京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

言葉で伝えきれない思い

2020年11月26日 | 日々の暮らしの中で
昨日は母の祥月命日だった。本山の東本願寺で勤まる報恩講にお参りしたいと考えていたが、昼からにしようか、今日はやめよう、明日にしよう…と思いが決まらず、結局見送った。そして今日も。
平成2年(1990)の11月初め、母を見舞いに病院へ。治療のために吐き気があってベッドに伏せていることが多かったが、脇の椅子に座って、のどの渇きを潤す程度にかき氷を少し口に含んだ。そして、「ああ、おいしいっ」と。これが耳にした母の最後の言葉だったといつも思い浮かべていたが、そうではなくて、もう少し先があったのを忘れていた。


母の病床にあった『わたしの脇役人生』と『わたしの台所』(沢村貞子)。この2冊は私がもらい受けたのだが、『わたしの台所』の扉のページ裏に鉛筆書きで、私は母との最期を簡単に書き記していた。

母と最期になった会話は、父と病院を後にするときだった。「連休が来るし、また来るわね」「楽しみにしてるから」。母は廊下で小さく手を振って見送ってくれたのだ。そうだったのだ。たったこれだけのやり取りのメモからも、忘れていたあれこれを思い出させてくれる。
23日、電話をもらって駆けつけることになった。新幹線の移動だから気持ちばかりが急いて…。25日午後6時11分、母の最期を看取った。その間に父は浅草寺に願を解きに出向き、夫は子供たちを連れて上京してくれていて、夏に得度式を終えたばかりの小学生だった息子が初めて衣を着て葬儀に参列した。

       月郷神社に太古から鎮座するクスノキがあった。
新月の夜、その空洞に入って心にある伝えたいことを念じると、クスノキは預念者の思いのすべてを記憶する。刻み込まれた念は5年や6年程度では少しも消えない。そして、満月が近づくとクスノキは強い念を発するようになる。そこで空洞に入って、灯した蝋燭の独特の香りを嗅ぎながら、念を受け取りたい人との思い出に浸るようにその人を思うことで、念を受け取ることができる。ただ、受けとれるのは血縁者だけ。そして、すべての思いがクスノキには刻まれるので、中には伝えたくないことも伝わってしまうのだが。

「月郷神社のクスノキに念を預けました。どうか受け取ってください」
もし母がこんな手紙が残していたら、受け取るだろうか。「心にある思いのすべてを言葉だけで伝えるのは限界がある」。自分は家族に宛てて残したい「念」があるだろうか。なんてことをちょっと考えた。苦労も何もかも食べてしまって一代を終えるのがいいのかも。

東京から電車で1時間近くかかり、バスで10分乗り継いで、降りて更に勾配のある道を上がっていった先に月郷神社はあった。
コメント (4)
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