実際は、昨日から始まっているワールドコンですが、昼に関内に到着し、
ホテルに荷物を預けてパシフィコ横浜へ。
近くのカフェで昼食後、受付を済ませしばらくタイムテーブルを見つつ、会議場の下見。
家族連れの知人に出会い、しばらく話し込む。
チェックインのためにホテルに戻り、手続きを済ませた後、再び会場へ。
16時からの『未来の女性たち一部未来の女性たち』に参加。
パネラーは、小谷真理さん、新井素子さん、大原まり子さん、大串尚代さん、久美沙織さん、
若木未生さん、キャンダス・ドーシィさん、メアリ・ナイトンさん、エイミー・トムスンさん。
サプライズゲストとして、生野頼子さん。
テーマは、『SFやファンタジーにおける女性性とは?』また『自分が小説を書く中で、
意識的にしろ無意識にしろジェンダーというものが表れてきているのか?』ということでした。
もう一つあるんだけど、時間が無くてそれぞれの答えができず、長くてメモできなかったのでパス(^^;)
久美さんは、『リボンの騎士』を見て、男女どちらにもなれるのが
格好いいと思っていた。また、転校の多い少女時代を送っていたので、異質なものとして
いじめられたり仲間はずれにされたりするので、女性の集団は苦手。転校生とは
エイリアンみたいなものだとか。
そんな久美さんが『丘の上のミッキー』を書いたのはへそ曲がりゆえ、だとか
異文化コミュニケーションに惹かれるのも自分が異質ゆえなどと、自己分析なさっていた。
若木さんは、ジェンダーというものに問題意識を持っているとのこと。
SFやファンタジーにおける女性性は作品ににじみ出ているかも、とおっしゃる。
コバルトは、女子どもの読むものとして偏見を持たれ、文学的価値のあるものがあるとしても、
「コバルトにはもったいない」と言われてしまう。
若木さんは、少女にSFや小説を浸透させるつもりで書いていらっしゃり、
コバルトだからとか、一般小説だからとかで、区別をつけるつもりは無いとおっしゃった。
大原さんは、『ハイブリッドチャイルド』を書いているうちに、
自分の中で高圧的な母というものを意識させられたとおっしゃる。
日本では、母とは素晴らしいものと扱われがちだが、子どもの成長を阻害させる面もあるとのこと。
性差というより個人差であり、30年前より女性差別は減ってきているとのこと。
エイミー・トムスンさんは、SF作家全員に「SF作家であり、子どもを育てるとはどういうこと?」
という質問をしたところ、男女真っ二つに分かれたとのこと。
いわく、女性は「朝5時に起きて子育てをして、カフエに行って書いている。そして夜、
子どもを寝かしつける」
男性は「家の奥さんは素晴らしい」
マイケル・スワンウィック(でいいんですよね)だけ、朝5時に起きて子育てをしている。
もうひとり海外からの作家さんが答えてくださったのですが、名前を聞き取れなかったので割愛。
新井さんは、ジェンダーについて考えて書かないとのこと。
久美さんとは逆で、元々、小説しか読んでいないからこそ人になじめなかった。
友だちと遊ぶより、小説を読む方が好きだった。
放っておくと、学校から帰宅してから夕食まで、びた一文動かずに本を読んでいたとのこと。
ぬいと人との差、植物との差、猫との差の方が、女性性と男性性の差よりよほど問題に感じるそう。
むしろ感じるのは世代差で、16歳でデビューしたことが問題。
コバルトに書いた頃も、新井さんご自身が女子どもだった。
自分の書く小説を文学だと言った覚えも無く、大人に読んでくれと言った覚えも無い。
要するに、ジェンダーを意識していないとのこと。
あと、生野さんの話もありましたが、メモしきれなかったので、勘弁してください。
この企画のあとは、ホテルに帰って食べて寝た。体力を温存したいがため。
ホテルに荷物を預けてパシフィコ横浜へ。
近くのカフェで昼食後、受付を済ませしばらくタイムテーブルを見つつ、会議場の下見。
家族連れの知人に出会い、しばらく話し込む。
チェックインのためにホテルに戻り、手続きを済ませた後、再び会場へ。
16時からの『未来の女性たち一部未来の女性たち』に参加。
パネラーは、小谷真理さん、新井素子さん、大原まり子さん、大串尚代さん、久美沙織さん、
若木未生さん、キャンダス・ドーシィさん、メアリ・ナイトンさん、エイミー・トムスンさん。
サプライズゲストとして、生野頼子さん。
テーマは、『SFやファンタジーにおける女性性とは?』また『自分が小説を書く中で、
意識的にしろ無意識にしろジェンダーというものが表れてきているのか?』ということでした。
もう一つあるんだけど、時間が無くてそれぞれの答えができず、長くてメモできなかったのでパス(^^;)
久美さんは、『リボンの騎士』を見て、男女どちらにもなれるのが
格好いいと思っていた。また、転校の多い少女時代を送っていたので、異質なものとして
いじめられたり仲間はずれにされたりするので、女性の集団は苦手。転校生とは
エイリアンみたいなものだとか。
そんな久美さんが『丘の上のミッキー』を書いたのはへそ曲がりゆえ、だとか
異文化コミュニケーションに惹かれるのも自分が異質ゆえなどと、自己分析なさっていた。
若木さんは、ジェンダーというものに問題意識を持っているとのこと。
SFやファンタジーにおける女性性は作品ににじみ出ているかも、とおっしゃる。
コバルトは、女子どもの読むものとして偏見を持たれ、文学的価値のあるものがあるとしても、
「コバルトにはもったいない」と言われてしまう。
若木さんは、少女にSFや小説を浸透させるつもりで書いていらっしゃり、
コバルトだからとか、一般小説だからとかで、区別をつけるつもりは無いとおっしゃった。
大原さんは、『ハイブリッドチャイルド』を書いているうちに、
自分の中で高圧的な母というものを意識させられたとおっしゃる。
日本では、母とは素晴らしいものと扱われがちだが、子どもの成長を阻害させる面もあるとのこと。
性差というより個人差であり、30年前より女性差別は減ってきているとのこと。
エイミー・トムスンさんは、SF作家全員に「SF作家であり、子どもを育てるとはどういうこと?」
という質問をしたところ、男女真っ二つに分かれたとのこと。
いわく、女性は「朝5時に起きて子育てをして、カフエに行って書いている。そして夜、
子どもを寝かしつける」
男性は「家の奥さんは素晴らしい」
マイケル・スワンウィック(でいいんですよね)だけ、朝5時に起きて子育てをしている。
もうひとり海外からの作家さんが答えてくださったのですが、名前を聞き取れなかったので割愛。
新井さんは、ジェンダーについて考えて書かないとのこと。
久美さんとは逆で、元々、小説しか読んでいないからこそ人になじめなかった。
友だちと遊ぶより、小説を読む方が好きだった。
放っておくと、学校から帰宅してから夕食まで、びた一文動かずに本を読んでいたとのこと。
ぬいと人との差、植物との差、猫との差の方が、女性性と男性性の差よりよほど問題に感じるそう。
むしろ感じるのは世代差で、16歳でデビューしたことが問題。
コバルトに書いた頃も、新井さんご自身が女子どもだった。
自分の書く小説を文学だと言った覚えも無く、大人に読んでくれと言った覚えも無い。
要するに、ジェンダーを意識していないとのこと。
あと、生野さんの話もありましたが、メモしきれなかったので、勘弁してください。
この企画のあとは、ホテルに帰って食べて寝た。体力を温存したいがため。