かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

図説 ツタンカーメン王

2024年01月01日 | Books


Happy New Year!
これ、テレビの初日の出。
ヘリコプター5,000m上空から。



海外はともかく、日本は、平和な正月と思っていたら、能登地方で、大津波を伴う大地震発生の報。
3.11のようなたいへんなことにならないといいのだが。
毎年石川県には行っていて、特に昨年は、七尾に泊まった。
まさに、海がすぐそこ。
無事を祈るしかない。



今年初めにご紹介する本は、故あって本書。
昨年10 月に行った、ツタンカーメンの青春展でゲットした一書。
久し振りのふくろうの本だったがひじょうにわかりやすく、図説と銘打っているだけあって、写真群がすばらしい。

2005年に出た本の新装本だったが、まさに、10月に行った展覧会に合わせた新装だった。
著者自身が、ツタンカーメンの宝物類の複製品を日本人が所用することになるための仲介役になったのだという。
10月の展覧会で見た複製品の紹介をするコーナーも設けられていた。

ただ、メインは、ツタンカーメン関連の宝物と、その解説。
宝物≒美術品として我々は、見がちだが、当時のエジプト人の信仰心から来ているものとして見ないと、本質を見誤るという。
壁画類についても同様。
動きに欠ける、ワンパターンで単調だという見方があるが、見せるための壁画ではなく、王たちが、来世で生き続けるための副葬品であり、壁画類。
副葬品として見るのではなく、王の死後の至福を祈願するための「実用品」として見るのが正しい。

通常、副葬品は、ミニチュアが多いが、ツタンカーメン王の墓には、実物が例外的に多いことを知った。
若くして急死したため、ミニチュア作りが間に合わなかったからだと考えられているそうだ。
下着や、手袋、サンダル、火起こしの道具などの日用品も多い。
だから、当時の人々の暮らしを理解するための、ますます貴重な出土となった。
また、墓室が不釣り合いに狭いのも、当初別人の墓室として作られていたものを、急遽代用したからだと考えられているそうだ。

それにしても、巨大なピラミッドと同様、数千年前の技術の高さには、舌を巻くしかない。

年末のたけしの番組で、吉村博士が、ピラミッドは、神社のようなもので、王たちのお墓ではないと力説されていた。
確かに、お墓は、ピラミッドとは別の地中深くで見つかるケースばかり。
ピラミッドの中で、石室は見つかるが、そこは、神たちが降りてくるところだという。
クフ王のお墓が未盗掘で見つかったら、ツタンカーメン王の墓の発見以上の事件!になるだろうが、ここまで発掘が進み、まだ見つかる可能性が残されているのか。

発見者のカーターは、有名だが、パトロンなしでは、発掘は続けられなかった。
最初のパトロンだったディヴィスは、発掘を諦め、発掘権を政府に返した翌年亡くなったという。
次のパトロンだったカーナヴォン伯も、5次発掘まで成果が上がらず、6次が最後の発掘だったが、それが大発見につながった。
そのカーナヴォン伯も、発見7カ月後に蚊に刺されて亡くなってしまい、ミイラと対面できなかった。
カーターは、墓の呪いにかかることもなく、1939年まで生きたという。

カーターは、1922年11月26日に、墓を発見後、一旦引き上げ、エジプト政府の監督官を待ったことになっているが、実は、その夜、お墓に入り、搬出可能なサイズの副葬品を持ち出した疑惑があるのだという。
事実、様々な流失品が知られている。
ただ、公式には、そのような事実は、認められておらず、著者は、偉大な功績に鑑み、大目に見られたのではないかと推測している。

エジプトの魅力を知るための入門書として最適な一書。
コメント
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