、カンガルーがどうした、キウイを知っているかなどなど。
ロンドンから、オーストラリアへの道中についての質問も多い。
7月10日リリース予定の、A Hard Days Nightについての質問も多い。
リンゴとジョージが受け答えしていることが多いのも面白い。
当時は、饒舌だ。
ポールが、ニュージーランドの客が、オーストラリアに比べて静かとか、 A Hard Days Night の中では、If I Fellが好きだとか言っている。

歓声が入っているのは、屋外のファンの声か。
コンサートのMCの音も入っていて、臨場感あふれる。

表のシールで、当時、マシュー・ストリートのビートルズ・ショップで、4.95ポンドで売られていたことがわかる。

チリチリ音は入るが、会話ははっきり聞き取れる。
面白いものを入手した。

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THE BEATLES' MOVIE MEDLEY

2022年02月14日 | The Beatles
昨夜は、結局雪は積もらなかった。
ということで、普通に出勤できた。

ついに、GET BACK BDの日本盤のリリースも発表になった。
早速、輸入盤をキャンセルして、日本盤に切り替えた。
盤は、一緒だと思うので、付録だけで、これだけ値段が違うということに抵抗はあるのだが。



本EPは、昨年のファンクラブの在庫セールで、ゲット。
見たことがなくて、わからなかったのだが、聞いてみたら珍品で、アルバムの方もゲットしておいてもよかったかなという感じ。

音は、いまいちながら、本アルバム、EPが出た時は、アメリカで、初めてのステレオミックスリリースとなった楽曲もあったらしい。
今となっては、それも珍しくはないのだが。
ジャケットは、何とも評しがたい。
どうせなら、イエローサブマリン、Let It Beの図柄も突っ込んで欲しかった。



B面は、恋する二人で、アルバムの方に収め損ねたので、こちらに入れたらしい。
問題は、A面で、ビートルズの楽曲を、大胆にも、勝手に切って、つなげて、メドレーにしている。
コンピレーションアルバムにするならともかく、メドレーにしてしまうのは、前代未聞ではないか。
このメドレーを作ったのは、フィルスペクターとある。
ジョン亡き後、初めて出たアルバム、EPだが、フィルに、丸投げしたのか。
ラストのゲットバックは、拍手まで収められているが、最後のジョンのオーディション合格?のコメントがカットされている。
何でもあり。

大して高くなかったので、珍品ゲットということでよかったかな。
入手したのは、イギリス盤だが、日英でも、発売されている。
当時、私は、全く気づかなかったが。
ジョンが亡くなって、ビートルズの時代もついに終わったと思っていた頃のことだ。
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