6月20日、六本木にある国立新美術館にて「大エルミタージュ美術館展ー世紀の顔西欧絵画の400年」を鑑賞してきました。
←チラシです。バッグから取り出したら、ちょっとシワシワに・・・
なんだか、いつもと違って雑な取り扱いのような。
ちょっと疲れちゃって。
作品数もすごく多く感じました。
でも今思うと、特別に展示数が多かったというわけではないように思うのです。
ではなぜ、多く感じたのかというと、それは様々な時代の様々な人の作品にドドっと触れたからだと思うのです。絵画と触れ合うことは人と向き合う事にも似ていると思います。いにしえの画家たちの想いや時代の背景が自分の中に流れ込んでくるような感覚がします。
本当に疲れました。
私は今年、行きたいなと思う美術展を探すのは、新年に新聞などでチェックしておくのがここ数年の習慣です。その時美術展のタイトルを「大エルミタージュ展」だと思っていたのに、チケットを見たら「エルミタージュ美術館展」とありました。おやっと思い、チケットをしみじみ見てみたら、ちゃんと「大」という文字は控えめな色で、しかしデザインされて描かれていました。そんなタイトルの「大」と言う文字に納得できる内容で見応え充分でした。
「大エルミタージュ美術館展」のHPは→ここです。
こちらのHPも解説は詳しく、コラムなども面白いので是非チェックしてみてください。
展示は時代によって5章に分かれています。HPの解説が詳しいので、あえて私が語ることは何もありませんが、音声ガイドから聖母マリアを絵画の中で見分ける方法を学ぶことが出来ました。彼女は赤い服と青い何かを纏っているそうです。分かってみてみると、宗教画の様々な絵画の中で、彼女は確かに赤と青で彩られていたのでした。 HPのこんな所も、お見逃しなく→ここ
かなり知らない画家の方も多数いました。美しい絵画を順に観てきて、4章の「 19世紀 ロマン派からポスト印象派まで:進化する世紀」まで来た時に、知ってる画家の方たちの作品が並び、思わず家に戻ってきたような安堵感を感じてしまいました。
そしてさらに5章の「20世紀 マティスとその周辺:アヴァンギャルドの世紀」に進んだ時に、私が感じたことは、ちょっと情けないことでした。それは何かと云えば、もしも私が画商などの仕事をしてる人だったら、もしくはかなりの財を持ち、絵画をコレクション出来る身分の者だったとしたら、私は新しき風を感じることが出来ずに、20世紀の絵画の未来を黒く塗りつぶしてしまったのではないかということです。
チラシにも載っていて、この美術展の看板にもなっているアンリ・マティスの「赤い部屋」。
3メートル離れて見ると、この絵画の迫力と美しさに引きこまれます。だけれど近くで見たら、ちょっと違うことを感じてしまうのですよね。それはいにしえの宮廷画家たちの、これでもかというくらい重ねられた絵の具で隅から隅まで完璧に仕上がっている絵画を見続けた後での作品展示だからだと思います。
そこが私の未熟な点かも知れませんが、別の言い方をすれば「好み」の問題かと思うのですよね。
だけれど、その才能を見抜きコレクションしていったロシアの大コレクター、セルゲイ・シチューキンは本当に素晴らしいと思いました。彼については、HPのコラムをお読みください。→Vol.16 「大エルミタージュ美術館展に行こう!(5)」
ついでですがエルミタージュ美術館については、詳しくは→ここで
気に入った作品は幾つもありました。思わずカタログなどを買おうかなと悩んだのでしたが、今この時に気持が盛り上がっても家に帰って見返すことは稀だと思うので、それは止めて、また何枚かの絵葉書やファイルや一筆箋などを買って参りました。そうそう画像はありませんが付箋も買って来ました。絵葉書はコレクションで誰かに送ることはほとんどありませんが、他のものはその日から使って楽しんでいます。
はっきり言って、おみやげ買う派です。買ってきたものは、長く使うことが出来て二倍の楽しみ方だと感じています。
←クロード=ジョセフの「パレルモ港の入江・月夜」は絵葉書でも買いました。なんで絵の中でも月の光に心惹かれるんだろうかと思いながらも、魅せられました。
ちょっと、これは下に大きく載せました。一筆箋は他にもありましたが、これはオススメです。・・って、なんでおみやげ解説してるのかわかりませんが、アンリ・ルソーにポールニャックの点描画・ボナールにシスレーの絵が順番に出てくるんですよ。伝言なんかなくても誰かにメモを渡したくなる気分です。
ドラマの影響ですが「高まる~」って気持ちになることって大切な事なんだと思います。