興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

風の盆前夜祭

2006-03-05 | 散歩、時々旅
(再録・「どこでもきがるに散策録」の過去データから)
2004年8月28日(土曜日)

 富山は真夏の暑さだった。
 立山の称名滝を仰ぎ見て、立山登拝の宿坊を見学した後、越中八尾(やつお)へ入る。

 夜は、「おわら風の盆」の前夜祭へ。東新町(ひがししんまち)の、石畳の道での踊りの町流しを見る。
 まだ本番(9/1~9/3)ではないのに、道の両側にはあふれんばかりの観光客。最前列にはとても出られないので、後ろから背伸びしてのぞきこむ。

 哀調を帯びた胡弓の音(ね)に合わせたおわら節の唄声とともに、東新町の若い人々の踊りの列が静かに通り過ぎる。

♪あんたと添わなきゃ 娑婆に出た甲斐がない

 おわら節は、恋の唄なのである。
 最後尾で踊る美しい女性が、踊りながらわたしを見つめているのに気づく。わたしと目が合っても、目を離さない。
 わたしの方で視線をはずしてしまい、間をおいて、またその女性を見ると、まだこちらを見ている。だれか知り合いの人に似ている、とでも思ったのだろうか。 わたしは胸のときめきを覚え、それを抱えたまま山間の宿にもどった。

究めれば美

2006-03-05 | チラッと世相観察
 わたしの家から遠くない大型小売店、ホームセンター島忠には、仕事熱心な車誘導係の若者がいる。車を誘導する一つ一つの動作が大きく、美しい。

 遠くから近づく一般通行車を、道路の中央近くまで出て大きく手を振り、止める。深く頭を下げ、止まってもらったことに対するお礼の意を表する。
 しかる後、右折して店に入る車に左腕を大きくまわして誘導し、いらっしゃませと言う。
 店を出る車には、ありがとうございましたと言う。(聞こえないが口の形でわかる)
 ホームセンター前の歩道に歩行者がいれば車を止め、歩行者の通過を待つ。入出店の車がすむと道路際に退き、待ってくれた先の車に深くおじぎをし、大きく手を振り通行をうながす。

 これらの一連の動作がなんの滞りもなく流れるように美しい。まるで一流のダンサーのパフォーマンスを見るようである。
 わたしははじめて見たとき、思わず見惚れてしまい、しばらく「鑑賞」してしまったほどだ。

 一方、わたしの家の近くのスーパーの車誘導係のおじさんは、ほとんど何もしない。動作も小さい。まして、道路の中央に出ることなどない。運転者は周囲の車を見ながらほとんど自分の判断で出入りしなければならない。

 車の誘導はたいへん危険をともなう仕事である。交代があるにしても一日の立ち仕事である。夏は暑く冬は寒い。
 このたいへんな仕事を島忠の若者は精一杯やっている。一つ一つの動きに集中している。誰かにやれと言われてやっている、という風はない。各車、各歩行者に自分の意図を懸命に伝えようとしている。
 それが体の動きに出、見る人に美しさを感じさせ、感動を与えるのであろう。
2003.8.2