ライフネット生命の会長兼CEOである出口治明さんの著書『仕事に効く教養としての「世界史」』を読みました。
網羅的な時系列ではなく、著者の興味による10の視点で世界の歴史を追いかける著者なりの歴史解釈なのですが、テンポが良く、ぽんぽんと話題が飛んでゆきストーリーテリングとしても無類の面白さです。
著者はもちろん優秀なビジネスパーソンなのですが、これからの時代、日本のビジネスパーソンが世界のあちらこちらで日本の文化や歴史について問われたりすることがあるだろう、そんなときに、日本が歩いてきた道、または歩かざるを得なかった道について大枠で把握することが、相手が理解し納得してもらうためには必要だ、と言います。
そして日本が歩いてきた道や今日の日本について骨太に把握する鍵がどこにあるか、それは世界史の中にあるのです。
交易や移動がまだそれほど盛んでなかった頃は、歴史とはごく一部地域の中に留まりますが、それが歴史が下って人や物が大移動をする時代になると、影響しあう範囲もどんどん広大になって行きます。
その場合には、他の国での飢饉や征服欲などが移動してきた結果として自国の歴史が形成されるということだって大いにあるのです。
なぜ外からそのような要因が襲いかかってきたのか、を知るということが歴史を学ぶということであり、それなのに外的要因の減塩を考えずに"そのとき国内ではどうしたか"ということだけを考えるようでは、歴史のガラパゴス化ということになってしまうのではないでしょうか。
この本は、そうした視点をふんだんに与えてくれる中で世界史を大きな視野で捕えろ、という歴史の見方も教えてくれるようです。
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一つの例として、日本の奈良時代にごく短い間に女帝が連続して誕生したことがあります。
七世紀末の持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇(=称徳天皇)などです。
このことを著者は、「中学時代に『中継ぎで女性が立った』と教えられた記憶があるのだが、ちょっと違うのではないかと思っている」と書いています。
この時代の日本にとっての世界とは朝鮮半島と中国のことでした。もちろん交流の範囲がその程度だったからです。
そしてこの時代、日本はこの精一杯の世界の情報を一所懸命に集めていました。
この時代を少し遡ると、朝鮮半島はいくつかの小国の争いが、高句麗、新羅、百済の三国に収れんされつつありました。
一方中国は、華北に五胡十六国と呼ばれる遊牧民の国家群があり、華南には漢民族の国があり、それらが次第に統一気運に向かっていた頃です。
実は著者が東京大学の総長室アドバイザーをしていたときに駒場のキャンパスで、白鳳時代から奈良時代の衣装展という展示会をみたことがあったのだそう。
その時の貴族たちの服装と言うのが、なんと胡服であったり乗馬服で、椅子と机で生活をしていたというのです。つまりこれは当時の鹿鳴館政策だったのだと。
白村江の戦いで敗れた日本には、唐の国から郭務悰(かくむそう)という将軍がやってきて、敗戦処理をしなくてはならない。そのときに、唐の国に馬鹿にされないように強く意識して、当時の世界標準に必死に追い付こうとしていたというのです。
そしてその頃の唐を取り仕切っていたのが則天武后という女性だったということ。またそのほかにも新羅でも二代続けて女性の王が誕生していました。
つまりこの頃は、女性が国を仕切るという世界的標準、ロールモデルがあったのではないか、と著者は言います。
そして世界に馬鹿にされないために、日本と言う国柄を著す歴史書が必要になり、それが古事記や日本書紀の編纂に繋がって行く。
こうして考えると、日本史は世界史と切り離して考えるべきではなく、世界史からのアプローチとして日本史を考えると、また違った視点でものが見えて来るというのです。
実に面白い。
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著者の世界を見る10の視点とは、ほかに、「歴史はなぜ中国で発達したのか」という秦の始皇帝やその後の孟子の革命思想の話や、「キリスト教とローマ教会、ローマ教皇について」という、キリスト教を巡る深い理解の話など、目からうろこが落ちる話ばかり。
高校生の歴史の授業とは違う、大人なら知っておきたい教養としての歴史がここにはふんだんに著されています。
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著者は、この本を書くにあたって読んだ本は一冊もないといいます。
それは、この本の中身が著者自身の半世紀の人生の間に見たり聞いたり読んだりして、自分自身で咀嚼して腹にすとんと落ちたことをまとめたものだからです。
普段からこの本くらいの理解をしているという、高いレベルの教養の一端をぜひ味わって欲しいものです。
…で、実はこの本の存在は、ある方のブログを読んでいて、「プレゼントされたんだけど、無類に面白い」という評があったことから知ったもの。
私淑している方の評なら信じられますね。SNSの良い面だと思います。
さあどうぞ、大人の方へのおすすめです。