かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ジョンとヨーコ

2024年01月11日 | The Beatles
無事エジプトから帰国。
ドーハでの乗り継ぎ時間を最短にしたが、それでも、16時間ぐらいかかった。
食事も、ドーハまでに1回と、ドーハから2回の、計3回出る。
エジプト旅行の整理にしばらくかかるので、旅行談はしばらくお待ちいただき、今日は、ジョンとヨーコの話。
2人は、1977年にエジプトに行き、本気で、宝探しを考えていたが、周りに止められ断念したと言われている。



ジョンとヨーコの写真をゲット。
オリジナルネガからプリントされたもの。
2023年最後の大きな買い物だった。
結構大判で、ジョンとヨーコの写真の中でも、かなり有名なもの。
東京でも開催されたダブルファンタジー展でもメインで使われていたと思う。

重要なのは、撮影者のIan McMillanが署名しているところ。
Ian McMillanは、アビーロードのジャケットを撮影をしたことで、有名だが、ジョンとヨーコの諸プロジェクトにも関わっている。
1938年生まれで、2006年に亡くなられた。
元々は、1966年に出した彼の本で、ヨーコの写真を使ったのがきっかけ。
そのお返しか、インディカギャラリーでのヨーコの個展に招待した際、ジョンを紹介したことにより、ビートルズとの関係ができた。
ジョンとヨーコとの関係は、続き、ニューヨークへも同行したという。
Paul is liveアルバムの、ポールの写真も撮影した。



裏に、IAN MACMILLANの著作物である旨手書きされており、51/4/12というリファレンスナンバーがふられている。
たぶんIAN MACMILLANの写真が販売された時の一点と思われる。
ナンバリングはないが、入っていたビニール袋には、160/200と読めるマジックペンの記載がある。

いずれにしてもIan McMillanの署名入り写真はなかなか見つからなかったので、貴重な逸品をゲットできた。
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カイロ

2024年01月10日 | Europe・Middle East・Africa


今日は、いよいよ最終日。
金(カルトゥーシュ)のお店に行ってから(流石に手は出さず)、モハメドアリモスクへ。
城砦の中に、トルコ支配時代の200年前に建てられたカイロ最大のモスク。
正直、モスクは、たくさん見て来たのであまり期待していなかったのだが、素晴らしかった。
イスタンブールのブルーモスクをイメージして、建てられたという。



中も見事で、思わず見とれてしまう。
中庭には、木製の大きな時計があったが、コンコルド広場のオベリスクと交換にもらったものという。
トルコ人は、エジプトの歴史には、関心がなかったようだ。



そして、ハン・ハリーリ市場。
細い道が曲がりくねっていて、そこに所狭しとお店が並んでいる。
昼なので、そんなに賑わっている感じはしなかったが、夜は、人も通れないほどだという。
雑貨、服、香辛料の店が多かったが、カーテン専門店が並ぶ通り、食料品が多い通りなど、分野毎に分かれているという。



そして、エジプト考古学博物館。
大エジプト博物館の完成が遅れていて、ほとんどのお宝が、まだこちらに展示されているが、引き続き3月の新博物館オープンを目指しているととのこと。
大阪万博と一緒?
お宝の一部は、引越しもされたようだが、そのほとんどは、引越し準備の気配も感じられず、また延期になるのだろう。
新博物館には、日本のODAも入っている。



中は、広々としているように見えるが、展示を見ていくと、所狭しと並んでいる感じ。
たぶん展示しきれてないものも、数多くあるのだろう。



他の博物館にも、エジプト系の展示はあるが、それぞれの博物館の目玉と言えるようなお宝が、この博物館にはずらりと並んでいて、真面目に見ていたら、何日あっても足りないだろう。
考古学博物館というだけあって、新しくても、せいぜいローマ支配時代ぐらいまで。
古いのは、5千年前のものから。



そして、なんと言っても、目玉は、ツタンカーメン関連の展示。
その中の最重要なものは、別の部屋に展示されていて、そこは、撮影不可。
素晴らしかった。
アンビリーバブルとは、このことだ。
実は、小1の時、親に連れられ、一度見ているのだが、高くて見えにくかったことぐらいしか記憶がない。
その後、門外不出となったと思うから、本当に再会できて良かった。
まさに、世界の至宝だ。



部屋の外にも、ツタンカーメンの椅子や、アラバスター製臓物入れや、装飾品など、多数展示されている。
何度訪れても飽きない博物館だ。

ということで、全日程終了し、帰途に着いた。
遠いのが玉に瑕だけど(乗り継ぎ便だから、16時間ぐらいかかる)、最高の旅ができた。
なかなか行きにくいところで、無事に全行程完遂でき、大感謝。
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アブ・シンベル 2日目

2024年01月09日 | Europe・Middle East・Africa


昨日は、アブ・シンベル神殿をナセル湖からと、夜に見たが、今日は、日の出から見学。
入場は、6時からで、日の出は、6時半ぐらい。
ホテルに、8時頃戻って、朝食後、ひたすらアスワンへ。
それでも3時間半はかかる。
アスワンからカイロへ飛んだのだが、機材トラブルで、ほぼ3時間遅れ。
エジプト航空は、いつもこんな感じらしい。
カイロでは、ナイル河沿いの高層ホテルで、素晴らしい。



朝日に映えるラムセス2世像。
左から右へ歳を重ねている像に、なっている。



中もラムセスだらけ?
部屋もたくさん発見され、まとめて引越ししている。
どうやったのか、とんでもないプロジェクトであったことには、間違いないが、その価値は、十二分にあった。
このように救われた遺跡は、あと2つあるとのこと。
その他は、湖の底に沈んでしまった。



ラムセス2世が、戦っている様子。
ヒッタイト征服により、エジプトは、より栄えたとのこと。
そういう時代だった。



これも戦いの壁画だが、馬の足が、8本ある。
世界最初のアニメーションと言われている。



一番奥の部屋の神像。
年に2回だけ。この部屋まで光が入る設計になっているという。



小神殿も見学。
王妃ネフェネルタリのための神殿。
ラムセス2世の像4体とネフェルタリの像2体が並ぶ。



中には、ハトホル柱が並ぶ。



小神殿にも素晴らしいレリーフが,多くある。

アブシンベル神殿は、ラムセス2世最大の神殿。
その歴史も波乱に富んでいる。
素晴らしかった。
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アブ・シンベル

2024年01月08日 | Europe・Middle East・Africa


今日は、今回の旅の最南端のアブ・シンベルまで、南下。
最初、アスワンハイダムに寄ったが、三峡ダムができるまで、世界最大だったというから、恐れいる。
琵琶湖の6倍!の大きさのナセル湖ができた。
あまりのデカさに声を失うが、このダムによって、電力供給、夏の洪水の問題を解決した。
当時のソ連が、支援したそうで、記念碑が立っている。

そしてひたすら南下。
砂漠の中を走り続けて4時間ぐらい。
途中、休憩所で、スーダン砂漠の砂をとったり、途中金鉱があったぐらいで、何もない。
緑の部分があってびっくりしたが、数年前から、地下水を利用した麦作が始まっているとのこと。
自然に逆らい切れるのだろうか。
太陽光発電にはピッタリと思うが、たぶん採算が合わないのだろう。

アブ・シンベルに着いて、ランチをいただいてから、ナイル湖クルーズ。
初めてアブ・シンベル神殿を拝んだ。
神殿も凄いが、その引越し工事を60年近く前に行ったことがまた凄い。
ユネスコ世界遺産の考え方の原点にもなったプロジェクトだ。



こちらが大神殿。
ちょうど、観光客が訪れるタイミングの狭間のようで、空いている。
ナイル河殺人事件を思い出す?



こちらは小神殿。



5時半ぐらいに日が暮れた後、6時半から神殿で、音と光のショー。



音声ガイド付きで、観客の多い言語で会場に流れ、その他言語の人は、イヤホンで開く仕組み。 
英語圏の人が多かったらしく、会場では、英語で流れ、私は、イヤホンで、日本語バージョンを聞いた。
映像がうまく撮れなくて、残念だが、まずます。
ブロジェクションマッピング的なものを勝手にイメージしていたが、大神殿、小神殿の岩山を利用した映像ショーという感じ。
アブシンベル移転プロジェクトから、ラムセス2世の功績、生涯をなぞる内容になっていた。
ここでやることに意味がある。



星空が流石に素晴らしい。
オリオン座が、まさに輝いていたが、その三つ星が、ギザの3大ピラミッドの配置とピッタリ合致すると聞いたことがあったが、実際そうだったのだろうか。

明日は、いよいよアプシンベル神殿の中に入る予定。
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エドフ & コム・オンボ & アスワン

2024年01月07日 | Europe・Middle East・Africa


今日は、ルクソールから南下。
移動の合間に遺跡に寄ったという感じ。
ナイル河クルーズも同じルートで、一斉に遺跡に行くから混み合ってたいへんだそうだが、上陸時間とダブルこともなく、ゆっくり見れた。

最初は、エドフのホルス神殿。
これも巨大な神殿で、プトレマイオス5世から12世にかけて造られた。
プトレマイオス12世は、クレオパトラの父だ。



ホルス神の像。
立派。



素晴らしいレリーフが至る所に残っている。
これは、香水の作り方。
説明付き。
このレリーフは、ナポレオンも見ていて、フランスで香水が、造られたと言っていたが、まだ、ヒエログリフは、解読されていなかったのでは?
香水製作所もあったという。



これは、クレオパトラ1世だったかな?
あまりにも種類が多く、ヒエログリフも読めないため、覚えきれない。



次に訪れたのは、コム・オンボ神殿。
さらに、南に下ったところにある。
こちらは、ワニの神様を祀っている。

南への道路は、鉄道と並行しており、ナイル河にほぼ沿っている。
舗装は、一応されているが、一部轍ができるほどで、状態は、悪い。
さらに、交差点の手前に、減速させるための出っ張りが設けられていて、距離の割に、時間が、かかるのには閉口した。



ここにも素晴らしいレリーフが多く残されている。
世界最古と言われるカレンダーで、当時1月29日であったことがわかる。
日にち毎に、お供物と、祀る神が指定されている。

これは、世界最古と言われる医療器具。
メスやなどは、もちろんだが、カテーテルまである。
ミイラ作りのため、医療技術も高かったと考えられている。

ワニのミイラの博物館が併設されており、結構立派でびっくりした。



そして、さらに南下し、アスワンへ。
アスワンハイダムで有名だが、ダムは、さらに南。

そこで訪れたのは、未完のオベリスク。
40m以上のオベリスクを掘り出そうとしたが、ヒビが入ったため、放棄された。
当時は、石を切る道具などなく、より硬い花崗岩で、穴を作り、そこに木を打ち込んで、湿らせることにより、石を割ったということだ。
とてつもない労力を要したろう。
回りは、石切場になっており、石を割るための穴が今も残る。
ピラミッドのための石もここで切り出され、ナイル河を使って、ギザまで運ばれたという。

今回3本オベリスクを見たが、今エジプトに残っているのは、その3本だけという。
ドイツに20本以上あり、フランス、トルコにもある。
トルコ統治時代に、持ち出されたという。
 


アスワンは、列車、ナイル河クルーズの終着点で、賑やかだ。
中洲で、花が栽培され、香水、香油の産地。
アスワンの砂は、質が高く、良質のガラスが作れるという。
ということで、香油と、ラクダのデザインの香水瓶をゲット。



ホテルは、やはり中洲にあり、船に乗らないと行けない。
ちょうど、陽が落ちるところだった。

明日は、いよいよアスワンハイダムから、アブシンベル宮殿に向かう。
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