大河ドラマ「功名が辻」のトピックスで、今回の秀次のことを、詳しく流れに沿って載せていましたね。「追い込まれる秀次、悲劇の“Xデー”迫る!」
もう、今回はみんなここ見てね、って感じなんだけれども、秀次、本当によかったですね。今までの女好きで残虐なイメージのあった秀次像を打ち壊し、新しいイメージを作り上げました。
演じた成宮寛貴君が良かったのですよ。切々と、その願いや悩みが伝わってきました。
今回、心に残ったのは出演している方々の、その演技力でした。なにやら、偉そうな言い方になってしまいますが、どこのシーンでも、キッチリ場面が成り立っていて見ごたえがあったのです。良かった、お玉出てこなくて・・・・
言葉だけで語れば、まるでアメリカンドリームのような人生だった秀吉の、その後の短命だった血脈に同情的だった私でも、「もう、この人たちは天罰!どうでもいいや。」と思わせてしまう柄本明さんは、いつもながらすごいです。
そして、寧々様。着ていた着物もとっても素敵でしたが、千代とのやり取りの時
「分かりました。うちの人に伝えておきましょう。」と言った時、怖くてゾーっとしました。綺麗で、怖い。きれこわ・・ですかw ←間違えて、指がさわっちゃったんだけど、まあ、いいかあ。
「うちの人」―秀吉をそう呼ぶ寧々の格の違いを感じてしまいます。浅野ゆう子さんは、作り手の「ごく妻のような」と言うコンセプトを貫いているよなと感心してしまいます。
一豊さんも、私の好きないつもの渋いお顔の上川隆也さんでした
関白返上してしまえばいいのに。そう思わずにはいられない話の展開ですが、サスペンスのようにどんでん返し等あるわけもなく、ただ過去の悲劇の過程を見守るだけの私たちにとっては、「秀次の真実」-これもありかなと思う、ただそれだけですね。都合の良い風に尾ひれをつけて、その人物像を残す。時の為政者達のやりそうなことですものね。
人は時に「歴史に名を残す」と言う果てしない夢を見るときがある。でも、残ってしまった「名」が汚名だったりしたら、過去からの風に乗って気まぐれに今を覗いた残留思念たちは、どんなに切なく思うことだろう。
ー秀次殿、少しはお気持ちが晴れましたか?ー
「秀次殿、少しはお気持ちが晴れましたか?」
「う~ん、来週の事を思うとちょっと・・・出てこなかったけれど我が3歳の娘のことを思うと胸が、胸が痛いでござる。」
「大丈夫でございますよ。人は人にした事の報いを必ず受けるものなのですよ。ならば、しばらくここにとどまりて、『功名が辻』を見ていかれたら。」
「さればそう致すか。」・・・と言うわけで、来週から秀次と一緒に茶々の最後を見届けます・・・なんて、あほなこと書くなって。。。。
オマケでござる。「これ、秀吉が主役なんだっけ。」といつものラッタ。
「そう、それで次は家康。」
「おい、こらっ、
」
「・・・」 ←やっぱり記憶がない
―来週はお休みの予定です。―