素晴らしい戦記物のような、素晴らしい文章に出会いました。
『計算する知性といかにつきあうか――将棋電王戦からみる人間とコンピュータの近未来 久保明教 / テクノロジーの人類学』という文章です。
これは、"SYNODOS"という新書並みのハイレベルな情報を有料でも提供するという言論サイトにあったものですが、将棋ソフトと人間の棋士が5対5で対決する団体戦の観戦記です。
将棋の観戦記と言っても、どの手が悪かったというものではなく、最新の将棋ソフトという感情もなければ美学もない相手と対決する人間の棋士という対決に、機械ならではの強みと弱み、そして人間ならではの強みと弱みを見出した著者である久保さんの鋭い感想が述べられ、まさに手に汗を握る戦いの記録なのです。
ちょっと長いのですが、できればまずこれを読んでいただければ理解が深まると思います。
【計算する知性といかにつきあうか――将棋電王戦からみる人間とコンピュータの近未来】
http://synodos.jp/science/7549
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いかがでしょう、私はとても素晴らしい文章だと思いました。
過去に全くとらわれずに、今この瞬間に次の最適な一手を計算して打つ将棋ソフトを相手にしたときに、普段なら相手の打ってくる手筋を読みながら考える人間の価値感や美学がボロボロにされてゆき、またそれを楽しむ棋士の人間性がよく出てきます。
興味深かったのは、第二局でソフトに敗れた佐藤慎一郎四段が、こういっていることです。
「人間は前からの手を継承する『線』で考えます。
だから『線』が繋がらない時は、何か勘違いがあっ
たと考えるし、予定変更を余儀なくされたのかなと
考えて、次の一手を選びます。コンピュータは、一
手指すと、その局面で考えた新たな手を加えてくる
ことがあるので、二手先、三手先とで最善手が変わ
るというか、人間ならこの流れにならないという手
が出てきます。その意味では『点』で考えていると
いえます。人間は、一手前とは違う人が指したよう
な手に対応しなければならないので、読みの量は増
えるし、疲労もたまるわけです」
価値観や美学が異なる相手と対峙した時に、人間は、また日本人ならどう振る舞うか、という事が良く出ていると思います。
第四局も波乱の将棋となりました。互いの王を詰めるというよりもソフトの弱点を突いた将棋によって人間同士の対局としては非常にぶざまな有様になって行きます。
見ている側からは、「ぶざまだ、美しくないこんな将棋なら指すのが恥だからさっさと負けを認めて統領すべきではないか」という声が上がります。
しかし、将棋のルールと今回の電王戦のルールの範囲ならまだ勝負は決していません。
そして人間の棋士の方が圧倒的に不利な状態から、とうとう引き分けに持ち込みます。
あくまでもルールがそうなのだから結果は引き分けです。美学を貫けばさっさと負けを認めたかもしれませんが、これで負けが引き分けになりました。
そして第五局。A級順位戦に10年以上所属するトップ棋士・三浦弘行八段(39)が先手で、後手はコンピュータ将棋選手権一位、東京大学のコンピュータ700台弱が構成するクラスタ上で動くモンスターマシン「GPS将棋」という対決になります。
そしてこの戦いで三浦八段が敗れて、今回の戦いは1勝3敗1引き分けで人間側の負けとなります。
ここで見られたのは、実は「機械対人間」というSF的な世界の戦いの結末ではなくて、私は「価値観や美学が通じない相手との戦い」だったのではないかと見てとりました。
そしてそんな戦いに似ているのが、今の日本と中国や韓国とのいさかいに似てはいないかと思いました。
日本人的感覚で言うと、「以前はそういっていなかったのだから突然そんな無理筋の話をするなよ」と思うことがしばしばあるのですが、そこがこちらとは価値感が異なる相手の話であり、また決して諦めることのない相手との戦いという点で、似ている点を多く感じます。
どんな形にせよ、永遠に諦めることなく手を変え品を変え戦いをふっかけてくる相手というのは実にやっかいなものです。
そういう相手と折り合いをつける最後の方法は、「ルールの範囲内での引き分けか、勝つしかない」というのがこの電王戦での結論でした。
負けを認めれば負けにしかならないのです。日本人にはなじめない戦い方なのかもしれませんが、世の中にはそういう相手がいて、そういう相手との戦い方や折り合いの付け方と言う辛く苦しいことがある、ということに気づかせてくれるという点で、ソフトと言うのは象徴的な相手と言えそうです。
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将棋ソフトの方は、今回の対戦を糧にしてさらにバージョンアップを永遠に重ねてくることでしょう。
対する人間の側は生きている間が全て。これは不利な戦いに違いありません。
世界は日本人ではない、と言うことを痛切に感じたすばらしい文章でした。