森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「全領域異常解決室」#1

2024-10-11 02:59:02 | テレビ・ラジオ

(ドラマの感想は、あらすじは書きませんが、ネタバレ配慮していませんので未見の方はお気をつけて。)

楽しみにしてた藤原竜也主演の「全領域異常犯罪解決室」が始まりました。

期待通りの面白さでした。

私の推しが藤原竜也さんだからというのもありますが、元々、摩訶不思議案件が大好きなものですから期待値も高まると言うものです。

そう言えば、近頃、私、「推し」と言う言葉に抵抗がなくなりました。

以前は、あまり好きな言葉ではなかったのです。世の中に蔓延しすぎて、慣れてしまったということもありますが、「推し活」と言う言葉は逆に好きかもしれないので、抵抗がなくなったのですね。

「推し活」って良いと思うんですよ。世界の片隅で本を買ったり、映像見たり、CDを買ったり、グッズを買ったり・・・・・

なんか元気が出たりしますよね。

だけど世の中には、トンデモナイジャンルの推し活もあるじゃないですか。

ホストに入れあげるなんて言うのも、ダークな方のそれじゃないかしら。

今回のお話も、少しそれに近いものを感じました。もし、その「推し活」と言うものを、普段からあまり反応できないという方にとっては、少々感情移入しづらいものもあったかもしれませんね。

ラストに手を汚さずに華麗なる復讐を遂げた妻に、明日から寂しくなりますねと告げた興玉は、罪に問えない犯人に最大の罰を言い渡したのかも知れませんね。

 

妻、最初から怪しいって思っていた人は多かったと思います。私もその一人。理由は興玉が告げた事と一緒なのですが、「光る君」などを見ているからか、妻の生霊がシャドーマンなのかと思ってしまいました(笑)

いくら好きだからと言って、人間には許せない感情ってあるものなのですよね。

「俺にとっての一番はお前」なんて言っても、ゆるしては貰えることではないんですよね。

 

事件自体も残酷で恐ろしいなと思いました。

 

しかしなぜ雨野小夢(広瀬アリス)は全決に移動になったのでしょう。

才能があるから。

なんの?

なんかいろいろ「そうなのかな」と言う雰囲気が出てきましたが、まだまだ謎ですよね。

 

刑事の荒波(ユースケ・サンタマリア)は、なぜボードの一人の女性を特に意識していたのかしら。

いつかその謎ときの回があるのかしら。

 

デリバリースタッフの芹田(迫田孝也)の本当の正体は何なのかしら。

 

ヒルコって本当は何?

 

イザナミたち両親に捨てられた、最初の子供。

何で捨てられたの・・・・・って、そこは後から検索してみようかな。

 

ヒルコが捨てられた神なら、この興玉雅の興玉もあまり聞かれない名前だし、何か関係があるのかなと思って調べてしまいました。

やっぱり神の名前で、そう言うのがあるのよね。しかも移動するので社殿を持たないという怪しさ。

なんか面白いですね。

 

と言うわけで、また次週も楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 


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「金箔のコウモリ」と「失敬な召喚」

2024-10-08 09:41:18 | ユーモレスクを聴きながら(book)

続けてエドワード・ゴーリーの本の紹介と感想です。

横須賀美術館にて「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展」と言う記事の中で、「不幸な子供」の事を書きました。

その本のアマゾンの紹介文に「一人の少女の不幸を悪趣味すれすれまでに描いた傑作!」とあることも書きました。

 

この「金箔のコウモリ」も一人の少女の一生を描いた物語です。

「ずぶぬれの木曜日」と「音叉」」と言う記事の中で「ずぶぬれの木曜日」の感想に、『読後感』と言う言葉を使いました。

それをここでも使うとすると、「金箔のコウモリ」は静かな何とも言えないような感動が残ります。

 

この本は絵本。言葉も多くはないし、途中でヒロインの気持ちを綴った言葉も一言もありません。淡々とあった事だけが語られていきます。

だけどもしも映画好きの人ならば、読後にはまるでフランス映画やハリウッド映画か何かを見終わったような気持ちになるかもしれません。

エドワード・ゴーリーは、相当なバレエ好きな人だったらしいです。だから描くことが出来た物語だったのかも知れません。

 

ある日死んだ鳥を道端でじっと見ていたモードは、マダムにスカウトされます。

マダムの用意した部屋に住み、明けても暮れてもバレエの練習。

わびしい生活です。

そのマダムは、モードへの異常な関心に精神病院に入れられ、バレエ団は解散してしまいます。他の団に入れても2年間のドサ回り。だけどドンドン才能のを花開いていくのです。裕福なバレエ団からもスカウトされ、彼女に恋をしてくれる人も現れます。

しかし・・・・・

その後も紆余曲折。

ただ彼女のバレエ生活は華やかになっていきます。そしてシックでミステリアスで時代の寵児になっていく彼女の毎日の生活は、実はずっと変わらず侘しく退屈なものだったのです。

だけどとうとうさる国の王族の前で踊ることになって、彼女は飛行機に意気揚々と乗り込みます。

 

これは彼女の一生の物語。

サクセスストーリーなのか、それとも悲劇の物語なのか・・・。

タイトルの「金箔のコウモリ」は作中に出てくるバレエのオリジナル演目のタイトルなのですが、何かそこに意味があるようにも感じてしまうのでした。

 

そして次に感想を書くのは「失敬な召喚」です。

美術展ではこの本の絵は3枚しか(確か?)掲示されてませんでしたが、その3枚目の絵を見て、どうしてもその続きが気になって、いつか必ず読むと思ったわけです。それが今の私のゴーリーブームに繋がったと言えるでしょう。

「悪魔来りて 宙に舞い  スクィル嬢を蹴り見舞い」で始まる物語。

悪魔はブンブンと彼女を振り回し舞います。その夜、彼女の胸には悪魔のしるしが・・・・。

その後に彼女は不思議な力を身につけてしまうのです。

その3枚目は、彼女が蛇を引き裂いているという絵だったのです。

恐ろしい絵なのですが、「凄いな。この人どうなっちゃうの。」と私は思ったのです。実はルート君も同じ気持ち。

だけどこの本を手に持ってみると、やはりその蛇のシーンはありません。「音叉」にも同じことがあったので、やはり編集の段階で止めた絵だったのかも知れませんね。

 

ゴーリーと言う人の本を読んでいると、あまり道徳的なことを言っているような雰囲気はないのですが、もしかしたら、これは「惡の誘惑」について、かなり真面目にメッセージを出しているのかも知れないなと思いました。

読めて満足しました。

本の紹介の下に、ネタバレの雑なあらすじを置いておきます。

彼の本は、確かに癖になってしまいます(;^_^A

 

 

その後彼女はどんどん魔女化していき、気持ちの悪いクッキーを作ったり、「九十と二のまったき悪徳」と言う本を熟読したり、とうとう近隣の人達を・・・・

まあ伊周(光る君)のやっていることをやりだすわけですが、彼女の場合は効き目が頗るありました。そこに戻ってきた悪魔が「やりすぎなんだよ!!!」と言ったか言わなかったか、容赦なく彼女の髪を掴み、彼女を地獄の業火の中に突き落とすのでした。

 

雨の一日。素敵な時間をお過ごしください。


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「ずぶぬれの木曜日」と「音叉」

2024-10-07 02:29:51 | ユーモレスクを聴きながら(book)

8月にエドワード・ゴーリーの本を知ってから、他の作品も気になって仕方がありませんでした。(横須賀美術館にて「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展」 )

それで何冊か読み始めました。

彼の作品は、心にやすりがかかるような何かザラっとする感覚があったり、ちょっとした怖さがあったりすると思い込んでいましたが、案外そうでもないなと思えてきました。

特に今から紹介する「ずぶぬれの木曜日」などは、なんて言うか、読後感がさわやかです。

ある終日雨の木曜日。

ブルーノと言う犬は、飼い主がどこかに忘れてきてしまった傘を探しに街に出ます。

 

絵本でありながら、ちょっとした群像劇。

奥様達は雨の中で立ち話。

傘屋では、男がずっとイチャモンをつけてます。

子供はふらふら水遊びで溺れかけ、だけど・・・・・(ちょっとネタバレ回避)

一日の終わり、傘を見つけた犬は飼い主に褒められて、そしてそれぞれの木曜日も終わるのです。

成るようになって。

ある意味、ハッピーエンドだと思います。

―ゴーリーをいち早く評価した文芸評論家の大家エドマンド・ウィルソンはゴーリーにあてて「『ずぶぬれの木曜日』は君の最高傑作の一つだと思う。素晴らしい掘り出し物だ。」と書いています。―とあとがきにありました。

読後感を思うと頷けます。

 

 

もう一つの作品は、先に紹介したものとは違って、それこそまさに「心にやすりがかかるような何かザラっとする感覚があったり、ちょっとした怖さがあったりする」作品だと思います。

「シオーダみんなの鼻つまみ、ただいるだけで不快の極み」で始まる物語。

服も話し方も嫌われて、見ても聞いても、みんなが嫌悪で頭を抱えます。

世を嘆いて海に飛び込むシオーダ。

だけど彼女は死にませんでした。

海の底に潜む怪物が、彼女の話に聞き耳を立てます。

怪物は彼女の声にも見た目にも、何にも嫌悪の感情を抱きませんでした。価値観が違うのです。

嫌われない世界にたどり着いたシオーダはホッとして、今までの嘆きを語るのでした。

怪物はシオーダの話に驚愕。

 

そして地上では、シオーダが居なくなってホッとし幸せに暮らし始めた家族が居ました。

だけどその家族は一人また一人と不幸が迫って来て、みなお風呂場で順番に溺れて死に絶えてしまうのでした。

 

家族が死に絶えたことを知っているのかいないのか、それでもシオーダは自由な気持ちに解き放されて、髪をカールしパールで飾るのです。そして時には夜に沖に出没して、地元の人を震え上がらせたのでした。

なんか奥が深いお話だと思いませんか。

それにこの物語は、ちゃんと韻を踏んだ詩の形で成り立っているのです。私が書いた雑なあらすじでは申し訳ないと思います。

 

 

ルート君が言うには、美術館に展示された絵の中には、怪物にしっかりとお風呂場に引きずられていくお父さんの絵もあったそうです。

 

それは勘違いと考えることも出来るのですが、別の作品で美術館にあって本にはなかったと言うのが他にもあったので、一概に勘違いとは思えないのです。

原画はあっても、残酷さ回避ゆえに編集の時点で外したのかも知れませんね。

 


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ありがとう、そしてさようなら

2024-10-06 14:00:32 | 同じ時代の船に乗る

4輪で終わりかと思っていた我が家の朝顔でしたが(9月の4枚☆2024)、なんと翌日も咲き、昨日は3輪もいっぺんに咲きました。

我が家のベランダは、猛暑の夏は本当に地獄のようで、そんな真夏にひょっこりと芽を出し期待もしてなかったのですが、途中で一度はケアしたものの、思った通り花など無縁な朝顔だったのです。涼しくなったので、きっと朝顔もホッとしたのでしょうね。

 

 

だけど・・・・

いつも素敵な朝顔がたくさん咲いていた庭の住人は、逝ってしまわれたのですね。

4日の日は、少し時間に余裕があったのでブログ周りをしていました。

そこで知ったある方の訃報。

今はコメント欄も閉じていますので、特別に深いお付き合いがあったわけではありません。

それでもブログの行き来はありました。

私はブログのお付き合いで一番大事なことは、お互いの記事を読みあうことだと思っています。

私もその方のブログに行きましたが、その方もよく来てくださいました。

 

ただ、バタバタしている時、または自分の体調がイマイチの時は来てくださった方のブログ訪問がやっとになることも多いのです。8月9月はまさにそれでした。

それで4日の日に他の方のブログで知ったのです。

その時、その方のブログに行ってみても、なぜこの記事で訃報が分かったのか分かりませんでしたが、その方と親しかった方がコメント欄に書き込んでくれたのです。

ショックでした。

同じマンションに同じくらいのお歳の方がいて、私のあこがれの人なのですが、その方のピンシャンと立っている佇まいが素敵なんです。

なんでかその方とイメージが重なっていました。

過去に娘さんを先に亡くしてしまった悲しみを抱えているというのに、それでも強く美しく生きている様に惹かれていました。

 

だけどこの日、私は今頃で本当に申し訳なかったのですが、別の方の訃報も知ったのです。

かつては所謂企業戦士でした。その後、アルコール依存に陥ってしまいました。きっと現役時代の過激さと必要に迫られた飲酒の習慣に、そこに導かれてしまったのかも知れません。

断酒後、コロナ前は自らゴミなどを拾い、街の浄化に努めていました。

病気になられても頑張っていらっしゃいましたが、これが最後の更新とその方がブログに投稿された後も、私が新しく記事を更新すると訪問してくれていたのです。

きっとあまり自由に動けなくなったお体で、それでも読んで応援してくれているのではないかと思っていました。

それならばもっと寄りそうな記事が書けないものかと思いつつ(美しい風景や花などの写真や、優しい詩の紹介とか)、結局何もしなかった私。ちょっと悔いの想いが残ります。

 

9月3日。私は何をしていたのでしょう。

呼吸器外来に行って、その帰り道に小さな秋を見つけていたと思います。

9月15日。私は何をしていたのでしょう。

姑を買い物に連れて行って、そして自分のうちの買い物。それだけでクタクタになっていたのではないかしら。

 

  

 

もうブログを通しての触れ合いが途絶えるのかと思うと、寂しい限りです。

ある時は頑張って、ある時はイキイキと生きていらっしゃった事を忘れはしません。

どうぞ安らかにお眠りください。

今までありがとうございました。

そしてさようなら。

 

※    ※    ※

素敵なブログです。

めんどりおばあの庭 (goo.ne.jp)

ヒゲジイのアル中よもやま話 (goo.ne.jp)


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名刑事コールマンの捜査と子育て両立奮闘記

2024-10-03 23:05:46 | 海外ドラマ

9月に見た海外ドラマの紹介と感想です。

ミステリーチャンネルの第1話の紹介文をそのままお借りします。

「パリで潜入捜査の名手として知られるシモン・コールマン警部はオシャレで気楽な独身者。長期潜入を終えた彼のもとに妹夫婦の交通事故死の報が届く。遺言状はシモンを3人の子供の保護者に指名していた。子供たちの住むエクサン・プロバンスの警察に異動した初日にベンチャー起業家殺害事件が発生。3人の子供たちの世話と犯罪捜査を両立させなければならないシモンの悪戦苦闘の日々が始まった…。」

あまりにも簡潔に書いてあるのを読んでしまうと、なんか自分の言葉で紡ぐのが嫌になる時ってあるじゃないですか。

そんな感じです。

補足して書くと、3人の子供と言うのは高校生・中学生・そして小学生と様々で、その時代時代の子育ての悩みや問題が起きて来て、奮戦するコールマンも微笑ましいのです。それでいてミステリー部分も、決してつまらなくなく、言うなればホームドラマ+サスペンスと言うドラマ。

だからそれなりに刑事物語として引込まれても、疲れを感じることもなく、お気楽な気持ちで見ることが出来るのが良いなと感じました。

これはフランスで放送された時、プライムタイムで視聴率トップを獲得したのですって。

 

と言っても、まだ3話。評判が良ければシーズンを重ねていくことは間違いのないことなので、その最初から見られたことは、私的には珍しい事だったかもしれません。

たった3話でも、彼女さんが出来たりその彼女さんと・・・・・

相棒との関係も気になります。次のシーズンが待たれます。

 

このシーズン1は、「ミステリーチャンネル」にて以下の放送予定で再び放映されますよ。

11月21日(木)16:00
第1話 Simon Colemanシーズン1第 1 話
字幕HD
11月21日(木)18:00
第2話 Le saut de l'angeシーズン1第 2 話
字幕HD
11月21日(木)26:30
第1話 Simon Colemanシーズン1第 1 話
字幕HD
11月21日(木)28:15
第2話 Le saut de l'angeシーズン1第 2 話
字幕HD
11月28日(木)16:00
第3話 Derniere Danseシーズン1第 3 話
字幕HD
11月28日(木)26:25
第3話 Derniere Danseシーズン1第 3 話
字幕HD

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9月の4枚☆2024

2024-10-02 21:50:48 | 梢は歌う(日記)

いつまでも猛暑の夏が居座っていました。

だけどそっと次の季節が近づいてきています。

もうすぐ行ってしまうのかと思ったら、なにげに

「本当に行ってしまうのですか。」などと、お名残り惜しくもなってくるのです。

アッ、いやいや

「猛暑」と言うのはお断りです。

名残の夏を探してしまう・・・

9月はいつもそんな時

 

夏は向日葵はたくさん見たけれど、朝顔ってあまり見なかったなって

昼顔見ながら思い出しました。

 

空を見上げて、

夏のモクモクの雲、まだまだあったけれど

なんだかあの雲、鯨さんみたいだな。

 

朝顔をあまり見なかったのは、家のベランダの朝顔が、ほとんど咲かなかったからです。

こぼれ種の朝顔。

こぼれ種でも、こんなに咲かなかったのは今までにはなかったよね。

全部で4輪。

それでも私は嬉しくて・・・💛


名残の夏を探していたら、

小さな秋を見つけたよ。











 
9月の4枚《夏の終わりの線香花火》
9月9日は「山下清展」に行ったわけですが、その帰りに真っすぐに実家に帰りました。予定では4時ごろには家に着いていて、3人で夕食を食べに行き、そして暗くなったら、姉妹だけで......
 

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「海のアリア」と「AWAY-アウェイ-」

2024-10-02 01:57:01 | 漫画・マンガ・まんが

9月に読んだ漫画の記録です。

萩尾望都作品がたくさん♪」と言う記事に書きましたが、9月はフラコミにて萩尾氏の漫画が大量無料放出がありました。その時、2作品を読みました。

一つは「海のアリア」です。この作品の初出は1990年。私の子供たちがまだ小学校に上がる前の作品です。

如何に萩尾望都氏の漫画が、今の私を作ってきたと言っても、やはり読んでない作品があるのです。

それは主に子育ての頃。

その頃は子供に合わせて「コロコロ」とか「少年ジャンプ」とか読んでいましたから(笑)

 

嵐の朝、海に投げ出され遭難してしまったアベルは記憶を失い、遠く離れた沖縄で発見される。

その後彼は音楽教師のアリアドに「君はベリンモン、私の楽器だ。」と言われてしまう。

不思議でしょう、このあらすじ。これはSF。

楽器になってしまうという発想、凄くないですか?

 

ただアベルが発見された沖縄でのエピソードが、素敵だったがゆえに逆に中途半端なような気がして、ちょっと寂しく思いました。

優等生だったアベルとその家族の物語も描き切れていたのかと思ったし、悪魔のように変化したアベルの学園物語は面白かったのですが、登場人物がもったいないような気がしました。

それでもアリアドの物語になると、切なさが倍増。何となく萩尾節が花咲いたという感じ。

そして、あれっ、こんな日常的なシーンで終わるのっていう感じも良かったです。

だけどこのアベルは、本当のアベルと言うわけではないよねと、思わず考えてしまいました。

 

 

もう1作品は「AWAYーアウェイー」。こちらは2014年からの作品で、もう子育て世代ではなかったけれど、父の闘病や仕事などで、漫画などを読む余裕がなかったのだと思います。

だけど2014年は「王妃マルゴ」とか読んでいました。ブログって、やっぱり便利ですね。感想を書いてないのに、書こうと思ったのか下書きで記事が残っていました。

 

「AWAYーアウェイー」はある朝突然に、世界から18歳以上の大人たちが消えてしまうのです。

徐々に分かってくるのですが、もう一つの別の世界があって、そこには18歳以下の子供がみな消えてしまった「HOME」と言う世界があるのです。

ちょっと大人が消えた世界と言う所で、「未満都市」を思い出してしまったのですが、あちらは細菌で20歳以上になったら死んでしまうという世界でしたね。

こちらは18歳になると、判で押したように子供たちは「HOME」に行ってしまうのです。

大人のいない世界がいかに大変かと、本当に感じます。即死亡者が出てしまう案件もありました。それにいち早く気がついた子供たちは凄いなと思いました。

それは何かと言ったら乳幼児たちの世話です。

彼らは持てる力を助け合ってのレベルではなく、誰かの世話がなければ、すぐに死んでしまう存在なのです。

赤ん坊たちの世話をしながら、大人に近い年齢の者たちがリーダーになって他の子供たちも支えます。だけれど、そんな彼らも18歳になると消えてしまうのです。

 

じゃあ、大人の世界は良いのかと言ったら、そうでもありません。18歳になって親の元に帰った子供たちは、確かに待ち構えていた親たちからみたらホッとできる出来事かも知れませんが、自分の子供が帰ってこない親たちからすれば、それは羨望からか、または自分の子供の情報を聞き出そうとしたいが故なのか、付きまとったりして、戻った子供たちはまともな生活さえ送れなくなることもあったのでした。

それに子供を出産しても、つかの間の時間しか手元にはいなくて、あっという間にAWAYに去って行ってしまいます。

大きなストレス社会としか言えないと思います。

そしてそんな世界になってしまってから、数年がたち・・・・

なぜかというのも説明されますが、なんでかちっとも頭に入ってきませんでした。

お馬鹿になってしまったのだと思いますが、かなり他のエピソードが印象的だったからかもしれません。

「とにかくそういう世界になってしまった。」で、私的にはokだったのかも。

 

この子供だけ住む世界に、なぜか取り残されて「HOME」に行けなかった人が出てくるのですが、子供たちからは頼りにされても暴君とかにはならず、取り残されたことに震えます。この人の孤独は計り知れないなと、私はそう感じました。

 

この漫画には原案がありました。小松左京の「お召し」です。読んでみたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

・・・

 


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お馬さん日和 その2

2024-10-01 00:01:25 | お出掛け日記

・「お馬さん日和 その1」の続きです。

初めての競馬場体験のお話です。

「競馬体験」と言わないのは、昔、2・3回は友人に頼んで馬券なんかを買ったことがありますよ。

名前だけで決めて、まったくかすりもしませんでした。結婚する前のことです。

あまりギャンブルの才能は無いんです。今回も、それを身に染みて実感しました。

私は締まった馬の姿と、その馬たちが目の前を走っていくのが見たかったと言うのが今回の一番の理由です。

それでもやっぱり、競馬新聞を買うくらいですから、馬券を買う楽しみも少しはあったのです。

だけどその前にですね、凄く納得したことがあったので、そこから書きますね。

 

11レースの「スプリンターズステークス(GI)」は午後3時40分くらいからなんですよ。

第1レースは10時5分くらいから。

座席券の抽選に外れて、入場券のみを買った私たち。

そんなに早く行けないよと言ったら9時過ぎの入場チケットになりました。私のイメージでは最初の方のレースは捨てて10時くらいにのろのろと行けばいいのかななんて思っていたのですが、どうもその場所での楽しみ方のイメージが分かりません。それで妹の名都さんに任せることにしました。

それで8時半の待ち合わせになりました。

久しぶりの早起きです。6時半に目覚ましをかけて7時半に家を出ました。

なんか丸一日なのね。

そんなに長くて気持ちはモツの・・・・なんて思ってしまったのですが、そこは全く関係はなく、一日は楽しくあっという間に過ぎてしまいました。

確かに第1レースから楽しもうとなったら、その時間で行くのは正解ですが、8時とか8時半とかの入場でチケットを買うことの意味が、また別にもあるのだと、私は悟りました。要するに場所の確保です。

座席券がゲットできなかった場合、みな競馬場の中のベンチを確保するのですね。

9時入場でその事をまったく知らなかった私たちに、空いている席など見つけられるわけもなくがっかりしました。

 

でも外のレース場に行ってみると、芝生のいい場所を確保することが出来たのです。

この日のお天気は、

まったく暑くなかったのです。風も気持ちが良くて、ベンチは確保できなくても何も問題はなかったのです。

「なんてラッキーなんでしょう。」と私と名都さんは語り合いました。

だって涼しくなったのは、この2,3日前からだったし、27日の日はまた凄く蒸し暑く汗がダラダラと流れました。

素晴らしいお馬さん日和だったのです。

 

と言うわけで、また馬券の話に戻ります。

遠い昔、名前だけで馬券を頼んでかすりもしなかった私に、会社で隣に座って居た女性が、「私は馬の何々を見る。」と言ったのです。

彼女の言った「何々」って何だっけなぁと思いながら、お馬さんを見たら何かが分かるのかと、もう先に馬券は買ってしまったのですが、パドックにお馬さんたちを見に行きました。

やや、なんかやたらはしゃいでる馬がいるぞ。

なんかスキップしているじゃん。きっとああいうのはダメなんじゃないかな。

あら、あのお馬さん、やたらしょげている。

あのお馬さんもダメなんじゃないかしら。あのお馬さん、買っちゃったのよね。先に見に来ていたら、買わなかったかも・・・・なーんて事を思っていたのですが、トンデモナイ事でしたよ。

はしゃいでいた馬が3位だったと思います。そしてしょげていたように見えたシホリーンは1位だったのですよね、たしか。

きっとはしゃいでいて、まるでスキップしていたように見えたお馬ちゃんは、気持ちが高揚していたのですね。

そしてしょんぼりしていたように見えたお馬ちゃんは、「やったろう」と言う気持ちゆえに緊張していたのかも知れませんね。

 

と言うわけで、お馬さんたちを目の前で見ても全く分からない私なのでした。

 

3連複って、けっこう難しいなと思いました。2頭までは当たったりしますが、あと1頭がね。で、配当に拘っていないので、単勝で買ってみると言うのはどうかしらと思いましたが、申し込みチケット(?)の書き方が分かりません。それで近くにいるおじさまに聞いてみました。

その方は丁寧に教えてくださって、そして11レースの予想も教えてくれました。

ボックスで買う方法も教えてもらい

「これを買えば概ね間違いがない。」とおっしゃったので、その予想に乗ることにしました。

 

帰り道、私と名都さんは、「あの人、私たちに教えちゃって、ちょっとまずかったかなくらいなことを思ったかもね。」と言い合いました。

もちろん私たちは、外れたって何も思ってません。むしろ親切にして頂けて、その触れ合いが嬉しかったです。

その時、第4レースの馬券を単勝で3頭選んだ私。

すこぶる手堅いものを選んだので、1頭くらい来るのではないかと思いました。が、それも甘かったのです。

私の目の前をゼッケン12のダンツティアラがトップで駆け抜けていきました。

「そのままイケー!!」と言う応援の声が飛び交いました。

そのまま行くのだと思ってワクワクしました。

が、・・・・そうはならなかったのです。

でもまあさ、数秒、私の目の前で夢を見させてくれたのだから良いんじゃないと、私は思いました。

 

第7レース。

このまま箸にも棒にもひっかからないと言うのは嫌だなと、ちょっとだけ思っていました。

だって今日は、私的には競馬場見学会なのですから、このままでいったらアレを経験できないじゃん。

アレって払い戻しです。

パドックでゼッケン1のトライデントスピアってかっこいいなと思いました。それで単復で買ってみたのです。

3位でした。

アッ、これ払い戻し体験が出来るじゃんと、イソイソと払い戻しの機械を見つけ、やってみようとしたのですが、「どうやってするの、これ」状態になってしまいました。すると後ろにいたお兄さんが親切に教えてくれたのです。

そしてその人が名都さんに「勝ったのですか。」と聞いていましたが、すっごく恥ずかしかった、私。

「思ったよりいっぱい出て来たね。」と名都さんが言いました。

「うん、10円玉がね。」と私。

きっと後ろの人は、どうやったらそんな金額を出す掛け方が出来るんだろうかと、逆に謎を残したと思います。

でもこれで払い戻しの使い方も分かったし、さあこの先の不安もなくなったわと強気の私。この先、この場所には縁がなかったのですが(笑)

 

ここ数年でおばさん度が増した私。

見知らぬ人に話しかけるのに抵抗がなくなってきたわけですが

だから馬券の買い方から、払い戻し機の使い方も、親切に教えて戴けたのだと思います。

そしてたまたま隣に座られた気になる方ともお話が出来ました。

 

その方は一人で来ていた女性でした。家からだいたい私と同じ時間かかる埼玉の方でした。

レース場に来なくても馬券は時々買うとおっしゃっていました。

私は8・9・10レースは買いませんでした。2時間近く何をしていたかと言うと、ただ走ってくる馬を見ていたのです。なんか馬券を買ってしまうと、私は数字ばっかり見ているような気がしたのです。

「かっこいいな。可愛いな~ !!」と言っていたら、その人が

「そう可愛いんですよ、馬って。」と私の大きめな独り言に応えてくれました。

 

この日、途中で小雨がぱらつきました。

大した雨ではありませんが、ほんの少しだけ傘を差しました。

するとその方は、ちょっとかっこいい河童型のレインコートを着ていました。

出来るなお主ってな感じでしたよ。

 

帰る時、その人に

「またどこかで。」と言って戴けました。

「またどこかで。」と私も言って、ふと「勝ちましたか?」とにっこりしながら聞いてしまいました。

すると彼女は、とても可愛らしく指でジェスチャーをしながら「ほんのチョーっとね。」と、やはり微笑みながら言いました。

 

そして私は思いました。畑でも陶芸でも、そしてお馬さんのレースでも「ローマは一日にはならず」だなと。

 

お昼。

 

中山から船橋法典まで地下道で真っすぐ繋がっていました。

途中には歴代の優勝馬のパネルが飾ってあったり、絵が描かれていたりしました。

 

 

 

 

 

楽しい一日でした。

 

「お姉ちゃん、12月までに少しだけ勉強しておくね。」と、私は名都さんに言いました。

 

有馬記念、行けたら良いなって思っています。

 

 


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