京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

平凡な人の生の壮絶さ

2023年07月15日 | こんな本も読んでみた
一茶の故郷、柏原では風呂を沸かせば近所の人を呼んで入らせる習いがあった。次から次と貰い風呂に人々がやってきて、ついでに炉ばたで茶を飲んで話の花を咲かせる。
そんな場に、〈人誹(そし)る会が立つなり冬籠〉の句が添えられていた。

心やすいものが寄り合うと、うわさ話に花が咲くことは体験する。悪しざまにけなすようなことは耳にしないが、冗談や皮肉であっても、心を切り裂くような毒を盛ってはなるまい。

一茶も“壮絶な人生”を生きた。積極的に知ろうとしてこなかった一茶について、
“田辺一茶”(『ひねくれ一茶』)が多くのことを教えてくれた。


「全ての人生は、壮絶である」
ずいぶん以前になるが、京都大教授の小倉紀蔵氏が書かれていた。
【特別な人の人生だけが壮絶なのではない。どんな平凡な人の生も、それぞれに壮絶なのである。一生誰にも知られずに汗して働いた人や、長い間病気の人や、その人を忍耐強く看護・介護する人も、すべて、すべて、壮絶なのである。
日本人はそのことをよく知っている。だから、短歌や俳句を作って、日常の中に「平凡な壮絶さ」を探そうとする。その壮絶さは〈いのち〉となって永遠に生きていく】などと。

金曜日の夜、お豆腐屋さんのラッパの音が聞こえると『豆腐屋の四季 ある青春の記録』が思い出され、読みたくなる。で、図書館で借りることにした。


【作者、松下竜一は九州のある小都市で豆腐屋を営む青年である。いつのころからか、朝日新聞西部板の歌壇に豆腐作りの歌だけを作る、素朴な、まるで指を折って数えながらつづるような作品が私の記憶にとどまるようになった。稚拙といえばこれほど稚拙な歌はなかろう。だが、ここには歌わなければならない彼ひとりの生活がある】(抜粋)
選者だった近藤芳美が雑誌に書き留めたという文章が引かれている。

豆腐作りの釜さえ買い替えられない貧しさ。泥のように惨めな生活。25歳の私のやり場のない怒り。眠る前に、どうか明日は…と日記に書き込む。そして歌が生まれる。

 〈父切りし豆腐はいびつにゆがみいて父の籠れる怒りを知りし〉
 〈豆腐いたく出来そこないておろおろと迎うる夜明を雪降りしきる〉
 〈出来ざりし豆腐捨てんと父眠る未明ひそかに河口まで来つ〉

私30歳になり、妻は19歳。一年間の日々を文と歌で書き継いで、二人だけの青春記として本にしようと思い立った。
タイトルも浮かんだ。発行できるかどうか。多分だめだろう。だが書いてみよう。
平凡な市民の日々は華やぎに遠く、黙々と働くのみだが、「一生懸命節約して貯めようよと妻がいう」。

=どんな平凡な人の生も、それぞれに壮絶なのである。日本人はそのことをよく知っている。だから、短歌や俳句を作って、日常の中に「平凡な壮絶さ」を探そうとする。その壮絶さは〈いのち〉となって永遠に生きていく=


 

若いタレントさんが自ら命を断ったのを知った孫娘が、海の向こうから思いを寄せてきた。
なにかとても哀しい出来事だ。
人にはさまざまな生き方がある。それを理解できなくても共感できなくてもかまわない。ただ、よく知りもしない他人の生き方を、偏った信条でとやかく言うべきではない。
ね、っと。
コメント (4)
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