Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ブータン シャクナゲ・トレッキング 1

2007-05-02 00:15:54 | ブータン
シャクナゲつながりでだいぶ前に行ったブータンでのトレッキングのこと。

2000年4月27日から5月7日 知り合いばかり8人での旅。昔からの友人やらいろいろな旅先で知り合った人の混成部隊だが、年の近い人間ばかり集まったので気楽で楽しかった。女7人に男1人。唯一の男性は「用心棒」とか「ジェームス・ボンド」とかはたからは呼ばれていたが実態は・・・

ブータンへはソウル、バンコク経由でパロへ。
初日にタクツァン僧院まで足慣らしをして、ティンプー経由フォブジカへ。

フォブジカは氷河が作ったU字谷で、ガンテゴンパの寺を中心にした村がある。
 
 17世紀創建のガンテゴンパ

谷の中心は湿地になっていて、冬にはチベットからブラックネックという鶴がやってくるので有名。

朝、散歩をしていると学校へ行く子供たちがやってきた。


ブータンでは学校毎に制服の柄がちがうので楽しい。ここは湿地のためか、みんなおそろいの赤いゴム長靴をはいているのがかわいかった。

スタッフが揃うといよいよトレッキング開始。我々8人のために現地ガイド、トレッキング・ガイド、キッチン・スタッフに馬子たちで総勢9人、馬は12頭ぐらいいただろうか。
 大名旅行

出発地のフォブジカが標高2850メートル。ここからツェレ・ラという3000メートル強の峠を越える。はじめはなだらかな草地だったのでなんともなかったが、峠の手前が急な上り坂になっていて、3000メートルでの急坂はきつい、きつい。10歩も行かずに休まないと息が続かない。高地、恐るべし。

峠を越えるとキッチン・スタッフがインスタント・ラーメンの昼食を用意してくれている。ヤクに見つめられながらお食事。

その後はなだらかな下りで午後3時ごろにはキャンプ地到着。歩行距離としては15キロほどでたいしたことないが、初めてのトレッキングなのでペースがつかめず疲れた。

 キャンプ地のゴゴナ、2950メートル
 
近くを流れる川にはヤマメだか岩魚だかの魚がいっぱいいて、スタッフはたらい一つですくっている。チベット仏教では魚のように多くの人間を満たせない生き物の殺生はよくないとされていて(だからヤクや牛を食べる)、そのためブータン人は本来釣りはしないのだ。しかし今回、我らがジェームス・ボンド氏が釣りをしたいと言ったため、ガイドは毎日お付き合い。というのは言い訳で、実はガイドのカルマ、釣りが大好きだったのだ。ママに見つかったら叱られる釣りが大手を振ってできる上、大物まで釣り上げて、満面の笑顔。

釣れた魚を、日本だったら塩焼きにするところだが、こちらではスパイスを振って唐揚げにする。悪くはないが、やはりあっさり塩焼きで食べたかった。
 キャンプ中のキッチン
 
夕食にはトンカツまで登場して、食べきれないほど豪華だった。
トレッキング中はホテルより食事がいいと言った現地手配会社の社長の言葉、本当でした。

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ブータン プナカ編 おまけ

2007-02-21 03:13:42 | ブータン
ブータンの食事

友人宅でごちそうになったブータン料理。

真ん中は赤米、右隣から時計回りにサラダ、エマ・ダツィ(唐辛子のチーズ煮込み)、ケワ・ダツィ(じゃがいものチーズ煮込み)、大根と牛肉煮込み、青菜と豚肉煮込み、ブータン・ソーセージ、揚げ魚、そば。

市場

サブジ・マーケット(日曜市)の戦利品。
 赤唐辛子、青唐辛子、川のり

ギネス認定 世界一大きな本


首都ティンプーの国立図書館で見ることができる。
またこの本の小型版(といっても十分大きく重い)はアメリカの Amazon で買うことができる。

Amazon.com: Bhutan: A Visual Odyssey Across the Last Himalayan Kingdom: Books: Michael Hawley

ブータンの石焼風呂

 パロのマンダラ・リゾートの石風呂。

ここのは屋内になっていて、小屋の外から樋を伝って焼いた石が転がり落ちてくる。石の落ちてくるところにはしきりがついているのでやけどの心配はない。浴槽は4人で十分入れる大きさ。リゾートのオーナーが日本の温泉を参考に作った。

以前、民家に泊まった時は庭先の露天に入った。木の浴槽が地面に埋め込まれており、大きさは一人が足をまげて入れる大きさ。ここに焼いた石を直接入れ、適温になったところで入浴。思った以上に気持ちよかった。お試しあれ。

ブータンの床屋



ブータンの男は全員、同じ形のゴを着なければならない。個性を主張できるところは髪型だけなので、若い男の子は必然的にヘアスタイルにこだわる。最新情報を常にインドやタイから仕入れているそうだ。
とは言え、さすがにこんなヘアスタイルの男の子は見なかったけど。


ブータン滞在も終わりに近づいた頃、ガイドとドライバーが急に床屋に行くと言い出した。二人で頭を丸めると言う。わけを聞いても絶対に言わないが、二人でにやにやしている。どうせろくな理由ではあるまい。

おもしろいのでついて行くと、ネパール人の床屋は髪をちょっと濡らしただけでカミソリでじょりじょり。所要時間、一人10分もかからない。


マルコメくん、二人できあがり。
コメント (2)
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プナカの春祭り

2007-02-20 04:02:06 | ブータン
Losarも過ぎ、今年のプナカの祭りも21日から始まるとのことなので、昨年のお祭りのレポート。

2006年3月4日から13日まで、6回目のブータン訪問。今回はプナカの祭り見学が目的。

プナカはブータンの国教、チベット仏教ドゥルク派の総本山。大僧正ジェイ・ケンポの御座所なので格式が高い。ポチュー(男川)、モチュー(女川)の中洲に建つ寺は10年ほど前の洪水で大きな被害を受け、最近やっと大掛かりな再建工事が終了したところなのでピカピカ。


3月7日、まずはプナカ・ドムチェを見学。護法神供養のための祭りで、僧侶が仮面舞踏を行う。グル・リンポチェのためのツェチュとは踊りが違うとのことだが、狭い屋内で儀式が進行し、一般人は吹き抜けの2階バルコニーから大勢の人の肩越しに覗けるだけなので、正直どこがどう違うのかわからない。

中庭では近在の村人が昔の兵士に扮して歌を歌っていて、こちらの方が面白い。この兵士役は世襲で、名誉ある役目らしい。
 
歌が終わると全員中庭に座り込んで世話役からドマ、キャンディー、酒などを振舞われる。いかにも村の祭りらしい。

寺の外では縁日の屋台が並ぶ。子供はお菓子、大人は賭け事に夢中。これは世界中どこでも同じ。
ほかにも力比べなどいろいろな競技があったようだが、そこはブータン、のんびりしていていつ始まるのかもわからない。
外国人はいらいらするが、現地人は気長に楽しそうに待っている。

 これは北の山間部から来たラヤッパ。独特の帽子をかぶっているのですぐわかる。

 お祭りには必ず現れる携帯立体曼荼羅、タシ・ゴマン。歌を歌いながら小さな扉を開けているおじさんも前に見たことがある。きっと何人もいないんだろうな。

3月8日はプナカ・セルダ。1616年に持ち出された仏像を取り返そうと侵入したチベット軍を壊滅させた記念のお祭り。ブータン人は今でもチベット人が嫌いだ。

 まずは兵士たちが一人一人、見得を切りながら階段を下りてくる。急な階段から転げ落ちないかとヒヤヒヤ。

次に僧侶たちが行列を作って寺から出てきて川岸で大僧正を待ち受ける。川岸は見物人でぎっしり。




 この日のための特別な衣装で大僧正登場。

お付きからみかんを受け取るとこれを川に投げ入れる。これは仏像に見せかけて偽物を川に投げ入れ、チベット人を溺れさせた故事にちなむ。このみかんを拾うと幸運とのことで川に飛び込む人、数名。もっと大勢飛び込むと思っていたのでちょっと肩透かし。


長く待ったわりにあっさりとしたこの儀式が済むと、全員寺の中庭へぞろぞろと戻る。
中庭では兵士たちが大僧正の前に整列し、大鍋から酒を賜る。
 

 見守る大僧正、ジェイ・ケンポ。ブータンでは国王と同等とされる偉いお方。決して某北の国の独裁者のバカ息子ではありません。

3月9日、プナカ・ツェチュ。プナカでは行われていなかったこの祭り、観光客誘致のために2年前から開催されることになったそう。なので内容はパロやティンプーのツェチュと変わらない。

 
動物の仮面の踊りとか、

 
太鼓の踊り

 
これは不倫をして鼻を切られた王妃と王様の話。


おなじみの道化役、アツァラ。

 これがチベットから仏像を盗んだ張本人、シャブドゥン。ブータン建国の父だそうだ。


地元の人たちが大勢来ていて大盛況だが、中庭が広いし、外人観光客もまだまだ少ない。パロやティンプーより見やすいのはいいだろう。
ただしブータン人の衣装は華やかなパロに比べてだいぶ地味。ブータン内の経済格差がこんなところに見える。

 
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ブータンのディスコ

2007-01-27 23:27:14 | ブータン
昨晩 NHK BS で「ブータン 青春ラプソディー」なるドキュメンタリーを見る。
ブータンでトランスを紹介しようとするブータン人DJの話。
楽天的で自信満々、ずうずうしいけどどこか抜けている感じがいかにもブータン人。

ブータンのディスコは98年に行った時に既に2軒あった。今は何軒に増えているのだろう。あれ以来足を踏み入れてはいないけど。

昼間は民俗衣装を着なければいけない若い子たちがみんなうれしそうにジーンズや革ジャンで来ていた。
中に一人だけミニスカートの女の子がいて、ブータン人の友達が「あの子はアメリカかぶれであんな格好をしているのよ。脚を出すなんてみっともない!」と若いいとこと言い合っていたのが印象的だった。車を運転し、海外旅行に出ても脚出しはNG。昨晩の番組ではよくわからなかったが、たぶんへそを出しても胸を出しても脚は簡単には出さないだろう。

それにしてもはじめてブータンを訪れて以来10年。その間に空港は平屋の小屋からビルに変わり、飛行機はエアバスになり、テレビ放送は始まり、携帯はつながり、王様まで代替わりしてしまった。
当然、近代化しないでほしいなんて言うのは旅行者の勝手なわがままに過ぎず、どこの国の人だって便利になった方がうれしいに決まっている。

電気もない農家にホームステイした時、「こんな生活も素敵ね」と言ったら、「でもあなたは便利な生活にいつでも帰れて、来たければまたいつでもここに来られるラッキーな人間だ。私たちは簡単にはここから出られない」と友人に言われてはっとした。

以来、俗に言う「素朴な国」を訪れる時には自分の幸運を忘れないよう心掛けている。
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