日本人は概して、見知らぬ他人への声のかけ方が下手である。
それじゃあ、外国人は上手いのか、と聞かれると困るのだが……。
何年か前まで、わたしは家の近くの公民館での社会人向けの英会話クラスに、毎週土曜日通っていた。ある日、授業が終わってから、クラスの仲間2,3人と同じ電車に乗る機会があった。
その日は休日だったが、わたしは都心で仕事関係の会合があり、そこに向かうところだったのだ。同方向へ行く人たちと、クラスの講師である英国人のロン先生もいた。
電車の中で、クラスの、若いとはいえない生徒同士、たまたま老眼鏡のことが話題になり、老眼鏡とは英語で何と言うの、という話になった。
乏しいボキャブラリーを出しあっていたが、埒があかないので、ロン先生に聞いてみることにした。
すると、とつぜん、となりにすわっていた見知らぬ男性が、「オキュラー、オキュラー」と、話しかけてきたのである。
40前後の、インテリっぽい紳士であった。聞いてみると、老眼鏡のことをオキュラーというのだそうである。
われわれはネイティヴのロン先生に聞くタイミングを逸し、「ありがとうございます」とその紳士に礼を言って、電車を下りたのであった。
後日、ロン先生からそのときの話が出た。
「日本の人たちは、他人への話しかけ方を知らない。先日もそうだったね(英語で)」
ロン先生は、そのときの状況をちゃんと見ていたのだ。
外国人に日本人一般のことをあれこれ言われるのも不本意だが、米英では、Excuse me という言葉を頻繁に使うようである。
件の紳士について言えば、こう切り出してほしかった、と思う。
「お話中失礼いたします。お話を聞くともなしに聞いてしまったものですから、大変不仕付けかとも思いましたが、ちょっと声をかけてしまいました。老眼鏡というのは、わたしの知る限り、英語でオキュラーと言ったかと思いますよ」
まあ、そこまで丁寧でなくても、「失礼します」くらい言っても良かった。どんな知識人か知らないが、いきなりオキュラー、はなかった。
(ところで、後で辞書を調べてみると、紳士の言うオキュラーとは、‘ocular’という単語のことだったようだ。接眼鏡という意味をもつ医学用語である。しかしながら、それだけで老眼鏡という意味はなさそうだ)
昨年夏、JR市ケ谷駅の、ホームへ下りる階段で、とつぜん一人の少年に声をかけられた。
最初わたしは話しかけられているのかどうかさえわからなかった。よく聞くと、
「四谷はどこですか」
と言っている。
大きなスポーツバッグを持ったトレーナー姿の少年は、何かのスポーツの試合のために他県からきた中学生と思われた。
ちょうど中野行きの電車が入ってくるところだったので、「この電車に乗って、一つ目だよ」と、わたしは教えた。
少年は、「ありがとうございます」と言って電車に乗り、大変感じがよかったのだが、ほんとうは、わたしに話しかけるときに、「すみません」か、「失礼します」の一言がほしかった。
そうすれば、よりていねいであっただけでなく、尋ねる相手(わたし)の意識をしっかりと自分に向けさせることができたのだ。
彼は、知らない人への声のかけ方を、それまでだれからも学ぶことがなかったのであろう。
今の日本では、子供たちに、他人への声のかけ方や社会的マナーの基礎を、小さいうちからしっかり教えることが必要なのではないだろうか。「学力」だけがついても仕方がない。
先日、あるデパートの売り場を歩いていると、前から、3歳くらいのかわいい男の子が走ってきて、わたしにぶつかりそうになった。あとから追いかけてきたおかあさんが、男の子の手をとっているわたしを見ようともせず、
「ほら、だから危ないっていったでしょ」
と、その子を叱りつけ、抱き寄せると、そのまま行ってしまった。
わたしとしては、そのおかあさんに「あっ、すみません」とでもいって一言声をかけてほしかった。それは、わたしに謝意を表してほしかったというより、彼女にとって、わが子に‘他人に対する気遣い’の必要性を、言わず語らずのうちに教えることのできるまたとない機会だったのだと思うからである。
2003.3.30
それじゃあ、外国人は上手いのか、と聞かれると困るのだが……。
何年か前まで、わたしは家の近くの公民館での社会人向けの英会話クラスに、毎週土曜日通っていた。ある日、授業が終わってから、クラスの仲間2,3人と同じ電車に乗る機会があった。
その日は休日だったが、わたしは都心で仕事関係の会合があり、そこに向かうところだったのだ。同方向へ行く人たちと、クラスの講師である英国人のロン先生もいた。
電車の中で、クラスの、若いとはいえない生徒同士、たまたま老眼鏡のことが話題になり、老眼鏡とは英語で何と言うの、という話になった。
乏しいボキャブラリーを出しあっていたが、埒があかないので、ロン先生に聞いてみることにした。
すると、とつぜん、となりにすわっていた見知らぬ男性が、「オキュラー、オキュラー」と、話しかけてきたのである。
40前後の、インテリっぽい紳士であった。聞いてみると、老眼鏡のことをオキュラーというのだそうである。
われわれはネイティヴのロン先生に聞くタイミングを逸し、「ありがとうございます」とその紳士に礼を言って、電車を下りたのであった。
後日、ロン先生からそのときの話が出た。
「日本の人たちは、他人への話しかけ方を知らない。先日もそうだったね(英語で)」
ロン先生は、そのときの状況をちゃんと見ていたのだ。
外国人に日本人一般のことをあれこれ言われるのも不本意だが、米英では、Excuse me という言葉を頻繁に使うようである。
件の紳士について言えば、こう切り出してほしかった、と思う。
「お話中失礼いたします。お話を聞くともなしに聞いてしまったものですから、大変不仕付けかとも思いましたが、ちょっと声をかけてしまいました。老眼鏡というのは、わたしの知る限り、英語でオキュラーと言ったかと思いますよ」
まあ、そこまで丁寧でなくても、「失礼します」くらい言っても良かった。どんな知識人か知らないが、いきなりオキュラー、はなかった。
(ところで、後で辞書を調べてみると、紳士の言うオキュラーとは、‘ocular’という単語のことだったようだ。接眼鏡という意味をもつ医学用語である。しかしながら、それだけで老眼鏡という意味はなさそうだ)
昨年夏、JR市ケ谷駅の、ホームへ下りる階段で、とつぜん一人の少年に声をかけられた。
最初わたしは話しかけられているのかどうかさえわからなかった。よく聞くと、
「四谷はどこですか」
と言っている。
大きなスポーツバッグを持ったトレーナー姿の少年は、何かのスポーツの試合のために他県からきた中学生と思われた。
ちょうど中野行きの電車が入ってくるところだったので、「この電車に乗って、一つ目だよ」と、わたしは教えた。
少年は、「ありがとうございます」と言って電車に乗り、大変感じがよかったのだが、ほんとうは、わたしに話しかけるときに、「すみません」か、「失礼します」の一言がほしかった。
そうすれば、よりていねいであっただけでなく、尋ねる相手(わたし)の意識をしっかりと自分に向けさせることができたのだ。
彼は、知らない人への声のかけ方を、それまでだれからも学ぶことがなかったのであろう。
今の日本では、子供たちに、他人への声のかけ方や社会的マナーの基礎を、小さいうちからしっかり教えることが必要なのではないだろうか。「学力」だけがついても仕方がない。
先日、あるデパートの売り場を歩いていると、前から、3歳くらいのかわいい男の子が走ってきて、わたしにぶつかりそうになった。あとから追いかけてきたおかあさんが、男の子の手をとっているわたしを見ようともせず、
「ほら、だから危ないっていったでしょ」
と、その子を叱りつけ、抱き寄せると、そのまま行ってしまった。
わたしとしては、そのおかあさんに「あっ、すみません」とでもいって一言声をかけてほしかった。それは、わたしに謝意を表してほしかったというより、彼女にとって、わが子に‘他人に対する気遣い’の必要性を、言わず語らずのうちに教えることのできるまたとない機会だったのだと思うからである。
2003.3.30