興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

Brew PUB SAN FRANCISCO BREWING COMPANY(桑港)

2006-03-27 | 美酒・美味探訪
 サンフランシスコは、チャイナタウン近くのパブ。夕方、一人で、あるいは会社の仲間といっしょに気軽に寄れそうである。

 店頭に、通りを見ながら飲めるテーブルが一つある。店内に入ると、中はさほど広くないが、天井が高く壁面は古い木目が活かされている。
 壁の中央に古い時計がでんとすえられ、天井からは古めかしい回転扇が、5、6基取り付けられている。夏場、日本ほど気温が上がらず、蒸し暑くないサンフランシスコではこれで十分なのであろう。
 照明も落とし、落ちついたたたずまいの店だ。

 ブリュウ・パブと銘うっているところは、ビールの醸造元の直営店か。五つほどのテーブル席に10人ほどがすわることのできるカウンターがある。
 一人で来てカウンターにすわり、チーズをつまみにビールを1、2はい飲んで帰るというここでの生活も悪くはないなと思う。

究極のロースハムサンド

2006-03-27 | 美酒・美味探訪
 わたしにとっての究極のハムサンドは、少し厚めに切った脂身のあるロースハム、きゅうり、辛子バターの三点セットがなければならない。
 薄切りのハム(たとえ何枚重ねても)、レタス、マヨネーズではダメなのである。

 この三点セット入りのサンドイッチに初めて出会ったのは、学生時代、「純喫茶白鳥」で、であった。
(今、純喫茶ってのはなくなりましたねえ)
 薫りの高いハム肉にとろける脂身、しっとりと水分たっぷりのきゅうり、辛子が効きバターの香り豊かなやわらかパン。
 ガブリとかぶりつき、もぐもぐむしゃむしゃ噛みしめ、味のハーモニーを楽しむ。
 ハムといえば、当時雑肉を固めたプレスハムくらいしか食べたことのなかった田舎出の貧乏学生にはこれは驚きであり、感動であった。

 その後長い間、このようなロースハムサンドにはとんとお目にかかることがなかった。それならばと、このたび自分で作ることにした。

<レシピ>
サンドイッチ用薄切りパン(人数分―以下同じ)
脂身の多い、厚め(3ミリほど)のロースハム
新鮮なきゅうり
辛子バター(辛子と常温で溶かしたバターをまぜあわせたもの)

 ロースハムと薄切りきゅうりを、内側に辛子バターをぬったパンではさむ。
 これがいくつかまとまったら、俎板などの平らな板二枚の間にはさみ、軽く圧力をかけ、しばらくそのままにしておく(パンと中身をなじませるため)。
 食べる前に耳を切り落とし、食べやすい大きさに切り分け、皿に盛りつける。

 わたしの作ったロースハムサンドは、純喫茶白鳥で味わったほどの感動はなかったものの、たいへんおいしいものであった(家族の評価も上々)。
 ただ、反省点とすれば、ハムが少し薄かったことである。近所の肉屋にわざわざ厚めにと頼んで切り分けてもらったのだが、厚みがまだ足りなかった。
 それに、脂身の多いロースハムが入手できなかった。人々の健康指向、ダイエット指向の影響か、スーパーにも近所の肉屋にも、脂身の多いものはおいてなかった。
 ロースハムは脂身のところこそ燻製の薫りがしみこんでいておいしい。脂身のない(少ない)ロースハムなど、高級とはいえないのではなかろうか。

 こんどは池袋の大きなデパートにでも行って探してみようと思う。
 厚切りの高級ロースハムを入手できれば、純喫茶白鳥特製ロースハムサンドに負けない美味をわがものにすることができそうだ。
2002.10.19

武士は食わねど「朝食海苔」

2006-03-27 | 美酒・美味探訪
 旅館の朝食によく出てくる袋入りの味付け海苔には、一つの思い出がある。
 数年前、気のおけない仲間4~5人で伊豆へ一泊旅行に行った。泊まったのは、まあ中級のホテル。そこでの朝食にも、定番の味付け海苔がついた。
 ほかにおかずも多かったので、わたしはそれを残し、いじましくも胸ポケットにしまった。
 数日後、おなじメンバーで一席をもった。旅で撮った写真を自慢しあい、互いを写した写真の交換をするためである。
 手元にきた写真のなかに、わたしが帰りの電車で眠りこけている一枚があった。その胸ポケットには、今にも落ちんばかりに、故意に引き出された朝食海苔が写っていた。

「武士は喰わねど高楊子」という言葉がある。モノノフたるものガツガツしてはならぬ、しみったれた行動におよんではならぬという戒めであろう。武士の心意気を是とし、範とする小生としては、まっこと不覚でござった。

 先日、家内と家の近くの回転寿司に入った。壁面をみると、「味噌汁と小鉢サラダ、無料」という貼り紙がある。
「これは、たのまねば」
と、鼻息を荒くするわたしに、家内が醒めた声でのたもうた。
「タダだからといって、なんでももらわなくていいのよ。……いつかの朝食海苔のこともあるでしょ」
 こりゃー、これからもずっと言われそうだな、朝食海苔よ。
2001.9.4

大家族の幸せ

2006-03-27 | チラッと世相観察
 5月の連休に老母と山形に行ってきた。母の実家を訪問する旅であった。そこでいい話を聞いてきたので、紹介したい。
 昔ながらの農家であり旧家であるその家は、今はもう代が替わり、母の兄夫婦は亡くなって母の甥(兄の子、つまりわたしの従兄)が当主である。いい話とは、その従兄の奥さん、きみのさんが語ってくれたものだ。

 きみのさんがこの家に嫁いできたのはもう40年ほども前のこと。若い頃きみのさんは、家の中の仕事に農作業もあり、農家の嫁として大変忙しい日々を過ごしていたことだろう。
 加えてまだ元気だった舅は何事にも几帳面な、細かいことにも訓戒をたれる人だったようだ。
 きみのさんの話は、きみのさんの二人の娘がまだ小学生だったころの出来事である。
 ある日、夕食も終わり、家族みんなが思い思いの格好でテレビを見ていたときのことだったそうだ。きみのさんは疲れが出て横になり、ウトウトとしながら不覚にもプッとオナラをしてしまったという。
「しまった」
と思ったその瞬間、二人の娘がそれぞれに、
「不調法だったなし(ごめんなさい)」
と、いずまいを正し、自分がしましたと言うようにあやまったというのである。
 毎日誰よりも早く起き、仕舞い湯を使って休む母親のことを、二人は期せずして同時にかばったのだ。
 舅も、また姑も、孫娘たちのこのとっさの行動にひそむ母親への思いを、よく理解したことであろう。
 きみのさんにとってこれは、忘れがたいエピソードだったようだ。

 大家族制度の旧弊を声高に叫ぶ人も世の中にはいるようだが、大家族だからこそできる子供たちへの教育もある。
 このとき子供たちが母親をかばったのは、大家族という複合的、重層的な人間関係の中に育ったがこそである、とわたしには思えてならない。
 両親、祖父母のいる、いくぶん込み入った人間関係のなかで、二人は誰に言われるともなく、他者の内面を察する力や、思いやりを瞬間的に行動に移すことのできる人間としての美質を、つちかっていたのであろう。
 母の実家は今、きみのさんの下の娘がお婿さんをもらって家に入っている。きみのさんと従兄は中三を頭に二人の孫に恵まれ、和やかな家庭を築いている。この例を見れば、嫁が制度的につねに不幸であると、いったい誰がきめつけられよう。

 母は生家を離れてもう60年になる。兄夫婦もとうの昔に亡くなったこの実家に、80をこえた母が今も行きたがるのは、甥ときみのさんの笑顔がいつでも待っていてくれるという思いがあるからだろう。
 母から聞いた話では、伯父は最晩年、病院での死の床で、「きみの、きみの」と、この‘嫁’を片時も放そうとしなかったそうである。

2002.8.11
(2008.9.15 写真追加)