Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

南極旅行 3 ノイエ・ギャラリーとブルックリン・ブリッジ

2014-03-03 16:21:16 | 北米/南米/南極
2月2日

タイトルは南極だが、今日も一日ニューヨーク観光。

せっかくなので、にわかニューヨーカーとしてこの町らしい朝食を食べようとホテルからすぐのところにある「サラベス」へ。
 
ジャムで有名なこの店、週末のブランチは行列と聞いたが、驚くほど大きな店内、開店からすぐの8時ではさすがにもう1組しかお客はいなかった。

窓際に案内されてメニューを見る。人気はエッグ・ベネディクトやパンケーキらしいが
 アップル・シナモン・フレンチトーストなんて文字を見たら注文しないわけにはいかない。
大振りで厚切りのトーストはこんがり焼かれ、上に乗せられたアップルジャムがさすがにおいしい。レーズンも酸味が効いておいしいが、卵液のしみこみ具合はまあまあ、全体として悪くはないが特筆すべきこともなく、大きいので食べ終わる頃には胸焼け。
これにコーヒーをつけ、税金にチップを入れるとなんと27ドル!コスパ悪すぎ。
それでも9時を過ぎると続々とお客が入って来ていた。

しばらくホテルで休憩し、また地下鉄に乗って今度はアップタウン。
メトロポリタン美術館のすぐそばにある「ノイエ・ギャラリー」へ。
 
この美術館はエスティー・ローダーのコレクションを中心として20世紀初頭のオーストリア、ドイツ美術に特化している。

目玉はこれ
 クリムトの「アデル・ブロック・バウアーの肖像」

このほかにもクリムトが数点、シーレやココシュカ、ドイツ美術ではカンディンスキーがたくさん展示されていて、ユーゲントシュティールの食器や家具、時計なども配置されているのだが、建物自体が1914年に建てられているので全体の雰囲気が統一されていてとてもいい。

2,3階は写真撮影禁止だが、ロビー、地下と1階のカフェはOKとのこと。
 
   
カフェのお客さんはお金持ちそうな年配者ばかりで、それがまたここの雰囲気にピッタリ。ウィーンみたいだ。

「ノイエ・ギャラリー」を出て、また地下鉄で Brooklyn Bridge/City Hall へ。
 
駅前のまっすぐな道を行くと、歩いてブルックリン橋を渡ることができるのだ。
この日は冬のニューヨークにしては暖かくて、歩いて渡る観光客がいっぱい。
 
すぐ下は自動車道なのでいささか排気ガス臭いが、近くで見る橋脚やワイヤーがかっこいい。
 
遠くにはちい~さく自由の女神が見え、隣に並んでいるのはマンハッタン橋。
 途中には鍵がいっぱいかかっているところがあったけど、これ、何の映画に出てきたっけ?

ぶらぶら写真を撮りながら、それでも30分もかからずにブルックリン側に到着。
マンハッタンの向かいにあたるブルックリン・ハイツと呼ばれるエリアを歩くと
  
 
古い建物が並ぶ静かな街並みで何ともいい感じ。
  
地下鉄駅から5分ほどのアパート、2ベッドルームで8000万円だって。

イースト・リバーの川沿いは公園として整備中。
 
長いボードウォークを歩いて行くと鴨が散歩する芝生があり、

マンハッタンのビル群とブルックリン橋が目の前に広がる。
 自由の女神のお姿もこの通り。

ニューヨークに来た~、と感じさせてくれる場所だ。 


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アルゼンチン到着

2014-02-05 20:27:02 | 北米/南米/南極
旅行記を2日分だけ書いたが、残念ながらここで時間切れ。
今朝アルゼンチンはブエノスアイレスに無事到着したのだが、ホテルでランが使えない。
持ち込んだPCに問題がある(必要なソフトをうっかり消してしまったらしい)ためにせっかくホテルで飛んでいるWifiが拾えないのだ。
しかもどうもここはWifi天国のようで、ホテルはおろか店にもランケーブルがない。
この記事はiphoneで書いているが、めんどくさくてたまらない。
明日からは船の上なのでしばらくネットとはお別れ。
再開は20日後の予定。
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南極旅行 2 チェルシー・マーケットとルービン美術館

2014-02-04 00:08:34 | 北米/南米/南極
2月1日 続き

時差のおかげでまた1日の朝に到着したニューヨーク。
以前は仕事で年に一度は来ていたのだが、考えてみたら9・11以降は来ていない。少なくとも15年、ひょっとしたら20年ぶりぐらいって、ひえ~。

しかしJFKのしょぼさと非効率性は昔のまんま。
窓口を開けないのでイミグレに45分かかり、税関を出たところで乗合シャトルを頼んだらまた40分も待たされた。
最近のアジアの空港の立派さと利便性、少しは学べよ。

そんなこんなで10時前にJFKに降り立って、ミッドタウンのホテルにたどり着いたのは午後1時。
  27丁目とマディソンの角に建つ細長ーい The MAve Hotel 
今回は折悪しく、滞在の2日がちょうどニュージャージーで開催されるスーパーボウルに当たってしまった。
そのためただでさえ高いニューヨークのホテルがどこも暴騰、まともそうなホテルで一番安かったのがここだったのだが、それでも1泊約2万円。
どんな部屋かと異常に狭い廊下を通って入ってみれば
 
部屋は6畳ほどで、ベッドとサイドボードでほぼ一杯、スーツケースを広げるとドアが開かなくなるほどの狭さ。
27丁目を見下ろす窓にエアコンがついて、これがかなりやかましい。シャワーはなかなかお湯にならないし、冷蔵庫もない。
広さは日本のビジネスホテル並みだけれど、設備の点で大きく劣る。清潔だし、5000円ぐらいなら納得するがなあ。

しかもこのホテル、フロントの姉ちゃんが気が利かなくて、杓子定規にチェックインは3時からだと部屋に入れてくれない。
しかたがないので荷物を預け、すぐに町歩きに出発する。

まずてくてくと歩いて向かったのは30丁目がハドソン川に突き当たるほんの手前。
 
階段を上がると右手は工事中で行き止まりだが、
 
左手には細長い遊歩道がずっと伸びている。これが1930年代から1980年まで走っていた貨物鉄道の高架跡に作られたハイラインと言う公園。だから公園はひたすら細長く、ところどころには線路も残されている。

夏にはさまざまな花が咲いているのだろうが、今は残念ながら冬枯れ。
 
それでもヒッチコックの「裏窓」のようなアパートがあったり、クラシックな建物の向こうにエンパイア・ステートが見えたり
 
そうかと思うとレンガ造りの建物の間にモダンなビルが建っていたりしてなかなか楽しい。

 
しばらく歩いて、大きなレンガの建物が見えたので降りてみたら、これが次に目指していたチェルシー・マーケットだった。
 
元はナビスコの工場だったというこの建物。
 工場らしさを残しつつ、食べ物屋を中心にたくさんの店が入っていて、週末のこととて大にぎわい。

中でも大きな面積を占めているのがロブスター・プレイスという海産物屋さん。
 
魚や貝類、スモークサーモンやキャビアなどの高級食材が美しく並び、もちろんロブスターもゆでたてを売っている。
 
店内で食べられるものもいろいろあり、その中からセルフサーブのロブスタービスク($4.9)をチョイス。クリームがたっぷりで濃厚ではあったが、残念ながらロブスターの味は期待ほどはしない。
目の前のお兄さんはホタテとベーコンのスープがうまかったと言っていたが、値段はどのスープも同じなので、材料費の安いものが正解なのかもしれない。
ちなみにお兄さんが食べていたロブスターは一匹27ドル。これはちと贅沢なので
 
ロブスターがゴロゴロ入った巻きずしをお買い上げ。これも税込16ドルとお高いが、ここの職人さんたちはちゃんと日本人のようでまともなお寿司。
寿司カウンターもあるが、お刺身が「まぐろ」「はまち」「たこ」など、みんな日本語のままなのがおもしろい。

マーケットには他にもいろいろ売られているが
 
こういうのを見るとやっぱりアメリカ。

お腹を満たしたところでマーケットを出て、2ブロックほど歩いたところにある美術館へ。
 Rubin Museum of Art

 入場料15ドルを払って中に入ると左手には明るくて大きなカフェとショップスペース。 
 
中央のらせん階段を上がるとその周りを展示室が囲む造り。決して大きな展示室ではないが、コンパクトな分見やすい。

この美術館はヒマラヤ美術の専門館ということで
  
チベットやネパール、インドの仏像、曼荼羅をゆったり見ることができる。
 仏間の再現も本格的で、流れる読経にうっとり。

マイナーな美術館なのでガラガラかと思いきや、解説付きツアーには見学者がいっぱい。
チベット仏教、人気がある。

4時を過ぎたのでホテルにチェックインしようとまたてくてくと10ブロック歩く。
 
途中には平べったいフラットアイアン・ビルなど個性的な建物が多く
 エンパイア・ステートビルも近くに見える。
ニューヨークの高層ビルはクラシックで、独特の雰囲気があるのがいい。

ホテルで一息入れた後、今まで行ったことがないのでスタッテン・アイランド・フェリーに乗ってマンハッタンの夜景を楽しもうとまた外に出て地下鉄に乗る。
 
以前に来た時はまだトークンだったが、さすがにチャージ式のカードになった。地下鉄車両の落書きもすっかりなくなって、確かにこの町の治安は劇的によくなった。

乗った地下鉄のラインはマンハッタン島の先端まで行くはずだったのだが、聞き取りづらい車内放送が何やら言っていると思ったら電車は橋を渡ってブルックリンへ行ってしまった。
週末などルートが変わることがよくあるそうで、オーマイガッ。

さすがにもう乗り換えて行く元気もなく、また来た道を戻ってホテル近くのスーパーとデリで夕食を買い出し。
 暖かいものが食べたくてスープをレギュラー・サイズで頼んだら、あまりの量の多さに半分でギブアップ。スーパーにはやたらに脂肪分0だの、ヘルシー食材だのが並んでいるが、この量を減らせばいいだけのことなのに。

長い一日がようやく終わった。


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南極行きの準備

2014-01-31 14:40:58 | 北米/南米/南極
南極はもちろん寒いであろう。
さて、どんな用意をしていったらいいものか。

装備品を考えるにあたって、昨年のクリスマスに行った高峰温泉が大いに役立ってくれた。
なにしろ標高2000メートル、夜は-10℃以下、昼でも山の中は0℃以下。
それほど厚着をしなくても体は簡単には冷えないが、手足と頭、耳が冷たくなって辛いと学んだ。

そこでまず用意したのは手袋。
 防寒用手袋の下に薄手で指先のない手袋をしていればカメラ操作もばっちり、のはず。

耳まで覆う毛糸の帽子に、鼻も隠れるフリースのネックウォーマー、大きなサングラスで頭部はカバー。

足は靴下を重ね履きにすることにして
 足先用のカイロも購入。

普通のカイロは体のためではなく、カメラのバッテリー用。
氷点下にふつうにカメラをポケットに入れていたら動かなくなってしまったので、これで温めておくつもり。
使い捨てカイロぐらいではだめ、という意見もあるようだが、服の中に入れておけば何とかなるだろう。

カメラのためにはもう一つ
 水中撮影もできる簡易防水ケース。
水の中に入るわけではないが、上陸用ボートでは波しぶきを浴びることもあると聞いたので用意してみた。

そしてカメラはかねて愛用のコンデジに加えて、とうとうミラーレス一眼に手を出してしまった。
おそらくは二度とは行かない南極の景色、かわいいペンギンを撮影するため、と言い訳しつつ、一応メーカーの初心者用カメラ講座にも行ってみたが、果たして泥縄でフルオート以外の写真が撮れるのか。

ダウンの防寒着や長靴は船に用意されているし、あとは行くだけ。
出港地までが遠い道のりなのだが、とにかく行って来ます。 
 


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南極本あれこれ

2014-01-29 17:23:29 | 北米/南米/南極
唐突ながら、次の旅行は南極に行くことにした。
その準備として南極関連の本をいくつか読んでみた。

まずは
 「不肖・宮嶋 南極観測隊二同行ス」 

これは実は何年も前、一時期宮嶋本にちょっとはまった時に読んだもの。
宮嶋氏が報道担当オブザーバーとして南極に行ったルポだが、設備の整った昭和基地ではなく、そこから片道3週間かけて1000キロ内陸のドームふじ基地まで行っている。

この本のあとがきを読んではじめて、あのふざけた「不肖・宮嶋」文体が宮嶋茂樹ではなく、勝谷誠彦の手になるものと知った。
内容はもちろん宮嶋氏が実体験した零下40度、ふろにも入れず、狭い雪上車で寝起きする過酷な旅だが、人目がないので羽目を外した格好をし、ストレス解消にバカなことをする観測隊員たちの様子が写真付きで面白おかしく紹介される。
雑誌への連載だったので越冬隊員らの知らない間に実名で登場させられ、怒った人もいるらしいが、写真などは隠し撮りされているわけではないのである程度は承諾の上でのことだろう。
下品極まりないが読み物としては面白く、ここまで来れば名人芸。


この本にも登場し、その後ドームふじ基地で越冬をした人の本はこちら。
 「面白南極料理人」

著者は海上保安官の身分でドーム基地に1年滞在し、9名の越冬隊のために食事の用意をする。
出発前の食材の準備からなかなか興味深いのだが、この本を読んでいると南極観測隊は贅沢な食材をふんだんに使ってしょっちゅう宴会をしているように思えてしまう。

実際には標高3800メートル、平均気温ー57℃と言う過酷な環境の中、たった9人で逃げ場のない狭い空間で生活するのだからそのストレスたるや、ご馳走やパーティーで発散できる程度のものではないだろう。
そのためこちらの本にも実名で他の隊員が登場し、結構辛辣な書き方をされている。
著者の西村氏は上記の宮嶋・勝谷本が気に入らなかったらしく、特に不肖・宮嶋のことはボロカスに書いているが、こちらは素人の悲しさ、本人は面白おかしく書いているつもりらしいが悪意の方が目立っていささか後味が悪い。


次はぐっとシリアスに、100年前のイギリスの探検隊遭難の話。
 「エンデュアランス号漂流記」

アムンゼンの南極点到達後、南極大陸初横断を目指して出発したものの南極の氷に閉じ込められ、22ヶ月かかって探検隊全員を無事帰還させたアーネスト・シャクルトン本人の手記。

この遭難話、本を読むまでは漂着した絶海の孤島で2年過ごしたのだと思っていた。
実際は氷で身動き取れなくなった船の上で10ヶ月過ごし、その後5ヶ月はなんと巨大な浮氷の上に荷物を移し、テント生活をして北へ漂流、最後の4ヶ月強を無人島で過ごした。そしてこの無人島から800マイル(1300キロ)離れた南ジョージア島まで小さなボートで救援を求めに行き、最後は何の装備もなしに急峻な山だらけの島を横断する。

理想的リーダーとされるシャクルトンだが、ずっと船の上で過ごしているあたりは「なんだ、そうだったのか」と思った。浮氷の上の生活も意外に物資がふんだんにあり、本の描写からは気楽そうでさえある。

しかし実際はいつ氷が割れるかと気をもみ、どこへ移動するか、何を捨て、何を持っていくか、決断の連続だっただろう。
そして島に到着してからの生活、そこから救援を呼びに行く行程こそ壮絶で、その人選、リーダーシップこそシャクルトンの真骨頂。
しかし抄訳であるせいかもしれないが手記の書きぶりは淡々として、「男は黙って」を絵に描いたよう。確かについて行くならこういう人がいい。


この数年前の探検の話はこちら。
 「世界最悪の旅 スコット南極探検隊」

アムンゼンとの南極一番乗り競争に敗れ、帰路に遭難したイギリスのスコット探検隊はあまりにも有名。
この探検隊は全滅したのだと思い込んでいたが、実際はエベレストなどの登頂同様、たくさんの支援部隊が途中までサポートし、最後のアタック隊が帰路、しかもかなり基地まで近づきながら遭難したのだと初めて知った。

この本は生還した探検隊の一員による報告書で、もちろんスコットたちの最後についてなかなか冷静で公正な考察がされているが、実はタイトルの「世界最悪の旅」は彼らの南極点到達行のことではない。
動物学者である著者は、他の二人の隊員とともに真冬の南極大陸で皇帝ペンギンの卵を採りに6週間の旅に出るのだ。

最初の宮嶋本の雪上車旅行でさえ大変そうなのに、こちらは100年前のことなのでソリ、しかも当時のイギリス隊はなんと犬を使わず人力で重い荷物をひいた。靴や手袋、寝袋はトナカイの毛皮。そして冬の旅なので一日中太陽が出ることはなく、真っ暗なのに懐中電灯なんてものもない。気温は-40℃、50℃で、凍った寝袋に入るだけで1時間もかかる。途中、暴風でテントが吹き飛ばされたこともあって、この時はさすがに死を意識したらしい。これでちゃんと卵を抱えて帰還したなんて、奇跡だ。

またこの本にはくわしく書かれていないが、スコットたちが遭難した同じ時期、別の一チームが別ルートに探検に出かけてこちらは迎えの船が氷に阻まれて到達できず、やはり一冬、貧弱な装備で越冬して無事帰還したのだそうだ。
イギリス人、どれだけタフなんだ。

このタフさの原因、イギリス人がもともと美味しいものを食べていないからなんじゃないか、なんて考える。
なにしろシャクルトン隊もスコット隊も食料は干し肉に果物などを混ぜたぺミカンという保存食にビスケットとバター、お茶だけ。量があって暖かければあまり文句も出ない。
シャクルトンのように不平、不満を一切洩らさない、他人の悪口を言わない人間を尊敬するメンタリティーも少人数で生き延びるには大切そうだ。


こんな本を冬に読んだのは大失敗、あまりにも寒そうで何度か本を放り投げそうになったが、それでも来週南極に行く。
南極点にソリ曳いていくわけじゃないので。


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