「3月の4枚」写ん歩クラブの毎月の企画に参加します。詳しい事は→「写ん歩クラブ『3月の4枚』のお知らせ」 春が待ち遠しいのは、絶対にこの花が咲くのを待っているからだと思う。......
「3月の4枚」写ん歩クラブの毎月の企画に参加します。詳しい事は→「写ん歩クラブ『3月の4枚』のお知らせ」 春が待ち遠しいのは、絶対にこの花が咲くのを待っているからだと思う。......
4月1日、サークルのメンバーとお花見散歩に出かけました。 葉桜も多かったですが、それはそれで美しく感じ楽しかったです。
ところで、下の囲みは昨年の4月1日に投降したもので、2013年からのツリーになっています。 ということは、そこだけがいわゆる「10年日記」になっているのでしょうか。 10年分読み直してみましたが、実は日付がづれている、そんな年も結構あったのです。それでも、このテーマのこれは10年続きました。
2022年の4月1日は金曜日下の囲みは、昨年の4月1日に投稿したもので、2013年からツリーになっています。だから今年もそのツリーを止めるわけには行きません。いつも心の中で父と語らって来た今日の......
2013年にのエイプリールフールに、父と交わしたくだらないウソ合戦。
そんなつまらないような日常の一コマが、ずっと忘れられない思い出になる‥‥そんなこともありますよね。
そこから始まった、10年のツリー日記です。
そしてこの公園の桜の花を見ると、姉妹と母が我が家にやってきたとき、小雨が止んだばかりの誰もいない公園を、みんなで「ポーレチカポーォレ。それは愛の言葉~♪」と歌いながら池の周りを回った思い出が、いつも思い出されるのです。
それは姉の抗がん剤治療のために被っていたウィッグが風に飛ばないように頭に乗せたスカーフを見て、思わず歌ってしまったから。
またその時に、妹二人が早咲きの桜の木の下にいて、何やら指さしながら見上げていたのを遠めに見ながら、かわいい二人だなと、私が思っていたことは誰にも言う必要もないことだったので、言わなかったわけですが、実は忘れられないシーンだったのですよ。・・・・・そんなこともありますよね。
でもこのことは過去のブログに書きました。→ふたりでお花見を。
2013年の自治会の花見の会で、「今年の桜を見られても、来年の桜を見ることはできないと思う。」などと挨拶したことも忘れられない思い出ですが、その時の父の言葉は、「今年の桜は今年しか見ることができない。」という風に微妙に意味を変えて、私たちの日常に忍び込んできたのでした。
今年しか見ることができない、今年の桜を、私は見たような気がします。 あなた様は如何でしたか?
写真の下にも少々の文があります。
先日、友人と買い物に行ったとき、いつも同じようなことを言っている私ですが
「この季節って、空の上から見たら、日本ってピンクに染まっているんじゃない ?」と言いましたら
「乙女のようなロマンチックなことを言いますね。」などと言われました。
すこぶる褒め上手な方ですよね^^
ところが、昨年の自分のブログ「3月の4枚」を読んでいたら、
>「宇宙から見たら、今の季節の日本はピンク色に見えるらしいですよ。」
という一文があって、思わず私
「えっ、やっぱし !?」となったのですが
そのあとに
>「って、今日は4月1日ですからね^^
だけど、それ、本当だったら良いのにな。」と続いていて、自分のついた嘘に自分でひっかるという‥・・・まあ、楽しい毎日です。
2023年4月1日。お父さんへ。
まだロシアとウクライナの戦争は終わっていません。
日本の食料自給率は最低だっていうのに、軍事費は爆上がりで予算を立てて、あんなに戦後頑張ってきた人の思いをないがしろにするかのように、日本は敗戦国のみじめさを今頃味わっているような気が、時々してしまうのです。あれはへつらい費 ?
だって、軍事をどんなに補給しても、戦争なんかできるわけはありません。自国にいながら、みんな飢えて死んでしまいますものね。もしくはかつてのロシアがそうだったように、みんなで犬や猫の肉を食べる羽目になって‥‥いやいや、ごめん。考えたくもないことですよね。
我慢してバッタなら食べるか、仕方がないからってなりますかね。バッタじゃなくてコオロギだよって突っ込まれるかしら。日頃の研究は大事だし、来るべき未来に何があるかわからないから、やみくもには反対はしません。
そういえば、今度家庭菜園を始める友人に、お野菜がちゃんとできたらお分けしますって言っていただいたのですが、それは平和な時のお話ですよね。
私もベランダ菜園をしようと思って、
「また、とりあえずパセリを植えたんだ。」と言ったら、
「今年も青虫を育てるの ?」と言われました。(;^_^A
マスクは自由になって、世間では何となく「コロナ収束」ってムードが漂っているわけですが、公園でもマスクを外している人は、そんなにはいませんでした。
私は屋外では外すけれど、やはりお店に入る前にはしますよ。屋外でも上野のように密になって歩いているところでは、しますよ、自衛のためです。
もうこれからは正確な数なんか出ないでしょ。
でも400という数字で震えた過去を忘れたくないです。あの時と今は違うというけれど、周りでかかった人は(結構いるんですよ。)、みんなが楽だったなんてことはなったです。
呼吸器系が弱いので、夫と私は、やはり自衛は大事です。
だけどこの自衛は、やみくもにマスクをすることではないと思いますよ。
今度は逆に、マスクを外せと声高にいう人たちが表れて、まったくビックリですよ。
自分で考えて自分で行動しますからって言ってやりたいですよね。
私たちのことを言ったら、お母さんは認知症・・・。
お父さんが生きていたら、それを受け止められたかな。
お姉ちゃんは膝の手術をして、私も実はあまり良くない。自分では負けないつもりでも、なんかみんなに庇われている感じがします。
って、2023年はこんな感じですよ、お父さん。
えっ、なあに ?
もっと楽しい話はないのかいって?
うーんうーんうーん。
ないな。
でもいい話は早々はなくても、それでも毎日は楽しいよ。