Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

うれしいお誘い

2008-09-06 00:47:27 | ブータン
朝一番の電話。
お仕事の催促かな~、と思いながら出るといつもの旅行会社の担当さん。

「Luntaさん、取れないと思っていた飛行機の座席が押さえられたんです。突然ですけど、11月のブータン国王の戴冠式、行きませんか。」

うわー、起き抜けにいきなりすごいお誘い、と思っているとたたみ掛けるように
「こんな機会ってもう二度とないかもしれませんよ」って、そりゃそうだ、新国王はまだ20代半ばだもの。

その勢いにこちらまで興奮してきて、つい「わかった、行く!席おさえといて」と言ってしまった。ああ、高いのに。

ブータン国王の戴冠式ははじめ6月に予定されていたはずなのに、どうも何も聞こえて来ないなあ、と思っていたらいつのまにか11月になっていた(11月6日~8日)。きっともろもろ準備が間に合わなかったんだろう、万事のんびりしたブータンのことだから。
Kuensel Newspaper - The Coronation

でもまあ、おかげで戴冠式が見られることになった。
またブータンに行けると思うと嬉しくて、つい1人でニヤニヤしてしまう。
2ヶ月も先のことだし、仕事はどうにかなるだろう。

あ、その前に旅費を稼がなくちゃ。こういうことのためなら勤労意欲も湧くというもの。

というわけで皆さん、お仕事ください。
今なら一生懸命仕事しますよ、たぶん。


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ブータン@国立科学博物館

2008-02-01 03:42:07 | ブータン

国立科学博物館でブータンの特別展をやっているというので外出ついでに上野へ。

  
東京に住んでいるが、この博物館に来たのは初めて。小学校の社会科見学でもここには来た覚えがない。
1930年に完成したという旧館(日本館)はクラシックで、階段を上がると恐竜の骨格標本とステンドグラスが出迎えてくれる。
 

ブータン特別展の部屋に入るとまずは前国王、現国王の大きな顔写真。

まわりにはブータンの民族衣装や民具、あとはパネル展示が多くて、デパートの展示会か学園祭の発表みたい。
 
植物や植生の詳しい説明はさすがに科学博物館らしくて、ノビレ(ダイオウ)の原寸大模型が面白い。これの本物をいつか見てみたいものだ。

小さな会場だが平日の昼間にもかかわらずそこそこ見に来る人がいて、私設ブータン友の会としてはうれしい限り。この小さな国の魅力をもっと知ってほしい。

ブータン展を一回りしたあとはせっかく来たことだから、と日本館の裏の新館、地球館もちょっと覗いてみる。
  
おしゃれなシダのパネルや、おいしそうなエビ・カニの展示も面白いけど、やっぱりこれでしょう、
 恐竜の骨格。
 子供じゃなくてもわくわくする。

こんなところのデートに誘われたら惚れちゃうかも、と思うおばさんであった。


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ブータン最新情報

2007-12-18 14:41:11 | ブータン
先日、と言ってももう1ヶ月近く前になるが、S社のブータン旅行説明会にサクラで呼ばれて行った。あちらで世話になったガイドが来日しているので顔を見に行ったのだが、思いがけず社長まで来ていてびっくり。

ブータンの旅行業界では顔になりつつある社長から最新情報を仕入れたのでご紹介。

 来年の新国王の戴冠式典は6月に決定。来賓を大勢招いた盛大なものになる予定だが、詳細は未発表。社長、この式典のコミッティーのメンバーにも入っているのでいろいろ情報は持っているはずだが、まだ正式に発表されていないので口を割らない。飛行機もホテルも取り合いになることが予想されるので、この時期ブータンに行く気なら早めの手配が必要、とのことだが、スケジュールをなかなか発表しないところがブータンらしい。

 来年の12月にはワンチュク王朝成立100年のお祝いが、これも盛大に予定されている。冬の閑散期の開催でお客を呼ぶ作戦らしい。混雑が予想される6月より12月がおすすめ、とは社長の弁。

でも確かにこちらに合わせて行けば
 先代の王様と4人のお后方
を間近で拝見する機会もあるかも。

ちなみにこちらが新国王、ジグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク陛下。
 
26歳、独身でアメリカ、イギリスの高校、大学を出ている。彼女は日本人と言う噂だが、その彼女と結婚することはないだろう、とのこと。
昨年、王位を継いだ直後にタイを親善訪問してタイ人女性に大人気に。おかげで以前はタイでブータン人と言っても誰も知らなかったが、今ではタクシーの運転手にまで握手を求められるんだそうだ。
気さくな人柄で国民にも人気がある。社長も随分ほめていた。パパを超える名君になれるだろうか。

 ティンプー市内に建設中で10月にオープン予定だったタージ・ホテルは開業が遅れている。完成間近になって配管の不備が見つかったためとか。ブータンではよくあること、とブータン人は誰も気にしていない。超高級ホテル、アマンでもいろいろ不備はあるらしいので、あんな金額払う価値があるかどうか、よく考えた方がいいよ、だって。


来年の年越しはブータンにしようかなー。

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ブータン人 定点観測

2007-11-02 15:50:18 | ブータン
同じ国に通い、同じ人たちの世話になっているといろいろな変化が見られて面白い。もちろん、先日の記事のように悲しい変化もあるけれど。

中でも子供はどんどん変わっていくので興味が尽きない。

 1996年、初めてブータンを訪れた時の民家訪問で会った男の子。この時12歳、パイロットになりたいと言っていたが、
 2年後にはこんな美少年に成長。その後、さらに男前になったと言う噂だが、遠くの学校へ行ってしまってその後は会えずじまい。もう二十歳を越えたはず、どんないい男になっていることか。
 この家は3人家族。
万博だか筑波博だかのブータン館を建てたと言う宮大工のお父さんがいい枯れ具合。いただいて帰りたいほど素敵だった。

 こちらは女の子。
 一年半後にはひよこになり、
 6年後にはおしゃまさんになった。

いつも世話になっている現地旅行会社の社長一家。
 10年前は折り紙で遊んでいた坊やが
 5年でパパそっくりになり
 去年にはすっかり大人っぽくなっていた。この秋からはアメリカに留学中。医者になりたい、と言っていたけれどどうなることやら。

よその家の子供はあっという間に大きくなるのでびっくりする。

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桃源郷で死ぬことについて

2007-10-31 16:48:03 | ブータン
山の上の農家でおいしいご飯をご馳走してくれた素敵なお父さん、実は昨年の秋に亡くなってしまった。
昨年の3月に再訪した時には既に歩くこともできないほど弱り、文字通り骨と皮になっていた。胃ガンである。

体調を悪くして病院でガンとわかり、でもブータンでは手術ができないので国のお金でインドのカルカッタへ送られた。が開腹した時には既に手遅れだったのだそうだ。

本人にはガンとは知らせなかったが、家に帰りたいと言うので連れ帰り、結局家族で看取ったという。

正確な年は知らないがまだ60にはなっていなかったのではないだろうか。
日本だったら早期に病気を見つけ、設備の整った病院で手術をして、もしかしたらあと20年ぐらい生きられたかもしれない。

ブータンで最も有名な日本人、農業指導のため30年以上も活躍された西岡さんは虫歯を放置して、敗血症で亡くなられたという。日本では考えられないことだ。

今年のラダックではバスの転落事故を見た。崖のカーブを回りきれず、100メートルぐらい転落していた。乗客の中には子供も何人かいて、事故直後に遭遇した旅行会社の社長夫人が事故処理のインド軍にすぐ病院に連れて行くよう頼んだが断られたと言う。インド軍の家族ではないから、ラダックで最も設備の整った軍病院に入れてもらえないのだ。オーストラリアで小児科ICUに勤める社長夫人は大変なショックを受けていた。もちろんオーストラリアでは考えられないこと。

桃源郷と言えども、僻地の医療はこれが現実。
暗い夜を祈りで過ごす生活がどんなに魅力的に見えても、便利になる生活を否定する権利は誰にもない。

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ブータンの秋 4

2007-10-30 00:16:07 | ブータン
農家滞在3日目。
今朝の朝食はブータン風のスイトン。
 日本のものとそっくりで懐かしい味だが、こちらではこれに山椒を入れていただく。ピリリとしてこれがおいしい。

出発する前に写真を撮らせて、と言ったらお父さんは一張羅に着替えてくれた。
 お父さんが男前だったから結婚したというお母さんは恥ずかしそう。
名残惜しいが、さよならをして山を降りる。

この後はパロの南、ブータンの自動車道路では最高地点になるチェレ・ラ峠を通ってハの町へ。
 
つい2,3日前から外国人観光客の訪問が許可されたとのことで、我々はたぶん日本人第一号。
 峠からはゾンを中心にした町が一望できる。
と言っても町の外にインド軍の駐屯地の広がる、あまり見所のない町。
 
 ブータン銀行ハ支店

この町にブータン人の友人の親戚が住んでいるのでそのお宅へ。
 ナドさんは南インドでゲシェ(仏教博士)になるべく20年以上勉強している人。ダライ・ラマにチラ似との声も。
大きくて立派なお家でハの名物料理をごちそうになる。
 そば粉でできた蒸し餃子がヘンテ。中身は青菜とチーズ。そば粉のクレープ、クレもほかではあまり見ない。
 これは特別な法要のためのお菓子。これを作る専門家がいるらしい。

ナドさんにお守りの紐と謎の丸薬をいただいてパロへ戻る。
今度は町の中の別のお家でホームステイ。
こちらも造りは同じで一階が家畜小屋や物置、2階の入り口を入ってすぐ台所。
 ここが一番暖かいので、みんなここにいることが多いらしい。
居間があって、その隣に仏間。

他にも何部屋かある大きな家で、ビデオを見るためのテレビもある。
が、この家にはなんとトイレがない。用があるときは「庭の隅に行って」。
来年はバスルームができる、と言っていたから、今はちゃんとトイレもあるだろう。
 この家の家族。
お父さんとお母さん、娘とマスオさんのだんな、子供二人。家を娘が継ぐのはパロの習慣だ。
マスオさんはブータンの航空会社、ドゥルック・エアにお勤め。帰りの飛行機に一緒に乗っていて、「バンコクに買い物に行くところ」と言うのには驚いた。

このおうちに一泊お世話になって、翌朝キラを着て出て行くとお父さんが「やっぱりキラはええのお」と目を細める。インドでもそうだが、女の民族衣装は男の方に人気があるらしい。


11月も第一週は暖かかったが、二週目に入ると急に冷えて冬の気配が漂ってきた。
今年のブータンもそろそろ冬支度だろう。

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ブータンの秋 3

2007-10-28 16:07:57 | ブータン
農家滞在2日目。
家からさらに山を登ったところにあるお寺へ参拝に行く。
途中、視界が開けた所でブータンの聖なる女神の山、ジョモラリ(7314メートル)がきれいに見えて感激。


近くの農家では脱穀作業中。
 
我々のガイドも棹をふるってお手伝い。

 山の上の僧院
 ここには子供の修行僧が一杯
 お昼は近所の村人がお坊さんたちのために持ってきた食事をお相伴させていただいた。山盛りのご飯に青菜の煮物と唐辛子、あとセンマイ(牛の胃袋)を煮た料理があったがこれがびっくりするほどおいしかった。
チベットのお坊さんは肉を食べる。野菜の採れない高地ではそうしなければ生きていけない。

帰り道、また別の尼僧院に寄るとここには重い経典が置いてあり、これを頭の上まで持ち上げられると幸運だという。
 30キロはあるこれを持ち上げたのはさすがトレッキングガイド。

山歩きで一汗かいて、夕方は隣の家へお風呂をもらいに行った。
風呂と言っても庭の隅に穴が掘られ、木の枠をはめ込んだ中に焼いた石を入れる石風呂、ドツォ。
 我々のために周りをシートで囲ってくれた。
 お見苦しい写真ですが、こんな大きさ、ということで。一人がちょうど入れる大きさ、お湯の温度は石の数で調節してもらい、これは想像以上の気持ち良さ。
 10年前、初めてブータンに行った時には、タクツァン僧院への道端でもドツォに入っているおばちゃんたちがいた。写真まで撮らせてもらったが、さすがに最近のパロではこんな姿は見られまい。

汗を流して、お父さんのおいしいご飯を食べて、

電気のない部屋の中では小さなケロシン・ランプが驚くほど明るく見える。
普段の夜は小さなマニ車を回してお祈りをして過ごすのだと言っていた。
この家にも去年は電気が来るようになっていた。

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ブータンの秋 2

2007-10-26 14:55:01 | ブータン
にせブータン人はさらにブータン人に似ている友人とパロでホームステイをした。
場所は空港の滑走路を見下ろす丘の上。
 我々の足だと小一時間かかる。
 典型的なブータンの農家。
田んぼは山すその平地にあり、家の1階では牛を飼っている。
 この牛が賢くて、昼間は外で放牧されているが、夕方になると1人で勝手に帰ってくる。

住居は2階。階段を上がるとすぐにかまどのある台所。

その奥に薪ストーブのある居間。

さらに奥に仏間があって、客である我々はここ寝泊りさせていただいた。
 
 トイレは台所の奥。残念ながらウォシュレットではない。

着いて早々にお昼をごちそうになる。
 
これまた典型的なブータンの食事。赤米に大根と豚肉の煮込み、ケワダツィ(ジャガイモのチーズ煮)、青菜の煮物、バター茶。バター茶は右の木の筒にお茶、バター、塩を入れて攪拌する。我々のドライバー、コタがお手伝い。

この家の食事はすべてお父さんが作る。なぜ、とお母さんに聞いたら「お父さんの方が上手だから。」本当にお父さんの料理はおいしかった。
 米を炊くお父さん。
ブータンの米はたっぷりのお湯でゆでてから湯を切り、蒸らす。町では電気釜が普及しているようだが、この家には2001年当時、まだ電気が来ていなかった。

夜、退屈だろうからと近所のおばさんたちを呼んで歌と踊りを披露してくれた。
 日本の盆踊りにそっくり。
占いゲームのようなことをしたり、おしゃべりしたり。

外に出ると満天の星空に流れ星が見えた。

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ブータンの秋 1

2007-10-25 01:39:46 | ブータン
日本もようやく秋が深まってきた感じなので、秋のブータンの旅のこと。

2001年11月1日から11月11日まで

バンコクで一泊してパロ空港に到着。

すでに刈り入れの終わったブータンは新米の季節。こちらでも新米は一年の楽しみ、日本の米よりパサパサしたブータンの赤米も新米はもっちりしておいしい。

ティンプーでは早速市場へ。
 
ブータン人の必需品、唐辛子が赤いの、青いの、乾燥したのと、よりどりみどり。
 この赤くて大きいのはブータン人に言わせると辛くないそうで、大根や豚肉と煮込んでよく使う。

この時期は民家の屋根の上も唐辛子で真っ赤。
 
 窓にも吊るされている。
一体ブータン人は一年にどれだけの量の唐辛子を食べているのだろう。

 秋は野菜も豊富。でもこれだけいろいろな種類の野菜を食べるようになったのは最近のこと。30年ぐらい前は唐辛子が「野菜」だったのだそうだ。
 中国の雲南省から来るお茶。スジャ(バター茶)にして飲む。
 白い塊はチーズ。コテッジチーズのように癖がない。たいていの野菜はこのチーズと唐辛子と塩を入れて煮れば「ブータン料理」になる。
 こちらのぶら下がった四角いのは乾燥させたチーズ、チュゴ。硬くて絶対に歯が立たない。ずっとしゃぶっていなければならないが、塩気も何もなくておいしくない。

乾燥キノコや川のりを買って、市場は何度来ても楽しい。

昼食は友人のいとこのホテルでいただいて、併設の織物の工房をのぞかせてもらう。
 織り手は席を外していたが、とても手のかかる柄を製作中。これはすべて刺繍ではなく、織り込みの柄なのだ。
 模様は伝統的なものだが、最近は派手な化学染料の糸で織ったものが多い。
 こちらはアンティーク。色も柄もいかにも古風だ。

これに刺激されたわけではないが、この旅ではハーフ・キラ(スカート部分だけのキラ)を買ってにわかブータン人としゃれこんだ。
ブータン人なりきりツアーは続く。

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ブータン シャクナゲ・トレッキング 2

2007-05-05 01:39:35 | ブータン
トレッキング2日目。

キャンプ地のゴゴナを出て標高3350メートルのショブ・ラを越える。前日より高いが緩やかな登りだし、慣れてきたのでだいぶ楽。
 峠にはケルンを積み、ダルシンというお経の印刷された幡が立てられている。

峠を越えると広々とした草地に出る。グループが長く伸びて周りに誰も見えなくなることも。心細いような、でも解放されたような不思議な気分。

下りにかかると森に入り、まわりにはシャクナゲがいっぱい。このあたりのは矮性シャクナゲなので、高さは1~2メートルしかない。
 
 
 
 ドチュ・ラなどの峠では10メートルぐらいあるシャクナゲの巨木が山を覆っているところもあるのだが。
 こんな桜草の群生も

この日も15キロほどの歩きで午後早くコトカに到着。標高2500メートルの小さな村。畑には麦が実り、牧草地には桜草が一面に咲いている。

キャンプ地はトレッキング・ガイドの家の庭。
夜には近所の人たちを集めて歌と踊りを見せてくれた。焚き火を囲んでの踊りは日本の盆踊りにそっくり。

そう言えば前日の夜もスタッフと焚き火を囲んで歌合戦。とは言え日本人チームはレパートリーも少なく、盛り下がり気味。そんななかアルコールがたっぷり入った我らがボンドが踊りを見せると言い出した。ブータン人スタッフが期待をこめて見つめる中、始まった踊りはなんと山海塾系。変わり者のこの男、学生時代入門していたらしい。ブータン人の目は点、どう反応していいやら困っていたっけ。

トレッキング3日目。

ゆっくり朝食をとってから標高2760メートルのタシ・ラへ。
途中、年配の尼さんと一緒になってしばらく同行。年の頃60過ぎに見えるが、さすが地元の人、我々より歩くのが速い。

この日は天気が良く、峠からブータン・ヒマラヤの雪山が良く見えた。5月にこんなにきれいに見えるのは珍しく、とてもラッキー。


午後早くに山を降りてトレッキング終了。手配会社の社長夫人がケーキを持って迎えに来てくれていた。歩いた後の甘いものはおいしい。
スタッフとお別れしてウォンディフォドンのホテルへ。3日ぶりのシャワーが気持ちよかった。

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