京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

夏の一会…

2019年10月23日 | 展覧会

滋賀県守山市にある佐川美術館で開催中の「白隠と仙厓展ZENGA」へ。


2015年の夏だった。高野山夏季大学に参加し、その復路のバスで隣り合わせた方との一会の記憶を私は今も大切にしている。

往路が後部座席だった者には席の入れ替えが配慮されていて、前から2列目、通路側の席が指定されていた。すでに窓際にはマスクをした高齢の女性が、荷物で膨らんだ黒いリュックを背負ったまま両の手を足の前に立てた杖にのせて座っていた。網棚にリュックを上げましょうかと申し出ると、一旦は前に座る新聞社の方にお願いしてあるからと遠慮されたが、私が代わって、並んで腰を下ろした。
バスに乗り込む半時も前までお山の上も猛暑続きだったのが天候は急変。雷鳴に、一気に側溝から雨水があふれかえるほどの夕立に見舞われた。窓をたたく雨脚の強さに驚いていると、「空海さんがお帰りだわ」とその方はつぶやいた。晴れていれば行脚に、雨の降る日は高野山においでだと聞いたことがあった。

大きな手術を克服し82歳になった今は、股関節と腰の痛みを抱え杖が離せないとのことだった。娘さん家族との同居生活をやめて、群馬県内の介護付き施設で暮らしていると言い、「帰ったら出光美術館に桃山の美術展を見に行くのが一番の楽しみなのよ。ここに来る前に『等伯』を読み終えてきました。だから、帰って3日間は疲れた顔を見せない様に頑張らなくちゃ」とマスクの下で笑った。

出光美術館には行ったことがないと伝えながら、3か月ほど前に山折哲雄氏の講演を聞く機会があったことを思い出していた。つい3か月前、なのにその記憶は断片的で大雑把なものにすぎず、ちっとも咀嚼できていないのを情けないなあと思ったのを覚えている。氏のお話は、出光美術館に収蔵されているという□と△と〇とが微妙にくっついて横に並んだ仙厓和尚の絵から始まったのだ。曼荼羅の世界、白隠禅師や仙厓、芭蕉に本居宣長、…と広く話題が及んだことの切れ切れの印象を私は話した。山折氏のことも、仙厓のことも、よくご存じだった。仙厓の『老人六歌仙』の話をされたあと「『等伯』はぜひ読んでごらんなさい」と薦めてくれていた。

折しも台風19号による河川の氾濫が各地に大きな被害をもたらしているが、何事もなく済んでいればよいがという心配と、あの時が最後となる出会いと思い返す中で、今また新たに力が出る不思議を思っている。目の前にひとつひとつ楽しみごとを作って静かに生きる力を持続させていく女性を知ったのだった。喜びを感じていた。そして、白隠だ仙厓だと話すことのできる人との出会いなどめったにないことで、忘れ得ない時間にもなっていた。このお方を思いながら、私はこの展覧会に足を運んだ。

「分けのぼるふもとの道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」とあった。これは白隠さんだったかしら。

 
本を一冊買って帰った。
コメント (2)
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