朝日新聞東京面。
たとえ視力を失っても、合気道、初段に。
パラリンピックも来るのであるから、障がいのありなしに関わらず、誰もがスポーツを楽しめる地域になることを目指していきたいものです。
もちろん、芸術も、音楽も、旅行も、あらゆる趣味や、学問においても、障がいのありなしに関わらず楽しめることが必要なのだけれど…
******************************************
http://www.asahi.com/articles/CMTW1601191300002.html
東京)心の目 合気道で磨く
2016年1月19日10時42分
◇事故で失明 世田谷の難波さん
交通事故で視力を失った男性が、合気道の稽古に励んでいる。感覚が研ぎ澄まされ、人生をかけて窮める道を見つけた。
17日午前6時半、三軒茶屋駅に近い世田谷区太子堂2丁目の天道流合気道の道場「天道館」。年始恒例の1週間の寒稽古の最終日に約110人が集まり、その中に、近くの鍼灸(しん・きゅう)師、難波創太さん(47)の姿があった。
この日の都内の最低気温は2・3度。難波さんが2人1組で技を繰り返しかけ合う稽古を続けると、10分ほどで汗が噴き出してきた。道場の隅では、盲導犬のモナミが見つめていた。
兵庫県で生まれた難波さんは2008年、バイク事故に遭い、視力を無くし、コンピューターグラフィックスのデザイナーの仕事を廃業せざるを得なかった。鍼灸マッサージの勉強を始め、11年に資格を取った。
事故前から住む三軒茶屋の街で、かつて見た天道館の看板を思い出した。体を動かしたかった。問い合わせると、モナミとともに受け入れてくれた。「感謝しています」と難波さん。
12年1月から週2~3回、主に朝、道場に通う。指導者が難波さんの手を取ったり、言葉で説明したりして合気道を教える。
難波さんは、稽古を続け、感覚が鋭くなっていることに気付いた。「今日は先生の足音が違うなとか、街の変化を感じるようになった」という。鍼灸師の仕事にも役立つと感じる。
昨年7月、初段に。清水健二管長(75)は「彼のプラス思考は周囲に良い影響を与えている」。難波さんは「まだまだわからないことが多い。人生を通して追究したい。自分にとって背筋のようなもの」と話す。
(佐藤純)